セガの最後(今のところ)の家庭用ゲーム機となったDC(ドリームキャスト)です。
ついでに補足しますと、当時のセガ社長である、入交昭一郎氏のサインと、私の名前が
アルファベットで入った(画像は白抜きにしてあります)スペシャルモデルです。
これは、セガ直販で予約すると、上記の様な仕様で発売日に届くという物でした。
社長のサインは固定ですが、名前部分は注文する側が指定出来るので、名前以外を
入れた人もいたようです。
では、それを踏まえてまた続きでも。
前回の続きになりますが、主にアーケードよりのゲーム雑誌『Beep』で、セガを本格的に
知る事になりました。
アーケードのゲーム『ファンタジーゾーン』が(ほぼ)そのまま出来るゲーム機、
セガ・マークIII(MkIII)の存在を知ったのもその頃です。
ファミコンはファミコンで楽しみましたが、当時のアーケードで、特に体感ゲームで
トップを行くセガのゲームが家庭用として楽しめるのは大きな魅力でした。
また、当時のアーケードのゲームと家庭用のゲームでは、映像も音楽もあらゆる面で雲泥の差が
ありました。それなのに、もちろん、本物と比べると大きく劣るのですが、それでも何とか
家庭用に移植しようとする姿勢がすごかったのです。アウトラン、スペースハリアー、そして
アフターバーナー等など。
音源はファミコンと同様にPSGでしたが、少ない音源を補う為のFMサウンドユニット、
コントローラーと本体の間に繋げて連射を可能としたラピッドファイアユニット等、他にも
色々な周辺機器の登場は、まるで戦隊ロボやライダーのパワーアップの如くワクワクしたものです。
グラフィック的にはファミコンよりも優れ、アーケードの移植が多い事などから一部に熱狂的な
ファンを得ていたものの、一般的にはファミコンの方が圧倒的に優位な状態でした。
色々原因はあるでしょうが、キラーソフトと呼ばれる誰もが遊びたくなるゲーム、
そういったものが無ければ、わざわざ他のゲーム機を買う人はいないでしょうし、
又、サードパーティの少なさも原因としてあったと思います。
ファミコンはいくつものメーカーから色んなソフトが出ていましたが、セガは事実上
自社のソフトのみでしたから。
ゲーム誌も、ファミコン関係の雑誌は増えていく一方でしたが、セガはBeepくらいでしか
大きく扱われる事はありませんでした。
それでも、どちらかと言うとマニアックなゲーム機として、その地位はある程度確立されて
いたのではないでしょうか?
今やオンラインゲームとして有名になっている『ファンタシースター』シリーズ。
その第一作目は、マークIIIにもドラクエの様な本格的RPGを!とい願いから作られました。
その他にも色々と良いゲームは出ましたが、ファミコンの地位を揺るがす様な事は
ありませんでした。
ですから、次の16bit機のメガドライブでやっと専門誌が出来た時は本当に嬉しかったものです。
メガドライブは、当時のアーケードゲーム機に使われていたモトローラの68000というCPU
(とりあえずCPUで)を使っていて、FM音源でステレオ化、グラフィック等も大幅に強化され、
よりアーケードからの移植がやり易くなり、メジャーになるのでは?と期待していました。
が、そう甘く物事は進みません。家庭用のゲーム機が進化したところで、アーケードの方が
その進化を止めて待っていてくれる事はありません。まだまだ、アーケードと家庭用では
いたちごっこを続けるだけでした。
それに、完全な16bit機ではないですが、ファミコンの後釜を狙い、且つアーケードの移植もこなす
『PCエンジン』が、メガドライブより一年も早く発売され、既にある程度の普及をしていました。
しかも、メガドライブ発売直後にはCDロムロムと言うアダプタも発売されました。
これは、パソコンも含めて世界初のCD-ROMをソフトとして使ったコンピューターという事に
なります。
セガも後に後付け出来るMEGA-CDを出しました。又、任天堂がモノクロのゲームボーイを出せば
カラーのゲームギアを。
私は、マークIII以外は全て予約して発売日に買っていましたよ。ええ、本当に。
なんせ、当時セガの○会社の○○○に就職(とっくの昔に辞めていますが;^^)するほど
セガが好きだったので。
それだけ、私にとってはいつも魅力のあるハードとソフトを出し続けていました。
と、まあ、セガは良い物を出すのですが、結局トップに立てないんですよね。
でも、そこが好きな人は多かったと思います。(私も含めて(笑))
その後も、スーパーファミコン、プレイステーションと、セガは辛酸を嘗め続けていました。
しかし、プレイステーションと同時期に発売されたセガサターンは、一瞬ですがトップに
立った事もあるのです。それは、もう、バーチャファイターのおかげでしょう。
でも、差が付く前にドラクエがプレイステーションで発売予定と発表された時点で、それも
終わってしまいました。実際に発売されたのは5年以上も後の事だったのですが。
『ドラゴンクエスト』、本当にハードの運命さえも左右するこのタイトルは、セガファン
としても、ゲームファンとしても、セガのハードで一度は遊んでみたかったものです…。
そして…そして、現時点でセガの家庭用ゲーム機として最後になった『ドリームキャスト』
の登場です。
DC(ドリームキャスト)が出る頃には、セガのハードに対するサードパーティもかなり増え、
宣伝なんかもかなり一般向けな感じでやっていました。当時を知っている人なら、日本で
一番有名な専務は誰?と聞けば、セガの湯川専務と答えが返ってくるでしょう。
そのDCの一番の売りは、ゲーム機としての性能はもちろんですが、インターネットが出来る、
つまりモデムを最初から内蔵しているという事でした。今では当たり前の事ですが。
私がインターネットをする様になったのも、その少し前でした。
何故か?というと、専門誌等でDCの事を知ってから、もっと色々と調べてみたくなったんですね。
ネットも使った事が無かったので。
そして、当然最初にセガのHPへ行き、初めて訪れた掲示板、それがセガの公式掲示板である、
セガ伝言版(通称セガBBS)でした。
で、スッゴイ長い前振りになりましたが、ここからが本当の本番なので…やっぱり続きます。
そろそろ、新作レビューの時期になってきたので、またちょっと間を空けて…
勝手にやらさせて頂きます(笑)
- 2009/04/18(土) 01:01:00|
- 戯事
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