7/17 ちくま新書「年金は本当にだいじょうぶか?」を信じてはいけない
鈴木亘「年金は本当にもらえるのか?」について疑問に思った点を整理。
①文中に出てくる厚生労働省の御用学者というのは誰か。
研究者なら、厚生労働省の御用学者などという政治的言語を弄することなく、明確に、そうだと思われる立場の学者の名前を挙げて批判すべきではないだろうか。いちいち読者が、厚生労働省寄り(ここでは鈴木亘の意見に反する学者全部と考えなければならない)と思われる年金に関して論評している学者を調べて、検証しなくてはならない。そんなこと研究者でもない新書の読者にとって時間的にできることではない。そのようなやり方がセコい。
さすが保育園を考える会の普光院代表を「既得権益」と罵ったお仲間先生の弟子だと言ったらどうだろうか。
②早速出てきた賦課方式批判の疑問
鈴木氏はその年に集めた年金保険料をその年の年金受給者に年金として払う賦課方式を批判し、積立方式に移行させるべきだと言っている。さらには個人勘定だとか、およそ公的年金とは思えないようなものにせよと言っている。
こんなことが経済的に成り立たないことは明らかで、巨大な積立金の運用に社会は押しつぶされてしまう。政府の制度によって、積立金ばかりが巨大になり、その積立金という貯蓄に見合う投資がなければ、金利は低下し、資金の流動性は高まり、さらには流動性選好が上がり、とんでもないデフレ経済になっていく。そうなれば、企業は投資を控えるようになって、所得も税収も減っていく。そのことは若者をはじめとする現役世代を失業に追い込んでいくことと、税収の減少による社会保障財源の喪失を意味し、年金制度そのものの維持に大きな障害になっていく。
積立方式はインフレにも弱い。過去に払い込んだ積立金によって年金が給付されるから、狂乱物価や、終戦直後のような経済の大混乱があれば、実質的な価値は大きく減る。鈴木氏は「フィッシャー効果」などと言って、金融自由化のもとでは金利も上がるから大丈夫と言っているが、経済混乱期に規制の一切ない金融制度など考えられず、何らかの事態収拾策が採られ、フィッシャー効果などありなえいのではないか。祖父から戦後に貯金がすべて紙切れ同然になって小作農になった経験を聞かされた身としては、そんなパラダイスみたない話を信じられるわけがない。
積立金が政府による現金の再配分より絶対安全という、戦後の長期安定した社会においての平和ぼけ議論と言ってよい。
まして個人勘定への移行などというものは、年がら年中経済情勢だの、自分の資産運用状況など把握できる環境におかれた人しか責任を取れない。公的年金は、経済的知識がない人や、資産運用の知識がない人にも加入させてなくてはならないということを真剣に考えてもらいたい。
③年金が破綻するということへの疑問
鈴木氏は、積立金不足だから年金が破綻する、としきりに書いているが、日本という国が崩壊しない限り、権力の裏付けによって現役世代から高齢世代への仕送り的制度による公的年金は絶対に破綻しない。問題は給付水準と保険料水準が国民の許容限度の範囲内でおさまるかという問題である。それを破綻と呼ぶのかは価値観や趣味によるだろう。
現行、賦課方式の公的年金制度において、積立金は、年齢構成のアンバランスを調整するものと、当座の支払準備金程度に用意されていれば十分で、現役世代の年金保険料の支払い能力があれば、積立金不足などという概念そのものがナンセンス。
積立方式の批判でも書いたが、積立方式で積立金がちゃんとあれば安全かというと、その価値は積立金の絶対的な金額ではなくて、積立金資産を維持できるための経済が必要。また積立金と言っても現金が卵を産んでいるような実体があるわけではないので、どこかにお金を使い、使われたお金が価値を生んで返ってくることをあてにしているわけだから、賦課方式のリスクがすべて解決しているわけではない。世代構成や物価や金融情勢などに依存する相対的なもので、現役世代がどれだけ経済を支えられるかということによって決まる。また支払う側の信頼感というのが重要。
そう考えると、安易に年金が破綻するという言説をふりまくことは、相当に頑丈な制度を提示しない限りデマと言ってよいと思う。
ちょっとでも若者よりの言論をしたがる人にとって、積立方式が少子化社会にたえられる魔法の杖のように言われがち。しかし、少子化社会という前提のもとでは、どんな方式であっても同じ問題にぶちあたる。
以上のようなことがこの本の主張の大きな間違いように考えている。
研究者であれば本当は詳細に詰めて議論できるのだが、それができないのが残念。
●取り上げた問題で評価するところは、年金未納者を発生させやすい現在の制度の問題点。しかしこれは賦課方式を積立方式に直して解決できるどころか、いっそう遠のくことになると思う。未納者問題を解決するには、そもそも払った分の年金をもらうという賦課方式、積立方式と言い争っている制度の基本思想を否定し、年金財源はすべて租税化し、年齢になれば自動的に給付金を受給できる、バラマキ福祉的な年金制度にするしかない。少なくとも積立金制度にした方が実質的な未納者は増えるだろう。
●問題は、鈴木氏のような言説が、若手の武者震いしているような政治家やその予備軍たちに浸透して、たえず政党の年金改革談義に悪影響を与えていること。そのことで年金が政争の具となって、事態は混乱している。
●日本の若者言論の問題は、明治維新以来の世代間抗争モデルしかないこと。
若者が社会参加、社会的発言力を高めるということは、オヤジ・オバサン、じいさん・ばあさん世代を打倒して自らオヤジ・オバサンに成り代わることではなくて、世代間でバランスのよい意思決定をするために、意思決定の場に参加させろということのはず。
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コメント
厚生労働省の御用学者と鈴木氏が言いそうな人物は、上智大学の堀勝洋教授あたりではないかと。同氏の「年金の誤解」(東洋経済新報社)には、ここで書かれた内容がほぼそのまま出ております。確かに、普通の人はなかなか読まないでしょうが。
もっともこの手の年金官僚だった方は保険料水準にかかわる低所得者側からの不満に対する認識があまりにも甘いために、鈴木氏のような暴論が出てきてしまうのも致し方ありません。
暴論に息巻くのも結構ですが、国民年金が実質逆進税として作用している現実をそれこそ改めないと、この制度を信頼して保険料を払いなさいと言ったところで効く耳持たれないのは当たり前ではないかと思われますが……。
投稿: Lenazo | 2010.07.19 07:12