ウェブはバカと暇人のもの?
そんなわきゃねえわねえ。というか、タイトルに釣られまくりの私が言うのもなんですが、そうでもないんじゃないですか、なんて思うわけでして、なんで「ウェブはバカと暇人のもの」と思ってしまうのかというと、ウェブという市場を自分の商売における理想郷だと位置づけるからそう思うわけで、思ったよりもうまくいかないと思うと、市場にいる人のことを民度が低い奴らと思うのは、私がいままでいくつも聞いてきた、日本市場から撤退していった外資系広告代理店や外資系企業の捨て台詞と同じわけです。
日本人は、本当の広告がわからない国民だから。本当の広告がわかる国民とは何かというと、欧米の国民であり、本当の広告とは、その広告代理店がつくっている広告なわけです。そんな勝手な話、あるかいな、と誰だって思いますよね。そもそも、その国民にわかってもらうためにつくられた映像とか画像とかを広告と言うわけであって、つまり、その広告は広告以下だったということです。
そもそもウェブに限らず、社会というものを、自分に都合良く解釈しちゃ駄目なんです。広告に込められたコンセプトやら戦略やらを深く感受して、ときには深読みして行動してくれる、そんな都合のよい人を、賢い消費者なんて言葉に言い換えては駄目なんですよ。消費者2.0なんて言い方をしちゃ、駄目。
自分の行動を振り返ってみたらいいと思います。そんなに合理的で理性的な判断をしてますか。私はしていません。そういう意味では、けっこう暇でバカだったりします。そんな、暇でバカな人っていうのが、どんな時代においても市井の人というものだと思うし、そういう人たちに何かを伝えるための技術っていうのが、広告という技術なんだと思うんですよね。そういう人たちというのは、まさに自分のことだし、だからこそ、ありのままの自分を隠して賢くみせることに一生懸命になるタイプの人は、広告をやっちゃ駄目なんだろうと、なんとなく思います。でも、賢くみせたい人はこの業界に多いのも事実なんだけどね。
ま、そんな暇でバカな人がなんだかんだありながら楽しく有意義に生活しているウェブという社会を「ウェブはバカと暇人のもの」とあえて言わなきゃならんのか。それは、悔しいから。もうね、僕らはこれだけ経験したんだから、Web 2.0とかなんとか言わずに、過剰な期待はせずに、ありのままを見て、それを認めたうえで考えようよ、コミュニケーションとか、場の問題とか、みたいなことを、著者の中川さんはかなり過激な口調で書いておられます。
ということで、わりと面白い本でしたよ。そこから先をどう考えるかは、人それぞれではあるとは思うんですけどね。
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コメント
時給のすごく高い人とか
最前線のエグゼクティブとかは
ネットサーフィンで時間つぶすのは、不合理だったり、そもそも暇はないでしょう
しかも多くは高学歴かも
その意味では、この本は正しいかも
高収入で忙しい人が
家電の最安値なんてチェックしないし
たらたら検索で調べるんじゃなくて
部下に指示するだろうし
ただし
ネットユーザーがクズというのも変
デジタルデバイドという言葉どおり
パソコン買って接続料金払って
検索ワードを思いつく知性もある
ネットユーザーの下には
そこらのおばちゃんに代表される
ネットに興味もなければ検索も幼稚
わたしの勝手な命名ですが
「ググレカスクラス」が横たわっている
結局ネットは
中間層にアプローチし
少数の大金持ちと
結構膨大なググレカスクラスには
4大媒体+なんかの
古いタイプの改良型アプローチがいるのではないかな
そこがだんだんわかってきているのが今だと思います
投稿: 山伏 | 2009年5月25日 (月) 17:07
前に「ネットというものはない」http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-a294.htmlというエントリを書いたのですが、何をネットとするかで、この手の話は変わってくるのですよね。なので、ネットを一般化してターゲット話をすると、少し論が粗雑になるような気がします。この部分は、この本にも感じる部分ですが。
著者の方は、アメーバニュースの人ですから、アメブロが想定するターゲットを基軸に書いておられるのだと思います。それは、マス広告が想定する層と重なるので、ネットだ、Web2.0だ、これはいける、と思ったけれど駄目だったという落胆がベースにあるのだと思うんですね、きっと。企画書が語る希望のネットは嘘だよ、と。過激な書き方をしているけれど、本音の伝えたい部分は、「ネットに過度の期待を持つのはやめよう」でしょうね。私はそう読みました。きっと業界向け。
私は「ググレカス」でも「バカで暇」でもいいじゃないか、と思っています。みんな多かれ少なかれ、「ググレカス」で「バカで暇」です。リテラシーなんてものは、自己の利便性の文脈で語られるものだと思うんです。
少しだけ、エントリの最後に書いた、その先の話をすると、人間を場にしたがわせるのは、やはり違うのではと思えるのです。Web2.0の人的に言えば、場が人間を変える、でしょうが、同じことですよね。人間にあわせて場のほうが変わるべき。そこにテクノロジーは活かされる段階なんじゃないか。私はそんなふうに思うんですね。
投稿: mb101bold | 2009年5月25日 (月) 23:42
>きっと業界向け。
僕もそう読みました。
>ネットだ、Web2.0だ、これはいける、と思ったけれど駄目だった
という経験を持つ業界の中の人向けと思います。
ググれカスという言葉に代表されるように、その世界にいると気が滅入ることも多いと思いますが、著者はそれでも忍耐強くやっているんだなあと思いました。
投稿: おっくん | 2009年5月26日 (火) 01:49
※本を全く読んでいませんので、少し本筋と逸れるかもしれませんが・・・
ネット、ウェブの定義は置いておくとして新しいツール(道具・手段)が出てきたときには手段の目的化が起こる気がしています。
PCをつけて何となく、ブラウザを開いてしまったり、何となく、ブラウザを開くためにPCをつけてしまったり。
明確な目的のためのツールとしてウェブを使った場合に比べ、上記の場合は時間もお金も浪費しがちです。馬鹿で暇人というのもわからなくもありません。
今後のweb広告も同じで、僕が就職活動中にグループディスカッションで良くあったのは「SNSを作るための企画」が
まかり通っていたことです。
「企画のためのSNS」であるべきなのに。ウェブコンテンツは今まで見たことがないような利便性と中毒性を持っている分、期待が強すぎて、ツールの域を超えた虚像を作りだしてるなぁと時々感じます。
何が言いたいか要点の絞れていないコメントになってしまい、申し訳ありません。
投稿: monnalisasmile | 2009年5月26日 (火) 07:26
私も最近読みました!
WEBで商いをしているのに、
これ読まないとダメだろーと。
まだWEBの商いやって1ヶ月半ですが、
(もしかすると会社の人には怒られるかもしれませんが)、まあそうだね、という感じです。WEBにそこまで期待もしてなければ、嫌悪するわけでもなく、リアルな世界と一緒だよね、と思っています。
そんな冷静な目を持ちながら、「うん、でも何か楽しいことできたらいいよね」というちょっとした期待も共存させ、今日も頑張って働きます。
投稿: chiho | 2009年5月26日 (火) 11:00
>おっくんさま
そうですね。現実に即して、忍耐強くやってますよね。PVもあるし、コメントも、びっくりするほどついてますし。それも、それでひとつのあり方だな、と眺めております。
>monnalisasmileさま
かつて寺山修司さんは「書を捨てよ町へ出よう」と言いました。ウェブに限らず、書籍にしても、テレビにしても、手段の目的化というのはあるんでしょうね。
「SNSを作るための企画」みたいな手段の目的化は、ほんと多いですね。ちょっと切り口は違いますが、昔、こんなエントリを書きました。おひまなときにでも。
http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/by_miles_davis_0494.html
投稿: mb101bold | 2009年5月26日 (火) 11:21
chihoさん、どもです。
お仕事は慣れてきましたか。
>リアルな世界と一緒だよね
という感覚は大事だと思うんですよね。これからはもっともっと大事になってくるんじゃないかと私は感じております。お互い、がんばりましょ。
投稿: mb101bold | 2009年5月26日 (火) 11:29