『世界一のクリスマスツリーPROJECT』について僕が考えていたこと
僕がこのイベントを知ったのは少し遅くて、Twitterのリツイートで流れてきた例の「冷笑」ツイートを見て、なんか嫌な感じのことをつぶやいているなあ、何があった、と少し不可解かつ不愉快な気持ちになって、それから2、3日後のことでした。リツイートでおぼろげながら例のツイートの理由みたいなものが分かってきて、少し時を遡って調べてみると、通常のしくじりや、Twitterで起こりがちな派手で面白そうなものごとに対する異論反論、嫌儲をベースとした批判等とは違う問題の複雑さが次第に浮かび上がってくるように僕には感じられました。
僕が調べ始めた時には既に所謂「炎上」になっていて、大勢の方々がそれぞれの思いで批判の言葉を投げかけていました。マスコミ等で今も引用され、イベント運営側が批判に対する反論として使われる「木がかわいそう」という言葉は、この初期のツイートを指しているのだと思います。この言葉は「生活のために木の命を消費しながら木がかわいそうと思うのは」という文脈で動物や植物の命を消費することで成り立つ生活者の欺瞞を指摘するキーワードとして使われているようです。しかし、その指摘は間違っていると思います。「木がかわいそう」という感情は、このイベントのシナリオから考えると人の初期反応としては当然であり、そう思うように仕組まれた物語に対する正常な反応に過ぎず、何ら責められるものではありません。
このイベントの主催者と共感する人たちの心の中には「木がかわいそう」という感情を憎む気持ちがあるように思います。そういう感情を抱く多くの大衆の心を変えたいという意図を強く抱いていると同時に、大衆をそういう誤った感情を抱く劣った存在として設定していて、その大衆を目覚めさせること、つまり主催者の言葉を借りれば「世界を変える」ことがこのイベントの主題の一つでもありました。
なぜ憎むのか。いくつかの理由は考えられるでしょう。希少植物を植物の生い立ちを含む物語を付随させた高付加価値商材として成り立たせるためには、ともに生きていくという前提を長い時間をかけて獲得してきた愛玩動物と違い、どうしても商材として生まれ変わるための必然として起きる植物の死を欺瞞として退ける必要があったのかもしれません。既存の盆栽や生花は、生命を消費するという原罪を引き受けた、あるいは前提とした文化ですが、生い立ちを含めた物語を付随させることでその前提は崩れてしまいます。よって「木がかわいそう」という感情を欺瞞とし、木は商材となっても消費者の心のなかで生き続けるものとしなければなりません。
その彼らの動機が象徴的であったのは、批判により中止となったアクセサリー『継ぐ実(つぐみ)』でしょう。このイベントにまつわる広告コピーワークは概ね稚拙なものでしたが、この『継ぐ実』というネーミングだけは秀逸でした。このイベントの真のコンセプトを正確かつ印象的に表現しています。いくら批判者側が本質は「木がかわいそう」ではないと否定しようとも、反論はそこに引き戻され決してその枠から出ることはないのだろうと思います。
僕はTwitterではこの件に触れませんでした。その理由は、多くの本質的な批判の言葉がTwitterに溢れていて僕がオンタイムで語る必然はないだろうと思ったこと、そして、既に槇原敬之さんのコンサートが始まっていて、神戸の大きなクリスマスツリーを素朴な気持ちで楽しみにしている人たちがいるということがあります。比較的ウェブに親和性がある僕でさえ、この物語ブランディングのシナリオの欺瞞を数日間知り得なかったわけで、多くの人たちが単なる賑やかなイベントとして消費するのは当たり前のことです。一般論として発信者側が知らせないことの罪はありますが、受け手である消費者が深く知ろうとしないことに罪はありません。
同時に、多くの批判によって主催者側の狙いを達成することはできない状態になっていました。つまり、契機は完全に失われていて、あくまで僕の判断ですが、批判をするならばイベント終了後に、あの時点においては、マスコミを巻き込んだ集客力の高いこのイベントをツメの甘い素人イベントとして事故なく終了させることが課題であると考えました。
それは多分に東京糸井重里事務所(現ほぼ日)の元社員でもある僕の個人的な事情も含まれていたと思います。多く人たちが沈黙し静観していたのと同じように、僕もまた沈黙、静観していました。強い批判を展開している田中康夫さんの元に主催者側の弁護士から警告文が届けられたとのことですが、あまり面倒なことに巻き込まれたくないなあという思いも正直ありました。その態度が卑怯であるという批判は受け入れます。
今回のイベントに対する批判では、被災地神戸という場所で行われたことに焦点が当てられています。当然のことです。これを鎮魂と言われると、被災された方がその傷を逆なでされる気持ちになる。それが人と言うものでしょう。このイベントに対して鎮魂という軸で不快感を表明することは正当であり、そこに疑問の余地はありません。ただ、遅れてきた批判者として、そこにこだわると批判の論点がブレてしまうのではないか、というのがこの原稿を書いている僕の考え方でもあります。
今回のイベントが被災地神戸ではない場所で行われていなければ問題がなかったのか。そうではないと僕は思います。富山県氷見の山火事を逃れたとする奇跡の木を“いのちの樹”と名付け、遠方への輸送を“生命の大輸送”と呼び、期間中に木を持たせるための植木を“植樹”と言い換えただけで、エンディングで用意されている死の物語に向けて準備されるセットアップとしては物語構成上、必要十分であるからです。つまり、今回の物語ブランディングにとっては震災の鎮魂は補強としてしか機能していません。また、“落ちこぼれのアスナロが神戸で輝く樹になる”という意味付けも物語の補強であり、その本質ではありません。
その悪趣味な補強こそ、批判者の感情の起点であるというのは間違いではないのですが、その批判に対しては「そんなに深い意味はないですよ」や「うまく感情移入してもらってうれしい」「震災の鎮魂は自分にもやる権利がある」といった反論で堂々巡りに追い込まれてしまいがちです。昨年の12月半ばに僕が書いた批判(月刊経済情報誌『ZAITEN』2月号に掲載)においても、そこは意識していますが、イベントが終了した今、その思いは強くなっています。遅れてきた批判者としては、その策に乗せられることでこの問題を矮小化もしくは風化させるわけにはいかないと思います。
第一には、このイベントの問題点は「物語ブランディング」と呼ばれる広告手法によってつくられた広告にあると僕は考えています。個人が資金を持ち出し、神戸市という地方公共団体や様々な企業が支援するという有志のボランディアっぽい雰囲気を装っていますが、純粋にその衣を剥ぎ取り、ひとつの広告として見た場合、もはや虚偽広告と言っていいくらい嘘ばかり、嘘という表現が強すぎるならば、真偽が確かではない情報を元に広告がつくられています。批判が大きく、かつ広範囲に広がり過ぎたためこのことを些細なこととして見られていますが、社会に対する広告の信用を考えるとき、決して小さな問題であるとは言えないでしょう。これを大目に見ることは広告の破壊行為であると僕は思っています。
この物語ブランディングは、構成として、まず初めに崇高な生の物語を示し、木の生命に過剰な意味付けを与え、十分に感情移入させた後、その筋書きを反転させるようにして死の物語が示されます。つまり、死の物語に相当なカタルシスを持たせたドラマタイズがされています。その物語に対して「アスナロを殺さないで」という感情反応がウェブで示されたわけですが、その反応に対しては「そう思った人は、その植物を思う気持ちを大切に生きていってほしい」という答えが用意されています。
この悪趣味な物語構成に対しては、様々な角度からいくらでも批評できそうな気がしますが、記述が難解になればなるほど現実的には為の論議になりがちですので、ここは例え話で論をすすめます。
この物語の類型としては、小学校や中学校などでも稀に行われている「いのちの授業」に当てはまります。生徒に後に食用とすると伝えずに鶏を育てさせて、育った後にシメて食べさせるというような教育です。これは現状では教育者が生徒の心を注意深くケアすることでかろうじて許容される教育法ではあるでしょう。このイベントを全面的に応援するとして特集を組んでいた『ほぼ日刊イトイ新聞』は“みなさんがこのツリーを見て、なにを考え、なにを思うか、それこそが清順さんの本当のねらい”と表現し、ウェブで起きた中止運動から神戸市に出された質問に対してイベント終了後に提出された回答でも、主催者の言葉を引用するように“学校では教えてくれないような植物のことを感じてもらう”と示されていました。
ここで「いのちの授業」が許容されるのであれば、このイベントの物語ブランディングも許されるのではないか、批判者は過剰反応なのではないかという疑問が生まれるでしょう。僕は許されないと考えています。「いのちの授業」が成り立つ条件は、その場が教育の場であることです。教育の場とは、先生と生徒、教える側と教わる側という非対称な関係が成り立つ場です。被災地神戸のクリスマスという高度に公共的な祝祭空間に、その関係が成り立つでしょうか。答えは否です。やるなら、教祖と信者という非対称関係が明確な宗教行事に類するものとして閉じる形でやればよい、そして、公共空間にその関係を成り立たせようとする試みに僕は市民として抵抗を示したいと考えています。
たぶん、これだけ批判が高まった今なお、主催者とその支援者は、そういう非対称な関係が公共で成り立つと考えているのだろうと思います。今回はしくじったけれども次はうまくいくはずだとも考えているような気さえします。その動機を支えるものは、我々前衛、つまりより深く物事を考え、知り、未来を見据えている者が、愚かなる大衆を導くべきであるという信念であるのでしょう。この信念に対する批判は、かつて吉本隆明が前衛党派、前衛知識人批判の文脈で行った大衆の原像についての論考を振り返れば足りるでしょう。あなた方は大衆の原像を見誤っている。大衆の原像を見誤った思想は、大衆によって唾棄される。僕が言いたいことは、それ以上はありません。
ここまで論考をすすめてもなお残ることがあります。それは、批判者の心に残り拭い去ることができない、グロテスクなものを見てしまったという忌避感です。この核心に迫るには、日本の社会思想史をたどる必要が出てくるだろうと僕は思っています。少なくとも僕には、この象徴化された死をモチーフとした物語に、死による魂の救済という思想の片鱗が見えます。それは宮沢賢治の『よだかの星』等にも見られるものですが、読むための自発性が求められる小説として書かれた物語に対して、実際のモノや人が動くコト消費として公共空間で示したことに、現代性を見ることができます。主催者の「嫌なら見るな」は反論としては成り立ちません。
ここ十数年の思想的な流れを見ると、「新しい公共」論が隆盛し、その後、東日本大震災が起きました。表面的には政府が機能不全になり、ある種の人々に無政府状態のような高揚感が生まれました。本来は公共が担うはずのことも個人が担う、担えるという空気が生まれました。それは、あの危機に対して一定の貢献はあったとは思います。しかし、それは危機で生まれた欠乏を緊急避難的に埋め合わせるものであって、あのときに際立った個人の力はある時点で公共に還元されなければなりません。あの頃の空気が永続的なもの、つまり、未来のあるべき形ではないと僕は考えています。
熊本の震災では、東日本大震災の経験を生かしてボランティアの仕組みが徐々に整備され、所謂「野良ボラ」が減り、スピリチュアリズムや自己啓発、自分探しをベースとした個人の信条が暴力的に公共に持ち込まれることが少なくなりました。危機に瀕した人が公共あるいは社会の使命として、その助けを受けるのに、あなたが信じるのは俺かあいつか、と属人的に問いただされ、地域社会が分断される状況をいつまでも続けるわけにはいきません。経験を生かして次の時代へとつなげていく。歩みは遅くとも、一歩ずつ前に進んでいく。それが未来というものの実相だと思います。今回のイベントに批判が集まり、その物語ブランディングが無化されたのも、その経験を経た社会の成熟であるだろうと僕は考えています。
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