純ブログと大衆ブログ
とある本を読みながら、純文学と大衆文学の違いってなんだろうと考えていて、なんとなく「純ブログと大衆ブログ」というへんな言葉を思いついてしまったので、せっかくだしブログに書いてみます。なので、タイトル先行、見切り発車です。
まずは、純文学とは何か。福田和也さんの『作家の値打ち』(参照)という本の中のこんな言葉。ちなみに、福田さんは純文学/大衆文学ではなく、純文学/エンターテイメントという区分けを使っています。
エンターテイメントの作品は、読者に快適な刺激を与える。読者を気持ちよくさせ、スリスを与え、感動させる。
純文学は、本質的に不愉快なものである、読者をいい気持ちにさせるのではなく、むしろ読者に自己否定・自己超克をうながす力を持っている。
いわばエンターテイメントが健康的なビタミン剤であるとすれば、純文学は致命的な、しかしまたそれなしでは人生の緊張を得ることができない毒薬である、と。
なるほど、なるほど。なんとなく、ブログにもそれは当てはまりそうな感じ。ブロゴスフィアという言葉の持つニュアンスに似合う感じのブログ群は、そんな自己否定とまでは言わないまでも、自己超克をうながす力を持っているような。あのブログとか、このブログとか。その一方で、読んでて気持ちよくって、ああ、このブログを書いている人って、きっといい人なんだろうなあなんて思わせるブログ群もありますよね。あのブログとか、このブログとか。まあ、人それぞれなんで、自分のRSSを見ながら、これは純ブログ、これは大衆ブログなんて、でも、ちょっと悪趣味な感じもしないではないですが。
ブログで最も書かれている言語は、なんと日本語だそうですね。「Technoratiの調査では、日本語で書かれたブログが全ブログの37%を占め、英語ブログを追い抜いた」(参照)とのことです。日本語を使う人は、ブログがお好き。なんとなくわかるような、わからないような。万葉集なんかも、ブログっぽい感じがあるような、ないような(どっちやねん)。日記という意味では、徒然草なんかもありますよね。ちなみに、「徒然なるままに ブログ タイトル」でGoogeleで検索すると、約488,000件ヒット(参照)しました。まあ、精度が非常に低い検索ワードなんで、それにどういう意味があるのかはわかりませんが。どなたか、「徒然なるままに」を含むタイトルのブログはいつくあるか調べていただけませんでしょうか、ってそんな暇な方はいないような気もしますし、私も調べる気がありませんが。
そんな「やまとうたはよろずの心をたねにしてことのはとぞなれりける」と古今和歌集の仮名序に歌われる(万葉集-Wikipediaの受け売りです)言葉の国ですから、日本のブログには、文学のようにいろいろなジャンルがありますね。純ブログ、大衆ブログ、ハードボイルド、ノンフィクション、それに文学批評ならぬブログ批評。それと、忘れてはいけないのは、日本文学独特のジャンルである私小説ならぬ、私ブログ。
そうだなあ、あのブログなんかは、まさに私ブログだなあ。私は、私ブログにチャレンジする度胸はありませんが、私ブログは、読ませる何かがありますよね。すごいよなあ、ええっ、こんなことも言葉にするのかあ、と感心しながら読んでいます。とまあ、見切り発車で、徒然なるままに言葉を重ねているうちに、朝まで続けられそうな勢いになってきましたので、このへんで。ではでは。
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コメント
ここは、いいブログだと思うよ、マジで。笑
なんというか、バランスがいいね。
投稿: のばらパパ | 2008年1月31日 (木) 10:42
のばらパパさん、どうもです。
ありがとうございます。なんか照れますです。笑
投稿: mb101bold | 2008年1月31日 (木) 16:23