毎日書く人はそれだけでなんかもうあれなんですよね
※ちなみに、写真は本文に関係ありません。載せてみたかっただけです。ごめんなさい。
私はブログの更新頻度は高い方だと思います。知人には「毎日よくあんなに書くことあるよなあ」なんて言われます。しかも、私の場合は結構長文だったりもします。これまた知人には「どうでもいいけど、文章長げーよ」と言われたりもします。でも仕事ではまったく逆で、できるだけ短く書くことに命をかけてます。嘘です。命はかけてません。言いすぎでした。
でもまあ、広告では短い文章が要求されるのは事実でして、後輩が書いてきたコピーなんかでも、
「もうちょいさあ、これ、短く、ね、ならんかね、えーっと、この部分、うん、ここ、この部分、全体の中で必要かな、ね、必要ないよね、いらないよね、これカットしてね、あっ、これも、こうこうこういうふうに短くなるよね、ね、ね、それとね、こういうのは、結論からね、書いたほうがね、いいんだよね、読む人に親切だったり、ね、するでしょ、ね、そのへんを考えてね、もう一度書き直してみて」
なんてことをやっているわけで、そういう後輩がこのブログを見ると、
「先輩、言ってることとやってることがぜんぜん違いますやん」
というふうになるのですが、といっても私の職場は関西にはないので、こんなふうに後輩は話しませんが、まあ、そんな感じですので、逆にブログでは、今書いているみたいに無駄に長く書いてみたりしてしまうんです。そもそも、ブログの良さというか、ネットの良さって、字数制限のないところだと思いますし、そもそも、こんなふうな無駄に長い文章を書いていると、なんとなく気持ちよかったりするんですよね。
そんな更新頻度が高くて文章が長い私も、毎日は書けません。ブログをはじめた時は毎日書こうとは思ってはいたのですが、やっぱり無理だよなあ、無理、無理、なんてことになってしまいました。
毎日書くというのは、それだけですごいことだと思います。吉本隆明さんも「10年間、毎日やり続けると誰でも一人前になれる」と言ってますが、毎日欠かさず続けることは、それだけでたいしたもんだと思うんです。それは、やろうとしてやれなかったからこそ、すごく思います。やっぱり、毎日、仕事をしていると書けないことだってあるし、なんて言い訳をしてしまうんです。人間ってやつは。
広大なネット、といっても、私の観測範囲は日本語文化圏だけで、しかもかなり偏っているとは思いますが、そのネットの中には、毎日書かさずに書く人が5人ほどいて、その人たちの言葉を見るたびに、もうなんか、俺って駄目だよなあ、なんて思ってしまうんですよね。(しかし、こういうときだけ俺という一人称を使ってしまうのはどうしてなんでしょうね。)
もちろん、この話は誰にでも当てはまるものでもないし、個人メディアを長く続けるためには、自然体でやるのがいちばんだとは思うんですが、こういう毎日欠かさず続けることに価値を見いだしてしまったからには、これはもう、それを実践している方々には、無条件で「すごいもんだよなあ」と思ってしまいます。
で、こうして書いてみて思うのは、前半の広告現場で短くしろとディレクションするくだりは、本文の主題とは関係ないよな、ということだったりもするんですが、こういう無駄だらけの長文を書いてるとき、
「ああ、俺は自由だ。」
という感じになるんですなあ。不思議なもんです。職業病なんでしょうか。
まあ、このエントリの要約をすると、「なんだか疲れて今日はからっぽだけど、寝る前になんか書きたいから書きました」だったりしそうな感じもしますが、そろそろ眠くなってきましたので、もう寝ます。ではでは。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- Riskという概念(2019.10.17)
- 「同和」という言葉をめぐって(2019.10.07)
- 久しぶりにコメント欄が荒れた(2019.09.07)
- 父の死(2014.09.02)
- ラジオのこと(2014.08.29)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
思っていることを文章にすることが、mb101boldさんは好きなんだと思います。私はつぶやき・日記・コラムのジャンルの記事楽しんで読んでいます。あー人はいろいろなこと考えてるんだなあと思える記事って面白いですし。毎日同じことを続ける力はほんと凄いと同感です。
投稿: しばはな | 2009年7月23日 (木) 13:29
>私はつぶやき・日記・コラムのジャンルの記事楽しんで読んでいます。
それは書き手としてはすごくうれしいです。そう言えば、どうでもいいことがほんとは大切、みたいな歌がありましたよね。
投稿: mb101bold | 2009年7月23日 (木) 22:55