*灘の酒ぐらスタンプラリー*②
甲南漬資料館
資料展示だけではなく、食事処もあります。
日本庭園
薪風呂でしょうか?
庭園から見た和室
庭園の先に 甲南漬物本店があります。
お茶と甲南漬け・あわび等が試食できます。
本みりんの試飲もあるようです。
次へ向かう途中で見つけた「処女塚古墳」
↑ 石板の文字が見えにくいので、神戸市のHPより↓
東灘区と灘区には伝説に彩られた3つの古墳が残されています。
処女塚(おとめづか)古墳(東灘区)は 古墳時代前期に築かれたと思われる前方後方墳で、1985年(昭和60年)に遺跡公園として整備されています。
東求女塚(ひがしもとめづか)古墳(東灘区)は 阪神電鉄の施設工事によって崩されてしまいましたが、処女塚古墳と同じ頃に築かれたと思われてる前方後円墳です。
西求女塚(にしもとめづか)古墳(灘区)も 早くから公園として整備されていましたが、最近の調査で、前方後方墳であることが分かり、慶長の大地震による地滑りや崩れた石室の跡などが確認された他、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国・魏(ぎ)の皇帝から贈られたといわれている鏡(異説あり)「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が7面出土し、話題になりました。
3つの古墳の位置関係は、処女塚を中心に東西それぞれ約2キロメートルの地点に、東西の求女塚があり、それぞれが処女塚の方向を向いている形になります。
そのためか、これらの古墳にまつわる悲しい恋の伝説が古くから伝えられています。
ーこの地に美しい乙女(莬原処女・うないおとめ)が住んでおり、多くの求婚者がいましたが、特に熱心だった2人(和泉・大阪府南部)の血沼壮士(ちぬおとこ)と地元の莬原壮士(うないおとこ)が武器を持っての争いとなり、乙女は立派な若者を自分のために争わせたことを嘆いて死んでしまいます。
2人の若者もそれぞれ後を追って死んでしまい、それを哀れに思った人たちが、後々に語り伝えるために 3人の塚を築きました。ー
この伝説は奈良時代の万葉集に登場する歌人たちが歌に詠んでいることから、かなり古い伝説だったようで、平安時代の「大和物語」では2人の若者が水鳥を弓矢で射て乙女を争うストーリーになり、後の時代にも謡曲「求塚」や森鴎外の戯曲「生田川」などとして取り上げられています。
つづきます