昨日(1月17日)はテレビ番組が阪神・淡路大震災の追悼で埋め尽くされて、見るのが辛いほどでした。
斫り用の電動工具を手に救助に当たり5,6人ほど助けた人とか、知らない同士が共助に駆けつけるシーンとか見られたが、防災の原点として、今後の防災体制の構築に資する貴重な映像ということなんでしょうね。
・・・ということで、この辛い雰囲気からのがれるように過去(14年前)の日記からノー天気に明るい?ものを以下のとおり復刻してみます。
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宮城県からお疲れさん状態で帰ってきました。
とりあえずレポートを書きあげて、終わりにしよう。
山元町の復興は遅れているそうで、支援現場に着くと・・・・
何もないなかにガレキの山だけが目立つ海辺の町の景色に粛然としてしまいます。
畑のガレキ、草とり
初日の支援内容が個人農家の畑のガレキ、草取りということであるが、山元町のニーズとあればボランティアさせて頂きましょう。
山元町のイチゴ農家139戸のうち、残って再建を図るのは4戸だけということのようで・・・・やる気のある農家のために一肌脱いだのです。
なお、かなりの農家が北海道に移住したそうです。
豪華ホテル
お泊りは、松島の絶景が見える豪華ホテルであり、ボランティアには場違いの感があるが(豪華に越したことはないが)・・・・
団体が泊まれる場所は、ここなどに限られるそうです。
なんか凄みのある泊まり客が多いと思ったら、どこかの派遣警察隊だったのです。
ちなみに今回の参加費8600円は、このホテルの費用(一泊3食付)のようです。
2日目の団体さん作業の割り当ては、アチャー、恐れていた側溝のドロ出しが当りました。
疲労が募る作業後半は、深い側溝掘りは若者に任せて、年寄りは後方支援に徹することになります。
休憩中
40分くらい作業したら休憩です。
多分コレくらい休憩しないと・・・もちません。
撤収前
撤収前の集合中ですが、土嚢のようなビニール袋が出したドロです。
このあとボラセンで道具の水洗い返却、そして名取の銭湯“極楽湯”で垢落としが待っています。
作業場所から海の方向には、ガレキの山と残った松林、壊れた防潮堤がかすかに見えます。
大使のつたない現場写真からは
被災前・被災後対比写真のような状況を想像できないのがもどかしい気がします。
(ちなみに、我々が作業した場所は笠野学堂の横だったことが対比写真でわかりました)
お疲れ状況の詳細はひょうごボランタリープラザの
公式レポートによく表れています。
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■2011.11.03XML
今度は宮城県ボランティア
https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201111030000/
■2011.11.06XML
お疲れさんボランティア
https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201111060000/