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加藤陽子、「天皇は戦争責任の被害者」史観を語る

●加藤陽子、血液型占い史観を語る

 遅ればせながら、「超世代文藝クォリティマガジン」と称する『en-taxi』(扶桑社が年3回出版する福田和也のゼミ雑誌的な媒体)の最新号(vol.29)に、加藤陽子・佐藤優・福田和也の鼎談が掲載されているのを発見した。タイトルは「笠原和夫の『昭和天皇』から読む――皇室の母性と天皇の超越性」(強調は引用者による。以下同様)。加藤が「論壇」における自らの存在感を肥大化させるために佐藤や福田のような連中に全力で媚を売れる人物であることは以前から知っていたが(▼1)、まさかここまで素でホラーだったとは。


福田 〔裕仁が〕皇太后に戦争に負けますよという話をしたのは四五年六月十四日です。六月までは、まだ戦争をやめる気はなかったんだと思います。三月の東京大空襲で、もうまずいとは思っていても、そこまで腹は括れてない。で、六月に観念していく。皇太后に話をしに行こうとしますが、気持ち悪くて倒れて、吐いたりして、もう大変な思いをする。「文藝春秋」に掲載された「小倉庫次侍従日記」に書かれていますね。

加藤 天皇は、軽井沢への疎開を皇太后に薦めるのですが、脚本〔笠原和夫著『昭和天皇』〕では、「動くつもりはありません」「国民に対して、卑怯なことだけはあたしはしたくありません。その話はもう結構です」と、皇太后は、にべもない。天皇は、そのような厳しい人に、自分の代で戦に負けるかもしれないと告げなければならない。うちの夫は天皇と同じAB型で恐母でもあるためか、昭和天皇のこのつらさはよくわかるといっていました。

(一同) (笑)(pp.215-216)


 ・・・・・・「『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』がそれでも売れるわけ」(『en-taxi』を見て思い出したが、そういえば未完)で、私は加藤の言説と歴史修正主義の親和性を指摘しようとしてきたが(▼2)、どうやら加藤の言説は血液型占いとも相性抜群だったようである。こんな人物が「歴史学者」として通用している「論壇」とはいったい何なのだろうか(▼3)


●加藤陽子、「天皇は戦争責任の被害者」史観を語る

 さて、「(一同) (笑)」の後、鼎談は一挙に霊的世界へと雪崩れ込んでいく。


佐藤 皇太后にはやっぱり一つの大きな霊力みたいなものがあったんですよね。

福田 貞明皇后は、大正天皇の体が不調をきたすようになってから信仰にのめり込んでいき、祭祀を重要視するようになったと言われていますね。そこから、信仰の面で皇太子との確執が生まれるようになったと。

佐藤 僕は、この貞明皇太后の感じというのは皮膚感覚でよくわかるんですよ。これは沖縄だと聞得大君(きこえのおおきみ)です。〔中略〕(p.216)


 「皇太后にはやっぱり一つの大きな霊力みたいなものがあった」、「僕は・・・皮膚感覚でよくわかる」などという佐藤の信仰の表明は、単に天皇制(主義者)の気色悪さを際立たせているだけではないかと私には思えるが。けれども、この鼎談の恐ろしさは、福田と加藤が佐藤の独り勝ちをまったく許していないことにある。とりわけ裕仁を「陛下」と呼ぶ加藤の天皇制主義者ぶりは壮絶だ。


加藤 脚本では、マッカーサーは最初はちょっと傲慢な感じで、陛下が「すべての罪は私にある」と言った途端に「すべて陛下のお力添えによるものです」と、態度を変えるように描かれる。そこを国体の転移とみて、すべての精神の接受がなされたとみる。

佐藤 そうです。そしてこの昭和天皇の、すべての罪を一身に、というのは完全にキリストですよね。〔中略〕罪なき者が罪を背負うという構図、キリスト教文化圏の人にはわかりやすい。

加藤 日本というのは、昔から、日清戦争では清から賠償金をもらい、日露戦争ではロシアから東清鉄道をもらい、第一次世界大戦ではドイツから南洋諸島をもらい・・・・・・という具合にお金と物でもらってきたから、戦争責任というのは、基本的には敗戦国民全体が経済的に負うものだという考えが骨身に染みていたわけですよね。

 ところが、戦争中のアメリカからの宣伝もあって戦争責任を負うのは指導者だけでいい、との考え方が入ってくる。と同時に、そうした考えが自然なものとして受け入れられていくのは、空襲なり艦砲射撃なりがあって、防空壕のなかが真っ黒焦げになるというような被害が全国にあったからですよね。たとえばイギリスであれば、公共の防空壕を掘るのは国の仕事でした。だけど、日本は、個人の仕事として防空壕を掘らなければならない。だから軍の国防はあっても、民の防空はないという状況だったわけです。そうなると、戦争の悲惨を味わった国民感情として、戦争責任を具体的な個人が負うのを見てみたいという、復讐の気持ちが出てきたのかなと思うんです。(pp.221-223)


 前半の加藤の台詞は、残念ながら(幸い?)私には解読できないため、やむを得ず割愛するが、裕仁には戦争責任すらないと二人が考えているらしいことは極めて重要である(加藤の場合はそのように断言しているわけではないが、佐藤の発言を特に批判してもいない)。裕仁をキリストに喩える佐藤の妄言と比べれば、ヒトラーをキリストに擬える方がまだマシなのではないかと思うのだが(少なくともヒトラーは「戦後」を生き延びなかった)、仮に(「キリスト教文化圏」の)ドイツでそんな暴言を吐けば、どんな「論壇の寵児」も超絶レイシストとして言論界から即刻追放されるだろう。まったく日本はレイシストの楽園である。加藤にいたっては、日本国民による裕仁の戦争責任の追及を「復讐」とまで誹謗しており、裕仁がアジアに対する植民地支配・侵略戦争の責任を「不当」に問われる「被害者」であるという、倒錯し切った歴史観を展開している。血液型占い史観を恥ずかしげも晒してくれる加藤にとっては、歴史的事実というものは始めから科学的な検証の対象ではないのかもしれない。

 キムチョンミ氏が、「「竹内好の言説の一部分をとりだし、「今となってはチャンコロ時代がなつかしい」などという暴言を無視して、肯定的に語る文筆者が、「大逆事件」一〇〇年後においてもなお、あとをたたないのは、日本の思想状況の悪質さを示す事例のひとつである」(▼4)と指摘しているように、「日本の思想状況の悪質さを示す事例」は、現在出版されているどのような雑誌を読んでも見つけることができるだろう。

 佐藤優や加藤陽子の言説の一部分をとりだして、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」(佐藤)、「みずからが救われるかどうかという感覚、これに突き動かされて征韓論は主張された」(加藤)などという侵略を正当化する暴言の数々を無視ないし容認して、肯定的に語るリベラル・左派の居直りも、竹内好をもてはやしている人々の欺瞞と同様、とりわけ許してはならないものである。

 というわけで、次回から岩波書店批判シリーズを開始する。


▼1 その初期の例としては、『文藝春秋』2005年6月号に掲載された加藤の書評、「佐藤優『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』」など。面倒なのでいちいち突っ込まないが(文章も非論理的で意味不明な箇所が多い)、加藤にはそもそも書評と媚の区別がついていないのかもしれない(強調は引用者による)。


 深すぎる学識と的確すぎる表現によって、俎上に上げられた書物を語り倒してやまなかった、華麗なる三悪人による鼎談書評が先月で終わってしまった(注:『文藝春秋』誌上で連載されていた鹿島茂・福田和也・松原隆一郎の三人による鼎談形式の書評のこと)。読書は豪奢な体験なのだと骨の髄まで読者にわからせてくれた先生たちは、生ける風俗資料、キャバレー「ハリウッド」見学と称して夜の街に消えておしまいになった。ならば、先生たちが休息しタメを作り英気を養い再び戻ってこられるまで、しばし留守番をつとめることとしよう。

 今月の留守番のお供は佐藤優『国家の罠』(新潮社)。副題の「外務省のラスプーチンと呼ばれて」の文字を読めば、読者はあの「鈴木宗男事件」で二〇〇二年五月逮捕されたロシア専門家の外交官(外務省国際情報局第一課主任分析官)かと気付かれるだろう。〔中略〕背任といま一つの容疑で起訴された著者は、東京拘置所に勾留されること五一二日、今年二月一七日の第一審で、懲役二年六ヶ月執行猶予四年の判決を受け、即日控訴していた。落胆も怒りもせず昂然たる表情で逮捕された人物は、塀の中の長い生活を経て、何をその手記で語ろうというのか。〔中略〕いやしくもここ十数年、西側外交官としてトップレベルの対ロ情報活動に従事してきた人物である。一冊ぐらいのベストセラーの印税で溜飲が下がるレベルの暴露などするはずがない。

 著者が書いたのは、日本の国策レベルの話である。小渕政権下の九八年夏、官邸からの特命で、外務省欧亜局ロシア課の下にではなく、国際情報局第一課の下に「ロシア情報収集・分析チーム」がなぜ置かれなければならなかったのか。当時、自民党総務局長であった鈴木宗男氏の政治力はなぜ必要とされなければならなかったのか。〔中略〕

 この本は読んでいて実に楽しい。絶体絶命の場面で役立ちそうな洞察が満載されているからだ。いわく「利害が激しく対立するとき相手とソフトに話ができる人物は手強い」、「検察は本気だった。本気の組織は無駄なことをしない」云々。さて、国家がどれだけ人間に過酷になれるかを描きながらも、人間の偉大さをなぜかしみじみ語ってしまえる『死の家の記録』や『収容所群島』を生んだロシア、そのロシアを長年相手としてきた外交官であるからか、自分を担当した敵役・西村な尚芳検事とのやりとりを描くその筆致に独特の味わいがある。この魅力的な敵役を配したからこそ、国民のナショナリズムを刺激することによってではなく、玄人好みの政治手法で交渉困難な相手に対し国益の増進を図ってきた著者の姿勢が、正当かつ現実的なものであったとの印象がしっかりと読み手に伝わるのである。読後、表紙をよく眺めてほしい。霞ヶ関の外務省方向から、永田町の国会議事堂正面方向を撮った払暁の写真で富士山を遠くに配す。官僚、政治家、国家の絶望的な距離とともに、なおほのかな希望を感じさせる。 (加藤陽子著『戦争を読む』、勁草書房、2007年、pp.173-176)



▼2 扶桑社出版の「クォリティマガジン」に嬉々として登場している時点で、すでに語るに落ちている気もするが。

▼3 どうでもよいが、血液型占いを否定すると、「血液型占いが嫌いな人って、×型の人が多いけど、●●さんもやっぱり×型?」というようなことを言ってくる人が時々いる。あれも一体何なのだろうか?

▼4 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会:「一九一〇年・二〇一〇年 5」
 http://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/138a225a6dff68de716a99b088117705

Comments:2

maharao URL 2011-06-19 (日) 10:47

同じ新書版でも加藤陽子は論理が緻密だから叙述から学べますが、井上寿一の亜細亜主義論となると「誤りあらば正せ」の練習問題にしかなりません。天皇の戦争責任論の核心は国家意思の決定にかかわったか、否かでありましょう。
天皇の裁可なしにポツダム宣言受諾はありえず、国家意思の決定には御前会議が必要でした。この一事をもってしても御前会議の法的位置づけやら天皇無答責論やらを根拠にした天皇無罪論のばかばかしさが分かります。要は実質です。  

- 承認待ちコメント 2014-09-11 (木) 01:56

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