http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1282693639/1 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/08/25(水) 08:47:19.26 ID:2mhdAJ7+0
PERFECT BLUE(1997年) - 初監督作品。同作は、ベルリン国際映画祭招待作品となる(非コンペ)。
千年女優(2001年) - ドリームワークスにより世界配給された。
東京ゴッドファーザーズ(2003年) - 先の『千年女優』と共にアカデミー賞長編アニメ賞候補作品に選出された(共にノミネート落ち)。
妄想代理人(2004年) - WOWOWで放送された。初のテレビアニメーション作品。
パプリカ(2006年) - 原作は筒井康隆の小説。公開に先駆け第63回ベネチア映画祭のコンペティション部門に出品された。
オハヨウ(2007年) - NHKのアニクリ15 Third Seasonで放送された。音楽はおかもとだいすけ、制作はマッドハウス。
夢みる機械(時期未定)
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20100825048.html255 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/08/25(水) 15:16:47.47 ID:VcsxEnv30
2010年8月25日(水曜日)
さようなら
忘れもしない今年の5月18日。
武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」
妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。
普段から心底思ってはいた。
「いつ死んでも仕方ない」
とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、
改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。
気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。
頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。
どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。
「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」
しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。
病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。
だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、
「ちゃんと死ぬための用意」
にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。
その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。
もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。
無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。 続きを読む ⊂(`・ω・´)⊃バッ