ケータイ小説も2ちゃんねる文学も同じじゃん

2ちゃんねる文学ってのは、2ちゃんねるのスレで語られる体験談とか、漫画やアニメのサイドストーリーのことね。どっちが肌に合うかって話。

「恋空」読んだ俺がレビューしてやんよ

前半は余りのスピード展開で、まさか流産までジェットコースターとは思っても見なかった。このジェットコースターで話があれよあれよという間に進むさまはテンポも良く面白かった。まさに、つかみはOKと言ったところか。しかし、レイプや流産といった問題をさらっと流し過ぎである。もっと内面描写をすべきなんじゃないか。それに比べると恋や友達関係は長めに書いてる。ただし、小学生の作文みたいに、○○へいきました、誰それと何をしました、楽しかったですみたいな文章。後半はずっとその作文。唐突さが無くなり予定調和に向かうだけ。読むのが辛いが、特にこれといって深い描写がなくサクサク読めるのが唯一の救い。というか、本当に 【ネタバレ】映画「恋空」のあらすじ:アルファルファモザイク の通りで逆に吹いたよ。
ターゲットが普段余り長い文章を読まないケータイ世代なのだから、文章が簡素なの良いと思う。また、ケータイでそんなに情報を詰め込めないから、できるだけ質素にしケータイ世代に親しみのある文で書くのもアリだと思う。こんな悲しい体験をしたのと丸のまま何の装飾もなく書かれた作品。簡素で読みやすい反面、非常に近い周波数をもった人間にしか共振せず伝わらない。プロットとして読むにしても、色々矛盾がありすぎである。
全体的に描写省きすぎ&伏線無さ過ぎである。一番気になるのは、登場人物が突然現れる点。特に酷いのは「姉」で、前編の終盤になってようやく登場する。一緒に住んでいるにもかかわらずである。全体的に姉は空気なのだが、それにしても扱いが酷い。それ以外に、突然クラスメイトが現れたりと、読んでいてご都合主義過ぎると思った。まぁ、そこが面白といえば面白いのだけど。
描写が甘い点は数多い。例えば主人公の美嘉が妊娠した際に、父は当たり前のように彼氏であるヒロの存在を知っていたが、そんな描写は無かったように思う。ヒロとの思い出を書くなら互いの両親に紹介する場面は必須事項だろう。レイプに関してもあっさりしすぎ。兎に角立ち直るのが早過ぎ。もっとじっくり書くことあるだろうと思う。両親の離婚の危機に関しても、伏線など全く無く唐突に湧き上がりあっさり解決する、また、ヒロの治療に関する記述は皆無。というか、闘病に苦しむ様子もほとんど描かれていない点が、本当に一緒に過ごしたのかと疑う。というか、ヒロとの思い出よりも友達や、ヒロの次に付き合った優との話の方が随分しっかり書かれている。この友達とのやり取りに共感できる人にとっては「泣ける」作品なのかもしれない。「泣きたい」人にとっては、レイプとか流産とか闘病とかいった苦しみを事細かにクドクド説明されるよりも、どんな話なのかを語ってくれた方がありがたいのかもしれない。
僕の感想は、暇つぶしとしてはアリかもかもしれないけどお金出して読むものではないよと。

小説なんて売れればよいんじゃない?

文章は簡素過ぎで、話のディティールもほとんどといって良いほど無く、ストーリーもお涙頂戴のベタベタなケータイ小説。まぁ、でも読みやすくて売れてるんならそれで良いんじゃないですか?太宰治もこう書いてますよ。

小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。
(中略)
婦女子をだます手も、色々ありまして、或(ある)いは謹厳を装い、或いは美貌をほのめかし、あるいは名門の出だと偽り、或いはろくでもない学識を総ざらいにひけらかし、或いは我が家の不幸を恥も外聞も無く発表し、以て婦人のシンパシーを買わんとする
太宰治 小説の面白さ より引用

以前、太宰「人間失格」を人気漫画家「小畑健」の表紙にしたらバカ売れ なんて話がありましたが太宰にしれみればある意味意図通りかもしれません。
ただ、お伽草紙 のカチカチ山を

カチカチ山の物語に於ける兎は少女、さうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋してゐる醜男。これはもう疑ひを容れぬ儼然たる事実のやうに私には思はれる。
(中略)
十六歳の美しい処女には近寄るなといふ深切な忠告を匂はせた滑稽物語でもあらうか。或いはまた、気にいつたからとて、あまりしつこくお伺ひしては、つひには極度に嫌悪せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭ふから節度を守れ、といふ礼儀作法の教科書でもあらうか

とか評する太宰なんで、どこまで本気か分かりませんけどね。

ポイントは、ケータイ小説が一過性なのか今後に多大なる影響を与えるのかということだろう。
ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実 と仰々しく語られてますが、今後ケータイ小説に影響を受けた世代が新しい何かを作り出さない限り、ケータイ小説を理解できないというか、共感できない人間が本当に老害かどうかはまだ判断しかねる。現在ケータイ小説を読んでいる世代がそのままシフトし、ケータイ小説が主流になっていけばそれを理解できない人間は老害だろう。今後ケータイ小説が若気の至り的な、若い時にかかる”はしか”の一種になるなら、理解できない人間は老害ではない。切込隊長の ブームか変容かを見抜けなければ語れない というスタンスに近い。
今現在ではどうなるかは分からない。携帯電話の性能もドンドン上がるし、通信速度も速くなるだろうからケータイ小説よりも重厚な電子書籍が主流になるかもしれない。あるいは、文章なんて読んでられないので映像が来るかもしれない。勿論、簡単に電車の中で読めるなどの利点からケータイ小説も残るかもしれないが、恐らく細分化してしまい爆発的なヒットというのは望めないんじゃないか?例えば、2ちゃんねる版のケータイ小説とも言える電車男自体はヒットしたが、その後に爆発的にヒットした作品は無い。ある一定数は売れているだろうが、爆発的なヒットが望める市場では既に無いように感じる。ネットを辿った道を2年遅れでケータイが通るように、ケータイ小説も市場的には安定化するんじゃないかと思います。

2ちゃんねるとケータイ小説

ケータイ小説を読んで思ったのは、2ちゃんねるのスレッドに立てられる漫画やアニメ等を元にしたサイドストーリー的小説や体験談もケータイ小説もほとんど同レベルだということ。特に2ちゃんねるで語られる体験談は、何が起こったのかを淡々と書かれることが多く、文体としてもケータイ小説に近い。また、漫画やアニメ等を元にしたサイドストーリーもキャラのディティールを説明しなくても良く、ほとんどが会話文という点でもケータイ小説的である。それ以前に、ネットで書かれる小説もどきの多くはケータイ小説的なのだが。ただ、この因果は逆で元々ネットで使われた手法がケータイに流入し、それがもてはやされているという点がケータイ小説を批判する声がネットに多いという一つの理由かもしれない。また、電車男が書籍化された際もまとめサイトで見られるのにという、ケータイ小説の同様の批判があった。ただ、やはり紙媒体であるということは信用に足る、つまり「面白い」という保障があるということだろう。
ケータイ小説と2ちゃんねるのスレで紡がれる物語もレベル的には大差ないと思う。無料で楽しめるなら、好きなほうを選択すれば良いだろう。ただ、私は両者共に買ってまで読むものではないと思う。ただ、この2つは全く同じものではない。ケータイ小説と2ちゃんねるの違いは、他の誰かが書き込めるか否かである。特に、電車男は電車男がスレ住人に助けを求める所や、スレ住人内同士の交流などがあって面白い。嘘かまことかは別にしても、電車男は2ちゃんねるという「掲示板」でないと面白くはならなかっただろう。主軸となる書き手本人以外の書き込みによって物語り全体を作るというのが2ちゃんねるで語る強みであると感じる。主軸となる書き手自体が面白くなくても、住人次第で面白くなることもある。例えば、ラジオ体操 まとめ は、書き手本人も面白いけども、AAを計ったのように貼るスナイパーのお蔭で面白味が増している。その点、ケータイ小説は自分語り過ぎだ。僕にはちょっと合わない。
やっぱりだれかが、本気でTwitter小説を書くべきであろうと思う。Twitter小説という試みはあるんだけど、まだ花開いてない感じ。自分でブツブツ語っているのは既存と同じで、旨いこと@を使うのがポイントだろうか。