西日本完乗への道-山陽阪神編(3) 加古川線 厄神駅 ~かつて三木線が出ていた駅。廃線跡を巡ります~
加古川駅で山陽本線から加古川線に乗換えました。
加古川線は加古川駅から福知山線の谷川駅を結ぶ南北電化路線。加古川(川の名です)を遡る形で北上していきます。
画像はおそらく神野~厄神間。田園風景の中を走ります。
加古川から3駅目。列車は終点の厄神駅に到着です。1番線の到着。乗り換えです。
厄神駅は兵庫県加古川市上荘町国包にある加古川線の駅。この珍しい駅名や地名の由来は、近くにある厄除八幡神社が昔から「厄神さん」と呼ばれているところから来ているそうです。
位置的には、地図を見たところだと・・・加古川の南岸にあり、南側には広々とした田園地帯が広がっています。
当駅には車両基地が隣接しており、加古川駅との間に区間運転列車も多数設定されている節目の駅のひとつでもあります。また、かつては国鉄路線だった三木鉄道三木線が当駅から出ていましたが、2008(平成20)年4月に廃止され、現在は単独駅となっています。
駅構造は相対式ホーム2面2線で北から1~2番。駅舎は橋上にあります。
乗換えの時間があまりないのでチャチャっと駅観察します。
下り1番ホームの西側、加古川方から見た様子。ここまで乗車してきた2連は103系のM4編成。加古川方の車両は「KAKOGAWA103」のロゴ付きのクモハ102-3554です。1979年製だそうです。がんばってます。
ホーム端に移動して駅全体の様子。線路は左(北)から下り1番と上り2番。駅舎は橋上にありますが、駅務室などは左端の方の北口側にあるようです。南口側は出入口階段が2つあり、右(南)に降りて行くものと、奥(西)に降りて行くものが見えます。西階段の先には小さなロータリーがあるそうですが、南階段は住宅地のど真ん中に降りるそうです。
こちらは駅に入線する直前の列車から前面展望した様子。線路は左(北)から下り1番、上り2番、旧3番。ポイントの向きは左の1番線に向いています。右に分岐する旧3番とは・・・
赤錆の旧3番にはかつて三木線が発着していたそうです。つまり当時の駅構造は2面3線。三木線の国鉄時代は加古川駅からこの線路を通って三木線に直通する列車が走っていたようですね。三木線が三木鉄道に転換されたのは1985(昭和60)年4月のことで、その頃に線路は分断されたそうです。
現在の線路は・・・ちゃんと確認できませんでしたが、この先は剥がされているようです。ホーム側にも柵が置かれ、3番線自体がなくなっています。
こちらは東側の西脇市方面。1番ホームから見た様子。一番左、下り1番の延長が加古川線の本線。左にカーブしていき、この先で加古川を渡って北側に出ていきます。
見にくいので拡大してみます。
左にカーブしていくのが加古川線本線。その手前にシーサスのようなクロスがあり、右に出て行く線路も見えます。これが三木線だった線路かなと最初は思っていましたが違うようです。その先に車庫らしきものが見えます。この線路は「網干総合車両所加古川派出所」という車両基地に繋がっている出入庫線になるそうです。
では、三木線は現在どうなっているのかというと・・・これを橋上駅舎から見た様子。
拡大してみます。2番ホームの端に突き当たる形の線路がありますが、その右側のスペースに三木線(旧3番線)の線路があったようですね。三木線はこの先直進して車両基地の脇を通って東に伸びていたそうです。
それでは出場します。
橋上駅舎に上がって改札口の様子。現在は無人駅。無人化されたのは2022(令和4)年4月のことだそうです。
この手前が南北自由通路になっており、右に進めば南口、左に進めば北口。今回は左に進みます。右にも行きたかったのですが時間がありませんでした~。
こちらが北口。駅は1913(大正2)年4月に播州鉄道開業当初の終着駅である国包駅として開業。現在の駅舎は1999(平成11)年3月に橋上化したものだそうですが、旧駅舎はこちらにあったそうです。年季入ってますね~。駅前広場がなく、道路を挟んですぐに住宅地なので撮影にも余裕がありません。
さて、ここからは一旦加古川線から離れて三木線の廃線跡を辿ろうと思います。三木鉄道代替バスが駅前からでているのですが、バス停はここからちょっと離れたところにあります。
駅前通りを少し東に進むと・・・線路沿いに閑散としたロータリーがあり、その一角にバス停がありました。少し待っていると、奥に停車していた緑の小型バスがこちらに回り込んできました。これに乗車します。
乗車するのは神姫バスの30系統三木営業所行き。この系統が三木線の代替バスになるようですね。
Suicaでピッと乗車。乗客は私一人の状態で10:20に出発となりました。つづく~