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葛西祝による格闘技にまつわるテキスト


朝倉未来vs平本蓮の競技能力に関係しない概観

Category: 「見立て」の格闘観戦記録   Tags: ---
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朝倉未来vs平本蓮は競技能力とは別の物語性を見立てて捉えている。

インフルエンサーと呼ばれるらしい所作はYoutubeなどSNSを経由して誰でもスタートできるが、拡大するなかで陰惨なものへ変貌する。だらだらとしたアテンションエコノミーによって肥大化し、無関係なはずの自分の視野に入るまでに増長することに対し、不快感を覚えないようにすることは難しい。

最近、さまざまな意味での敗北についてよく考えることが多い。主に活動しているビデオゲームではゲームでの敗北に関して哲学として研究するものなどが出ているが、今回考えたいのは敗北がもたらす苦痛についてだ。特に俗にインフルエンサー(本稿では定義を手軽なSNSやYoutubeなどを利用して商売をしている人、というあたりに留めている)と呼ばれる人間たちにおける敗北や失敗についてをよく考えている。膨大なフォロワーを抱える彼らは頑なに敗北や失敗を認めない態度を常態にしている。




最近はうまい言い方が英語圏にあって、西村博之をNYTimesが評した言葉に “near total invulnerability to shame”(不名誉、罪悪感、後ろめたさに対してほとんど傷つくことのない態度:私の訳だが)というものがある。これは4chanがQアノンなど陰謀論や銃乱射事件などの “不名誉な、恥だらけの”温床と、なった当該掲示板の扱いに対する西村への態度を指摘しているのだが、いまの日本で馴染み深い嫌な態度の構造を言い表したものでもある。( “無敵”に絡んだスラングは彼が広めたものだが、ある意味で英語圏から極めて悪い意味で「本当に無敵とは誰のことか」と言い返されてもいるのである)

そうした態度に多くの人々が知らず知らずのうちに追従していて、しかもそれを強さかなにかのように勘違いしているのである。昨年には、たとえば芸人からYoutuberとしてインフルエンサーへ移行した中田敦彦が松本人志に嚙みつくも、根拠も実績も不明瞭なことは外野でも見えていたことで、本業で明確な敗戦を見せているように思うが決定的な敗北を見せたわけではない。結局中田の敗北に関してはぼやけたまま今に至っているし、中田は「言い方を変えれば人間関係がうまくいく」と自らの発言からしたら嘘みたいな動画を投稿している。

他インフルエンサーを見ても明らかに失敗や敗北をしているだろうに、その素振りをまるで見せないことが少なくない。しかし誰もが敗北や失敗みたいな屈辱をまともに目を向けたくないし、失敗に伴う恥と不名誉は世間からの脱落を意味しやすい世相でもある。ある意味では不名誉や恥を無効化する態度は世間が求めた態度である。だが、無敵のふりをしていることにだんだんと苛立っている人は自分をはじめ増えてきているように思う。結局それは詭弁だから。

そんな不名誉を無化するインフルエンサー連中の中で、唯一といっていいほど敗北を隠せない分野がある。それが日本のMMAでもある(世界全体のMMAではない)。そして、奇しくもインフルエンサーの特性である不名誉と恥の無効化が通用しなくなっている重要人物と化したのが今の朝倉未来と平本蓮のように思う。今度のふたりの戦いはあらゆる不名誉さということを取り巻くチャンピオンシップなのだ。



MMAにおけるインフルエンサービジネスの接近でやっかいなのは、実際にMMAで実績を残してきたことをベースに拡大していったことでもある。朝倉兄弟が国内MMAをYoutubeによるインフルエンサー的なビジネスに繋げることで存在感を拡大させ、格闘技選手のビジネスモデルを一変させたことは間違いない。

残念ながらMMAは新興格闘技であるがゆえか、競技としての歴史の浅さや環境の整備がまだ整いきれていないのもあるせいなのか、ある種の選手が新興のスタートアップであるとかインフルエンサーであるとかそういったメンタリティに近づく現象が少なくない。

ある時期(OneFCでの敗戦が珍しくなくなってきたあたり)からの青木真也の意見が格闘家の生き様とかどうたら言い出したのは、端的に競技能力に限界が来て個人事業者としての別のビジネスを移行したからに過ぎない。普段他の選手の情緒的なツイートを皮肉っている人間が本心から「格闘家としての生き方」だとか信じているわけがない。

そんな涙ぐましい所作でも敗戦がもたらす不名誉と罪悪感ばかりは圧倒的なようで、今更ながら秋山成勲戦の劇的な負け方によってそれらを無視できなくなるのは興味深かった。国内MMAは新興の事業家みたいなパーソナリティ(選手にせよ、興行側にせよだ)に付け込まれる隙を持ちながらも、試合と勝敗の結果は確かである。青木の言い逃れできない不名誉さが一時的に露わにされたといえる。

ちょっと前の話だが、鈴木のケラモフ勝利後のインタビューで「日本の格闘技は不良の人が輝く時代になっちゃってて、ヤンキーとか、そういう人が表舞台に出て格闘技の質を下げている」と語っているが、もう少しディテールを詰めると何が問題かというのは不良が問題ではないと思う。別に不良でもなんでも競技として活躍していくことはいい。問題はなんの裏付けもなくできる事業としてインフルエンサーがあって、それが敗北とか失敗を平気でなかったことにしてしまう環境が問題なのだ。

敗戦とその屈辱を帳消しにしやすいなかで、敗北とはなんだろうなと思いながら両者の対戦が気になるのであった。

テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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