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2010.10.02

10/1 検察に自浄作用なんか期待できるか

大阪地検特捜部の幹部が逮捕。

これに対する菅首相のコメント「自浄作用に期待したい」というコメントに日本政治のダメさ加減が現れていると思う。

菅首相のコメント自体がなっていない。このような不正行為に自浄作用も何もないだろう。だから官僚依存などと悪口を言われてしまうのだ。検察に弱みでも握られているのか、と思ったりもする。
政治と検察との関係は、自浄作用ではなく、食べるか食べられるか、食べる側に加担するかの関係が続いてきた。取り調べられる政治の側にとって、検察特捜の捜査が上にも下にも不公正さの伴う話がつきまとってきた。そういう中で、公正な捜査機関としていくための数少ないチャンスにもかかわらず、自浄作用だけで変わるのかと思う。

また、そうした菅首相の態度とは違う意見を持つ政治の側も、民間人を入れろとか、検事総長はクビだ、とか、人気取りのくだらない行革談義の延長のような対応策をぶちあげているだけで、本質的なところから、民主主義に対する凶器としての能力を持つ検察特捜をどうするべきか、というマネジメントの話が全く出てこない。人質司法をどうしようか、というまじめな議論が政治から全然聞こえてこない。

検察トップに民間人を入れて正しくなるのだろうか。システムが同じまま、法律も知らない、権力の危険性や統治の論理も知らない人間が入ってきたら、余計に暴走して恣意的な捜査が行われるに決まっている。検察の力を最大限利用したのが小泉政権で、あのときのようなことが官僚内部の自己規制がなく繰り返されるのかと思うとぞっとする。民間人といっても、その文脈からは政治好きの企業経営者か新古典派経済学を信奉している学者を選ぶ。そうした人が検察権力を使って何をするのか。労働組合があって賃金が下がらないから失業が無くならないとイデオロギー的に信じている彼らは、イデオロギーの敵である労働組合、医師会、社会福祉法人などを標的にやりかねない(逮捕・死刑などとすることはないが、とるに足らない不正経理とか、証拠隠滅とか言いがかりをつけて、微罪でも組織看板を再生不能にまで傷つけることはたやすいことだ)。そこまでの悪意はないにしても、23年前の国鉄改革の民間人神話ちちんぷいの無思考である。そういうことを言うバカ政治家の再選を許してはならない。

●日本社会、金儲け以外の話では、どこ行っても、トラブルが人事問題に矮小化されるから、公的・非営利な仕事が全然よくならない、ダメなんだと痛感。

●菅首相のこの間のコメントが全然なっていない。
尖閣諸島問題で、細野氏が中国行ってしまったことも、「私は知りません」と突き放してしまった。もっとうまく言いつくろうことはできなかったのだろうか。細野氏を統制下におけないことがバレバレになってしまったし、中国に対しても日本の政治家による外交は隙だらけというメッセージを与えた。首相のコメントを調整する人間はないのだろうか。官房長官は何しているのだろうか。

●大阪地検の事件に限らず、テレビニュースが街頭インタビューを垂れ流すことが不適切に思う。
顔出しでテレビカメラを突きつけられた一般市民の大多数は、悪いんだ、悪いんだと囃し立てる役割しかできない。そこで拾うコメントは、コメントする側の姿勢も、コメントを選ぶ側も、分かり切っている話ばかり流すことになりで、みんなはこんなこと言っています、と言ってあおり立てているとしか思えない。それは、文化大革命の人民裁判や、旧ソ連の思想犯の裁判のやり方と同じである。行き着く果てに危険なものを感じざるを得ない。日本社会のしっとりとした環境を考えると、みんながこう言っているから、あんたも同調しなさい、という稲作ファシズムを感じてしまう。
そんな無駄な危険な放送をするぐらないなら、放送時間を短縮してCO2削減に取り組んだり、同じ放送でももっと専門家の意見をきちんと伝えてもらいたい。
街頭インタビューの濫用は、昨今批判になっている世論調査の乱発より危険だと私は思っている。

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