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東大が秋入学を検討
2011 - 07/01 [Fri] - 10:17
秋入学が正しいのかどうか、良いのか悪いのかは私には正直よくわかりません。秋入学をスタンダードにして国際的な学生の交流を活発化させることが目的であれば、やはり遅かれ早かれ日本人は英語をもっと大胆に日常生活に取り入れざるを得なくなると思うのです。
英語が自由に使えるようになれば、それだけで国際的な情報交換は飛躍的に可能になりますからね。今だって英語が自在に使えるのであれば英語で書かれたホームページでいくらでも情報を入手することができますし、その発信者に英語で問い合わせてより有益な情報交換を行うことだって可能です。日本人が英語を本気でマスターしようとしないことが現在のネット社会においてどれほど日本人のチャンスを奪っているかということは疑いのないところです。
しかしそうなってくると当然日本独自の文化が廃れていく可能性が高まります。日本人の本格的な国際化と英語の第二母国語化と古来からの日本文化の保存と継承をどのようなバランスで保っていくかということが大きな課題になってくるはずです。だって日本語が読めない日本人がこれから増える可能性があるわけですからね。
まあそういうことで国際化というのは必ずマイナス面を日本にもたらすのでそこが難しいところなのです。なんと言っても日本語は漢字とひらがなカタカナというものすごく特殊な文字を使用していますので、日本の国際化を本格的に進めるのであればまずこの文字を捨てる覚悟が必要になりますからね。それはさすがに多くの日本人にも抵抗があるのではないでしょうか。
それはそれとして、今一度思うのは春入学という日本独自の季節感ですね。やはり日本人はウェットというか、島国というか、閉鎖的というか、そんな感じですね。雪に閉ざされた長い長い冬が終わって春になってようやく全てが再び動き出すんだ、という感覚ですよね。一年の最後は一番厳しい冬を乗り越えたら終わるんだという苦行のような感覚(笑)。
一方で秋入学の感覚は全く逆ですよね。暑い夏が終わってさあ過ごしやすい季節がようやくやってきたのだからそこからスタートさせましょう、という感じ。すぐに冬はやって来るけど、別に冬なんて適当にやり過ごしておけばいいじゃないか、ということでしょうか。
一年の最後は暑い夏になるわけですが、それは暖かいし何でもできて遊べる時期なんだから最後は楽しく遊んで終わればいいじゃないか、という感じですよね。楽しく遊んで一年を終わらせて、そしてまた過ごしやすくなったら一年をスタートさせればいいじゃないか、という感じでしょうか。
やはりここに日本人と欧米人の季節感の違い、物事に対する考え方の違い、人生観、そういったものの相違が浮き彫りになりますよね。確かに堪え忍んで年を終わるのは日本人にとっては「やったー!」って気分があるのでしょうが、でも「最後は楽しんでリフレッシュしてから新たな年度を迎えよう!」という季節感を持つのも今からの日本人には良いことかも知れませんね。
今どき「おしん」のようなドMな人生ばかりが日本人の人生でもないでしょうしね(笑)。「雪に閉ざされた寒い寒い冬」なんて50年ほど前の中部、北陸、東北、北海道の話ですもんね。それ以外の地域では今どきそんな感覚は全然ないし、日本人ももっと季節や人生を素直に楽しめばよいのかも知れませんね。
私も努力するのは好きだし大切だと思っていますけど、苦しみに耐えることだけが人生に大切とは思いませんからね(笑)。そりゃあ楽しく過ごす方が良い人生に決まってますし、楽しく過ごすために努力するんじゃないでしょうかね。その方が精神的にも健全でしょう?(笑)
震災の被災者の方々や原発事故の周辺の方々の身の振り方についても同じことが言えるんでしょうね。日本人の感覚でいえばこんな大変なことがあっても住み慣れた地元にこだわって、どんな苦労があっても、どれほど経済的にどん底になっても、それに耐え忍んでそこで再開させることが多くの人に誉めてもらえることなのかも知れません。
しかし欧米人ならさっさと別の場所に移って身軽な状態から新たな第一歩を踏み出そうとするでしょうね。それは日本人の感性では許せないことかも知れませんが、しかしまわりの人間が被災者に対して地元に残って尋常ではない苦労を強いること、そしてそれを「よく頑張ったな」と誉めることだけが本当によいのかどうかは今一度考える必要があるのではないかと思います。
被災者にだってより良い人生を送る自由と権利があるはずで、その方々がどのような判断を行ってどのように行動しようと、それをまわりの第三者がとやかくいうべきではないと思いますね。彼らには彼らが最善と思うことを行って欲しいと願っています。だって人生一度キリだし、それほど長い人生でもないのですからよりよい将来を求めて欲しいですよね。
とりあえず秋入学をきっかけにして日本人のドM人生観をなんとかしましょうか(笑)。「冷やし中華はじめました」の歌みたい「幸せになるかどうかわからへんけど、とりあえず不幸にもめげず一生懸命やってます」って人生はホント日本人の琴線に触れるんでしょうけど、もっと素直に楽しんで幸せを求めてもいいんじゃないでしょうか(笑)。
今日の新聞によりますと東大が従来の春入学から秋入学への移行を検討しているのだとか。国際的には秋入学が一般的であり、日本独自の春入学が海外からの留学生受入や日本学生の海外留学の妨げになっているからだそう。
長期的な視野に立って国際標準に合わせていこうということのようですが、日本人の季節感や他の全ての春始動の慣行との摺り合わせをどのようにするかということがこれからの課題のようです。
秋入学が正しいのかどうか、良いのか悪いのかは私には正直よくわかりません。秋入学をスタンダードにして国際的な学生の交流を活発化させることが目的であれば、やはり遅かれ早かれ日本人は英語をもっと大胆に日常生活に取り入れざるを得なくなると思うのです。
英語が自由に使えるようになれば、それだけで国際的な情報交換は飛躍的に可能になりますからね。今だって英語が自在に使えるのであれば英語で書かれたホームページでいくらでも情報を入手することができますし、その発信者に英語で問い合わせてより有益な情報交換を行うことだって可能です。日本人が英語を本気でマスターしようとしないことが現在のネット社会においてどれほど日本人のチャンスを奪っているかということは疑いのないところです。
しかしそうなってくると当然日本独自の文化が廃れていく可能性が高まります。日本人の本格的な国際化と英語の第二母国語化と古来からの日本文化の保存と継承をどのようなバランスで保っていくかということが大きな課題になってくるはずです。だって日本語が読めない日本人がこれから増える可能性があるわけですからね。
まあそういうことで国際化というのは必ずマイナス面を日本にもたらすのでそこが難しいところなのです。なんと言っても日本語は漢字とひらがなカタカナというものすごく特殊な文字を使用していますので、日本の国際化を本格的に進めるのであればまずこの文字を捨てる覚悟が必要になりますからね。それはさすがに多くの日本人にも抵抗があるのではないでしょうか。
それはそれとして、今一度思うのは春入学という日本独自の季節感ですね。やはり日本人はウェットというか、島国というか、閉鎖的というか、そんな感じですね。雪に閉ざされた長い長い冬が終わって春になってようやく全てが再び動き出すんだ、という感覚ですよね。一年の最後は一番厳しい冬を乗り越えたら終わるんだという苦行のような感覚(笑)。
一方で秋入学の感覚は全く逆ですよね。暑い夏が終わってさあ過ごしやすい季節がようやくやってきたのだからそこからスタートさせましょう、という感じ。すぐに冬はやって来るけど、別に冬なんて適当にやり過ごしておけばいいじゃないか、ということでしょうか。
一年の最後は暑い夏になるわけですが、それは暖かいし何でもできて遊べる時期なんだから最後は楽しく遊んで終わればいいじゃないか、という感じですよね。楽しく遊んで一年を終わらせて、そしてまた過ごしやすくなったら一年をスタートさせればいいじゃないか、という感じでしょうか。
やはりここに日本人と欧米人の季節感の違い、物事に対する考え方の違い、人生観、そういったものの相違が浮き彫りになりますよね。確かに堪え忍んで年を終わるのは日本人にとっては「やったー!」って気分があるのでしょうが、でも「最後は楽しんでリフレッシュしてから新たな年度を迎えよう!」という季節感を持つのも今からの日本人には良いことかも知れませんね。
今どき「おしん」のようなドMな人生ばかりが日本人の人生でもないでしょうしね(笑)。「雪に閉ざされた寒い寒い冬」なんて50年ほど前の中部、北陸、東北、北海道の話ですもんね。それ以外の地域では今どきそんな感覚は全然ないし、日本人ももっと季節や人生を素直に楽しめばよいのかも知れませんね。
私も努力するのは好きだし大切だと思っていますけど、苦しみに耐えることだけが人生に大切とは思いませんからね(笑)。そりゃあ楽しく過ごす方が良い人生に決まってますし、楽しく過ごすために努力するんじゃないでしょうかね。その方が精神的にも健全でしょう?(笑)
震災の被災者の方々や原発事故の周辺の方々の身の振り方についても同じことが言えるんでしょうね。日本人の感覚でいえばこんな大変なことがあっても住み慣れた地元にこだわって、どんな苦労があっても、どれほど経済的にどん底になっても、それに耐え忍んでそこで再開させることが多くの人に誉めてもらえることなのかも知れません。
しかし欧米人ならさっさと別の場所に移って身軽な状態から新たな第一歩を踏み出そうとするでしょうね。それは日本人の感性では許せないことかも知れませんが、しかしまわりの人間が被災者に対して地元に残って尋常ではない苦労を強いること、そしてそれを「よく頑張ったな」と誉めることだけが本当によいのかどうかは今一度考える必要があるのではないかと思います。
被災者にだってより良い人生を送る自由と権利があるはずで、その方々がどのような判断を行ってどのように行動しようと、それをまわりの第三者がとやかくいうべきではないと思いますね。彼らには彼らが最善と思うことを行って欲しいと願っています。だって人生一度キリだし、それほど長い人生でもないのですからよりよい将来を求めて欲しいですよね。
とりあえず秋入学をきっかけにして日本人のドM人生観をなんとかしましょうか(笑)。「冷やし中華はじめました」の歌みたい「幸せになるかどうかわからへんけど、とりあえず不幸にもめげず一生懸命やってます」って人生はホント日本人の琴線に触れるんでしょうけど、もっと素直に楽しんで幸せを求めてもいいんじゃないでしょうか(笑)。
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