こんにちは。 光奈広大(みつな・こうだい)といいます。
つい昨年までサラリーマンをしていましたが、大きな決心をして、長く勤めた会社を辞めました――。
「金持ち父さん」とか「黄金の羽根」と呼べるレベルでは到底ないけれど、家族の生活をしばらくは維持していける程度の蓄えはあるので、今は何の肩書きも予定も持たず、24時間・365日を自分の自由に使うという、大方の40代男性なら経験しないような人生の一時期を楽しみながら過ごしている。
でも、日々好きなように生きるといっても、僕にとって真に心地良いと感じるのはどんな時かといえば、海外旅行とか消費活動ではなく、実につましいことに「普通の日常生活」である…。
朝は早めに起きて澄み通った空気を味わい、家の中をすっきり片付けて洗濯物をババッと干し、あっさりしたシンプルな家庭料理を作ったり、テレビやケータイなんか見ずに魂に呼びかけてくるような本を読んだり、自然の中をウォーキングしたり、自室で静かに座禅をしたり、たまにうつらうつら昼寝したり、週に一度ヨガ教室に通ったりと――。
そんな飾り気ない穏やかな毎日を繰り返していると、「あぁ、こうしてしっかりと地に足をつけながら、今の人生をまっとうしているな」と、惑うことなく確信できてくる。
そういう中で行き当ったのが、ヨガの一分野である「カルマ・ヨガ」というもの。これは、「日常のあらゆる行い」をヨガとしてとらえ、小さな活動の一つひとつに最善を尽くすことによって、自らを浄化して意識を向上させていくという考え方だ(ちなみに「カルマ」という言葉は、単に「行為」の意味)。
これを知って、自分がしたいのを突き詰めると、要はこういうことなのだなと感じた。
もっとも本来のカルマ・ヨガは、無私の奉仕精神で自らの仕事に献身し続けるという、厳しい態度で臨むものらしい。僕みたいに、勤労世代の真っただ中で会社を早期リタイアして、平日昼間から気楽に外をウォーキングしているようでは、はなから論外である。
ただ「十字架の道」的な厳しい修行の考え方は、やはりもはや旧式と言えるのではなかろうか…。
日常に接する人や行う物事のすべてを、「喜びや愛を表現するための機会」「本当の私を見出し、ワンネスの意識へと進化する大切なきっかけ」というようにとらえて、楽しみながら日々流れにゆだねていくほうが、みずがめ座の恩寵時代にふさわしいんじゃないかなと思う。
――というわけで、僕にとってのカルマ・ヨガ的な日々について、少しずつ書き連ねていきたいと思います。
「こんなのはカルマ・ヨガではない、暇な主夫の身辺雑記じゃないか!」なんて指摘されそうだけど、「この人は自己流のヨガをやっているんだな」くらいに思ってもらえればうれしいですね。
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つい昨年までサラリーマンをしていましたが、大きな決心をして、長く勤めた会社を辞めました――。
「金持ち父さん」とか「黄金の羽根」と呼べるレベルでは到底ないけれど、家族の生活をしばらくは維持していける程度の蓄えはあるので、今は何の肩書きも予定も持たず、24時間・365日を自分の自由に使うという、大方の40代男性なら経験しないような人生の一時期を楽しみながら過ごしている。
でも、日々好きなように生きるといっても、僕にとって真に心地良いと感じるのはどんな時かといえば、海外旅行とか消費活動ではなく、実につましいことに「普通の日常生活」である…。
朝は早めに起きて澄み通った空気を味わい、家の中をすっきり片付けて洗濯物をババッと干し、あっさりしたシンプルな家庭料理を作ったり、テレビやケータイなんか見ずに魂に呼びかけてくるような本を読んだり、自然の中をウォーキングしたり、自室で静かに座禅をしたり、たまにうつらうつら昼寝したり、週に一度ヨガ教室に通ったりと――。
そんな飾り気ない穏やかな毎日を繰り返していると、「あぁ、こうしてしっかりと地に足をつけながら、今の人生をまっとうしているな」と、惑うことなく確信できてくる。
そういう中で行き当ったのが、ヨガの一分野である「カルマ・ヨガ」というもの。これは、「日常のあらゆる行い」をヨガとしてとらえ、小さな活動の一つひとつに最善を尽くすことによって、自らを浄化して意識を向上させていくという考え方だ(ちなみに「カルマ」という言葉は、単に「行為」の意味)。
これを知って、自分がしたいのを突き詰めると、要はこういうことなのだなと感じた。
もっとも本来のカルマ・ヨガは、無私の奉仕精神で自らの仕事に献身し続けるという、厳しい態度で臨むものらしい。僕みたいに、勤労世代の真っただ中で会社を早期リタイアして、平日昼間から気楽に外をウォーキングしているようでは、はなから論外である。
ただ「十字架の道」的な厳しい修行の考え方は、やはりもはや旧式と言えるのではなかろうか…。
日常に接する人や行う物事のすべてを、「喜びや愛を表現するための機会」「本当の私を見出し、ワンネスの意識へと進化する大切なきっかけ」というようにとらえて、楽しみながら日々流れにゆだねていくほうが、みずがめ座の恩寵時代にふさわしいんじゃないかなと思う。
――というわけで、僕にとってのカルマ・ヨガ的な日々について、少しずつ書き連ねていきたいと思います。
「こんなのはカルマ・ヨガではない、暇な主夫の身辺雑記じゃないか!」なんて指摘されそうだけど、「この人は自己流のヨガをやっているんだな」くらいに思ってもらえればうれしいですね。