まひるの海 (Big comics ikki) (2002/04) 比古地 朔弥 商品詳細を見る |
比古地朔弥(ひこち・さくや)というマンガ家を知っている人は、まだそれほど多くないはずだ。寡作だし、とくにヒット作もない。しかし、一部のマンガ好きの間では、「次代を担う青春マンガの星」として熱い期待を集めている描き手なのである。
私も、比古地の初単行本『神様ゆるして』(BSP/99年刊)でガツンとやられて以来、彼女に注目している1人である。
『神様ゆるして』はじつに素晴らしい作品だった。兄妹の近親相姦というきわどい題材を扱いながら、哀切無比の青春マンガになっていた。親元から逃げ出し、都会の片隅で寄り添うように暮らす兄妹の姿は、さながら「裏返しの『火垂るの墓』」であった。
その『神様ゆるして』以来なかなか本が出なかったのだが、さきごろ新旧2作がたてつづけに単行本化された。新作のほうは、今年の春まで『ビッグコミックスピリッツ増刊IKKI』に断続的に発表されてきた『まひるの海』(小学館)。旧作のほうは、デビュー以前に同人誌に発表された幻の傑作『けだもののように/学園編』(太田出版)である。
『けだもののように』というタイトルは、なんだかいかにも鬼畜系同人誌風だ。ま、じっさい性描写もふんだんにあるのだが、凡百の鬼畜系同人誌マンガの中身のなさとは一線を画する、重い余韻を残す青春マンガになっている。
性的に奔放な謎めいた美少女・ヨリ子が転校してきたことで、舞台となる中学校が大きく揺れる。生徒たち、果ては中年教師までが、次々とヨリ子の魔性の魅力の虜になっていく……というのが物語の骨子。
これだけでは安手のポルノのようだが、比古地朔弥は、ヨリ子に恋をしながら最後まで肌を合わせない純情少年・一太を主人公に据え、彼の視点から物語を進行させることで、この作品を薫り高い青春マンガにしている。メジャー・デビュー前の作品だというのに、語り口は堂々たるものだ。
一方の『まひるの海』は、『けだもののように』のいわば発展形であり、同じ主題の変奏である。こちらは逆に、主人公の少年が舞台となる南の島に出かけていき、そこに住む奔放な美少女に恋をする物語。ヒロイン・まひるは、顔つきもキャラも『けだもののように』のヨリ子とそっくりだ。
夏休み。とある島のマリンショップで住み込みのバイトをすることになった高校生・歩が経験するひと夏の出来事……と、この作品もまた骨子はありふれたものだが、語り口のうまさと各キャラのリアルな描き分けで、読者を引きこんで離さない。
骨子だけ聞いて、テレビドラマの『ビーチボーイズ』を思い浮かべる向きも多いだろう。しかしこれは、『ビーチボーイズ』のような、美青年と美女と美少女と渋い中年だけが出てくる嘘臭い青春ドラマ(スイマセン、あの手のドラマに偏見もってます)ではない。
この『まひるの海』には、青春の美しさだけではなく、セコさ・醜さ・救いようのなさまでが、きっちりと描かれている。
たとえば、妻帯者のくせに島に遊びにくる女の子をナンパしまくるマリンショップの店長、男漁りに余念のないブス…などというキャラまでが、ずしりとしたリアリティで描破される。だからこそ、その中にキラリと光る青春の美しさが読む者の胸を打つのだ。
「混在するダークとピュア。心をえぐるひと夏の恋」――これは単行本の帯につけられた惹句だが、この作品の本質をついた優秀なコピーだと思う。
また、誘われるままに誰とでも寝てしまうまひるのキャラクター造型も、従来の青春マンガのヒロイン像とは一線を画する。そのまひるに翻弄される歩の姿が、読む者に切ない。
とくにラスト、歩とまひるの別れを描いたシークェンスの切なさ・美しさといったら…。ネタバレになるのでどんな場面かは書かないが、「マンガ史上に残る」といっても過言ではない甘美な名場面である。
比古地朔弥は、たとえば山本直樹や岡崎京子のように、一時代を築くカリスマに大化けする可能性を秘めた大器である。絵柄が古臭い点がやや難ではあるけれど…。
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- 比古地朔弥『まひるの海』ほか