金剛バスを思う、その(2)
金剛バスを思い出してみると、自分の中ではっきりしているのは、昭和57年か58年くらいのことだと思う、
今は、富田林駅の南口もきれいに整備され、ロータリーに4台のバスが配置される形で、1番のりば、北大伴、石川線、2番のりば、千早線、3番のりば、白木線、河内線、
さくら坂循環線、4番のりば、東條線、富田林循環線となっている。
昔は5番のりばまであり、近鉄のホームに沿ってバックでバスがのりばに入る形をとっていて、バス誘導のホイッスルの音が響いていた。そして、北口のロータリーができるまでは、志紀車庫へ行く近鉄バス(今はこちらも廃止)も入っていたから、にぎやかだった。
1番のりば、石川線、2番のりば千早線、3番のりば、白木、河内線(その当時はさくら坂はなかった)、4番のりば、東條線、5番のりば北大伴線。僕の記憶が間違いなければ、はじめはこの配置で、1番のりばと5番のりばを入れ替えますという発表があり、1番のりば、北大伴線、5番のりば石川線に入れ替わった。その後、駅の整備があって、北大伴線と石川線が一緒になり、1番のりばに統合された。
その当時は、加納行きとか、芹生谷行きとか、第三中学校前行きとかもあった。金剛バスは最終のバスが早く、東條線で言えば、19時11分 東坂(吉年)、20時23分金剛コロニーセンター前、20時53分甘南備、21時22分第三中学校前行きが最終だったと思う。その後、21時47分の佐備回り循環が最終になったが、それにしても早いなと思ったものだった。
富田林駅から石川を渡って、北大伴へ、千早赤阪村へ、河南町へ、富田林の東條地区へ、1~5番のりばまであった時代は、ラッシュの時になると、あべの橋からの近鉄電車の到着時刻に合わせて、15分ごとに5台のバスが一斉にターミナルを発車していく姿は迫力があった。時代も団塊の世代が働き盛りの時代だったから、どのバスもお客さんでいっぱいだった。バスが発車した後も、バス乗り場から道路へ出ていく際に赤信号でバスが引っ掛かると、バスのドアをたたいて、乗せてもらうお客さんの姿もあり、忙しい中にものどかな日常が展開されていた。
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