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 人類は、生命進化によって「脳」を大きく発達させることで、高度な知能を手に入れたといわれます。

 私たちが常にこうして色んなものごとを考えたり、複雑な社会生活をいとなんでいるのは、まさに発達した脳による賜物でしょう。


 でも、それとはいわば全く逆に――、本来の私たちは果てしない知覚によって無限の叡智につながっていて、それを大きな脳が「遮断・制限」しているという考え方もあって、とても面白いなと感じますね。


 ブログでときどき引用する脳神経外科医で臨死体験者のエベン・アレグザンダーは、こんなふうに語っている――

 「私たちが身体にいる間は、背後にある広大無辺な次元を『脳』が覆い隠してしまう。
 左脳にある、分別や自我の意識を抱かせる部分は、高次元の知識や体験を得るうえでの妨げになっている」

 「脳は、本来の広大な意識を、身体にいるわれわれが許容できる範囲に制限する“フィルター”として働いている。
 この世界から見れば、それにははっきりした利点がある。
 周囲からなだれ込んでくる情報をろ過し、生存に必要なものを選り分けてくれる。そのお陰で、物質を超えた自らの本質を忘れた状態で、自分が今いる場所に効率的に集中することができるわけだ」



 同じくエリート脳科学者のジル・ボルト・テイラーも、自らが脳卒中に襲われて左脳の機能が壊滅したときに――、
 周りのあらゆるものと境界なくひとつになるという、信じられないような平安に満ちた至福の世界に包まれた。

 それは愛の光が注ぐ、言い表せないほど美しく荘厳なところであり、私たちがいるこの世の真の姿であったという。
 このとてつもなく素晴らしい空間のことを、同氏は親密さを込めて「ララ・ランド」と呼ぶ。

 彼女の体験は、さまざまな覚者が語る「ニルヴァーナ」の様相にも共通しているし、最近よく言われる「ノン・デュアリティー」の世界ですよね…。


 最近読んだ「なぜ人は生まれ、そして死ぬのか」(バージニア大学客員教授・中部大学教授 大門正幸著)の本の中にもこんな一文があった――

 「心霊研究協会の創設者の一人であるフレデリック・マイヤーズや、アメリカ心理学の父ウィリアム・ジェームズ、作家のオルダス・ハクスリーらは、脳の役割を一種の“ろ過装置”のようなものだと考えた。
 哲学者のチャーリー・ブロードは次のように語っている――
 『人間はどの瞬間においても、自分の身に生じたことをすべて記憶することができるし、宇宙のあらゆるところで生じることをすべて知覚することができる。脳の機能は、この巨大な量の知識のために我々が押しつぶされ混乱を生まないように守ることである。
 放っておくと我々が知覚してしまう大部分のものを締め出し、わずかな量の、日常的に有効そうなものだけを特別に選び取って残しておくのである』」

 これは、脳神経の専門家であるアレグザンダー氏の見解とも、かなり共通していますよね。


 もう一つ、最近読んだ「彼岸の時間」(明治大学情報コミュニケーション学部准教授 蛭川立著)という本に、著者自身がアマゾン奥地のシャーマンの儀式に参加したときの神秘体験がリアルに描写してあった。

 「あちらの世界へ旅する」というその儀式が始まると、やがて色とりどりの光が現れ、意識が暗闇の中へと落ち込んでいき、自分の身体が死体のように感じられたそうだ。
 そして妖精のような歌声とともに、自らの深部からわき上がる映像が次から次へと展開されていった――

 「今までの人生の記憶の中で、とくに『自分の傲慢さ』を象徴する行為が、次々とビジョンになって現れては消えていった。その一つひとつは取るに足らない、些細な出来事なのだが、その背後には『行為の主体がこの自分だ』という、一貫した“思い違い”があることがよく分かった。
 自我という傲慢な構造が、その思い違いを手放すことに抵抗し、恐怖を生んでいるのだ。その自我というものを手放し、ただ大いなる力にすべてをゆだねれば良いのだ」


 するとやがて目の前に、天使のような青年が現れて、天国へと連れられて行った。
 そこではたくさんの人々が楽しそうに漂い、光のまばゆさにひたすら圧倒されるだけだったという。
 そして天使のような青年から、「地上に戻って、この世界のことを伝えるように」と言われた。そのとき著者はこんな率直な疑問を投げかける――

 「妙な話だ。そもそも天国というものがあって、そこで楽しくふわふわと暮らせるのなら、なぜわざわざ、あんなに不完全な地上世界で面倒な人生を送らなければならないのだろうか。僕は反論した。
 しかし天使のような青年は、人は誰でも地上でやらなければばらない仕事があるので、それを終えてからでないと天国へ来られないのだと言う。
 冷静に考えると、説得力のある答えとは言い難いのだが、そのときはただ納得するほかなかった」――

  これは、臨死体験者の話にも近い内容ですよね。
 「あの世で得た真実への理解は、この世に持ち帰ることができない」と証言する人もいます。

 このような一般に「超常的」とされる意識レベルについて、著者は本の中で、「われわれは初めから全宇宙の情報を知覚していて、脳はその中から不必要な情報を『忘却』させることによって情報量をコントロールする働きをしている」という説を紹介している。


 また、ここでとても興味深いのは、「自我」の感覚についてだ。

 自分が人生でしてきた「傲慢」な行いや、「恥」とかをまざまざと振り返るのは、ちょっと身もだえてしまうほど嫌なことだろう。
 でも実は、そうした「行為の主体がこの自分だ」という認識というのは、単なる“思い違い”にすぎないのだと…。

 つまりは、その「自分が行っている」とか「自分が存在している」という根強い思いそのものこそが、傲慢さにほかならないのだと…。


 もちろん、周りの世界から分離した個としての「自分がいる」という、疑いようのない強固な感覚によって、この世界でのさまざまなリアルな経験が可能になるという側面もある。
 そして「自分が今いる場所に効率的に集中」したり、「地上でやらなければばらない仕事をする」のに役立つこともあるはずだ。


 でも、アレグザンダー氏が「分別や自我の意識を抱かせる部分は、高次元の知識や体験を得るうえでの妨げになっている」と説くように――、
 脳が、個としての「自分がいる」と認識する(そう思い違いをする)機能こそが、私たちの「苦しみ」や「恐れ」を生じさせるまさに根本原因なのでしょう…。

 苦しみや恐れのすべては単なる「脳の問題」であり、真実は全くの「ノー・プロブレム!」なのです。


 でもそう言うと…、
 大事な問題を問題としてとらえず、自分の傲慢さや恥をきちんと自覚しないような身勝手な人が増えて、社会が無茶苦茶になってもいいのか? なんて意見もたいてい出てくるものだ――。

 でも、個としての「自分がいる」という感覚を脳に生じさせたり、機能停止させたりする選択権は「私たち自身には一切ない」ということも、そもそもの根本的なポイントであり、「この世界のよくできたところ」でもあります…。


 その点も含め、「よくできているなぁ」と思いながら生きるのが、いい案配なのだろうと感じますね!




 結びのヒーリング・ミュージックは、結びのヒーリング・ミュージックは、Llewellyn「The Healing Pool」。
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コメント
9007
脳だけでなく
最近は「腸」にも関心が高まっているようです。バクテリアの数とか、セロトニンに関する情報とか。「ビフィズス菌」だけでなく、ホルモン分泌に関わる腸の重要さとか、案外、人類は「脳」だけで生命を管理しているわけではないらしい。私には、ちょっと微笑ましい情報ではあります。

9008
ごんのすけ様

 こんにちは!

 「腸は第二の脳」というのを、最近よく聞きますね。
 要は第2チャクラ(ハラ)なわけですから、自らの存在に深くかかわるところなのでしょう。

9009
サレンダー
光奈さん、こんばんは

先日参加した講演会でこんな話を聞きました。

曰く
人間がある行為を起こしたとして、当の本人は自分が「○○を行う」という意図を生み出しそれから行動を起こしたと思っているが、実は行為を起こした0.6秒後に左脳にある『インタープリターモジュール』が意図を生んでいる事がわかってきて、最先端の脳科学研究者達を戸惑わせているというのです。
(私自身なんとなくしか理解出来ていないのでこの記述が間違っていたらごめんなさい)
つまり、自分では(水を飲もう)という意思が先にありコップに手を伸ばして水を飲んだつもりでも実は意思が生じる0.6秒前に既にその動きは開始されている・・・(という理解でいいのでしょうかね)
もし、それが本当ならばもう私たちにコントロール出来る事なんて何もないです。
こりゃ完全にお手上げ。
”心臓の拍動は自分の意思では止められない”
くらいのしょうがなさで行動までも!?
そしてエベン・アレグザンダーの記述には「最終的には全て愛で守られているから何も心配いらない」
ならばもう降参して私たちは全てをゆだねて安心して生ききるしかない
というところに落ち着くのでしょうか?

ますます面白い時代になってきましたね

9010
fijiwara様

 こんにちは!

 「行動が先で、それをしようとする意志のほうは実は一瞬遅れて出てきている」という脳科学の話は、僕も最近どこかで聞きいたことがあります。

 「思考活動」なんて、その典型なのでしょうね。
 自分自身で「次はこれを思考しよう」という選択なんかしてないのに、思考内容が瞬時にどこかから勝手にわき出てきて、そしてそれを「自分の意志で考えている」と誰もが信じ切っている…。


 きっと、先に行動を生じさせているエネルギーは、宇宙全体に普遍する「ひとつ」のものでしょう。
 「自分の意志で行動しているのだ」という後付けの感覚のほうが「分離」しているのだとも思っています。


 またアレグザンダー氏は、私たちが「自由意思」を持っていることには肯定的な見解のようです。
 一方、臨死体験のときに天国に行って受け取ったメッセージは――

 「あなたは永遠に深く愛されています」
 「恐れるようなことは何もありません」
 「あなたのすることには一つも間違いはありません」

 ――の3つだそうです。

9011
表と裏の構造はフィルター仕様?
最先端の宇宙物理学的な見解を、
『真理の表』しか見ていないと表現する学者がいます。
(真理には表裏があるという考え方)

意識(宇宙微子、ブラナ)では?と思われている
ダークマターの実態が解明できないのは、
物理学者が左脳しか働かせていないからとか‥‥。
個人的には「なるほど!‥」と腑に落ちました。

本日のテーマも、
脳というフィルターを使って、
裏面の真理である“高次元の知識や体験”を、
あえて妨げてもらってるということでしょうね。

ですが、このことを知っている、知らないには、
地球での暮らしには天と地ほどの開きが生じますよね。

「ノン・デュアリティー」は、
解釈の仕方で人を翻弄もしますが、
広大さんのおっしゃる通り
『「よくできてるなぁ」と思いながら生きる』が、
最高でしょうね。(´ー`*)ウンウン


9012
風子様

 こんにちは!

 ノン・デュアリティーって(ワンネスやアドヴァイタ、不二一元論も同様でしょうけれど)、理解・解釈しようとしても全く無理なのでしょうね。

 個の自分がそれになることはそもそもできないし、その知識とかがこの現象世界で役立つことも何ひとつない…。
 本当に、「よくできているなぁ」と単に眺めるほかないです。


 『わかっちゃった人たち』という本に出てくる、一瞥体験をした人のこんな言葉がとても好きですね――

 「意識がこうして本当にあるなんて、まったく信じられない。意識が存在していなくて、『空っぽの無だけ』という可能性だってあったわけなのに。
 見たり、聞いたり、ものに触れたりできるというのは実に驚くべきことだ。起こっていることが奇跡的に見える!」

9013
脳プロブレムに座布団一枚?
脳プロブレムな話

知人が、バスケの試合中に脳梗塞で倒れました

成長期だった為 頭蓋骨を半分お腹に入れ
半年後に 大きくなった部分を削って 戻す手術をしました

知人の話によると、倒れて、目が開けきれなくて、声が出せず動けなくても意識があり まわりの声が聞こえ
医者の話す「一生寝たきりの可能性も高く・・」の話に
「嘘でしよう?」と意識が確実に存在していたそうです

家族が、体をさすってくれ、声かけてるのがわかり

学校に行きたい!勉強がしたい!あんなに嫌いだった日常を取り戻したい一心でリハビリを頑張った結果、希望の大学に推薦入学

知人の話によると 時間が経つにつれ 「部活がきつい・学校行きたくない」気持ちが形を変え 願いが叶った状態だったと思ったとか・・
会社で、右手だけで仕事をこなしている頑張り屋

明日は、いよいよセンター試験ですね
56万3768人が志願し
現役生は、過去最高の43・4%が志願
まさに、受験ビジネス

「怖くなった…」と不安そうに言う息子に
「ノープレヴぅブレム」とかんでしまった
みんな一緒
テストこそ
すんだ問題を振り返えらず、次にむかう

長女の時は、あんなに不安だったのに
今の落ち着きは

「あなたは永遠に深く愛されています」
「恐れることは、何もありません」
「あなたのすることには一つも間違いはありません」

「わかっちゃった人たち」の影響をうけています

9014
T様

 こんにちは!

 へーっ、世の中には本当に立派な方がいらっしゃいますね。
 身体が不自由であることは、健常者には想像できないくらい大変なことに違いありません。
 でも、日常の真の貴重さを見いだせたことを、ご本人はとても幸せに思われているかもしれないです…。


 明日のセンター試験を皮切りに、しばらくして私大の入試ラッシュが続きます。(息子はのん気に、いまテレビで「天空の城ラピュタ」を見てますけど…)

 2か月後にはすべてが決まっているけど、今の時点ではまだ何も分からない――
 そういう決定する前の一時期って、僕はなぜか好きですね。

9015
光奈さん、こんばんは。

近所に住む姪っ子は今日明日とセンター試験です。
受験合格を願い、手作りの小さな絵手紙絵馬を3枚あげたのですが、
他にもらったお守りと一緒に全部試験会場へ持って行ったそうです。

おとといには母が、昨日には私が、偶然姪っ子と道で会い
がんばれ!と励ますことができました。
直接声をかけたかったので、ちょうどよかったです。

2か月後の姪っ子はどうなっているのでしょうか。
どんな結果でも、姪っ子にとって一番良い結果なのだと思っています。

『天空の城ラピュタ』といえば、姪っ子が6歳の頃に
ヤマハのエレクトーンの大会で弾いた曲です。
県大会まで進み、私も何度も会場へ応援に行きました。
当時、洋裁クラブに所属していた私は不器用ながら
曲に合った青いステージ衣装を作ってあげました。

大会後の食事の時に、姪っ子の『○○ちゃん(自分)が一番上手い』
の発言に『○○ちゃんが一番上手いわけではないと思う』
と正直に言ってしまい、姪っ子に泣かれてしまいました(笑)。

楽しい思い出多き姪っ子の人生、これからも応援していきます。

9016
あおむし様

 こんにちは!

 うちの息子もセンター試験には、合格祈願のメッカ(って変な言い方だな…)北野天満宮の鉛筆を持っていきました。

 今年の国語の問題文が、「リカちゃん人形」についての内容だったそうです。
 こういうのも時代ですね…。

9017
歳とるわけだ^^
こんにちは

えっ!光奈さんの息子さん、今年センター試験ですか!?(^^!)

たしか「高校受験です」などという記述をリアルタイムで読ませて頂いた様な気がするのですが・・・

月日の早さに愕然としてしまいました
(でも子供たちが育って行くのってたのしい!)

息子さんにとってもいつも最善の結果が現れますよね^^

9018
fijiwara様

 こんにちは!

 そうなんですよ~。このブログを始めたときは、息子は中学生でしたから…。

 そのうちに就職活動の話題なんて出てくるかもしれないです。
 そうして時代が移っていくのですね。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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