お金をもうけることだけを追いかけてはいけない。自分の資金計画をはじめとして、お金に目配りをすることは必要である。しかし自分の品質・実力をみがくことに、より注力することが大切だ。そうすれば、お金は後からついてくるのである。
- 作者: 山本真司
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2004/12/23
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『30歳からの成長戦略』 〜P.118〜
お金は追いかけるものではなく、後からついてくるものであるという話。
自分の能力を磨き、自らの価値を高めることを追いかければ、自分の顧客に高い価値を提供することができ、自然とお金は後からついてくるが、お金をもうけることそのものを目的化しては、お金は逆に逃げていくとのこと。言いえて妙だと思う。
で、これは実はWEB 2.0にもあてはまる話なんじゃないかと思う。即ち、WEB 2.0は追いかけるものではなく、ついてくるものであるということ。
WEB 2.0であることを追いかけるというのは私の感覚で言うと
という感じ。「どんな目的を果たすためにユーザ参加型にしているのか?」、「AJAXを使わなければ何が実現できなく、目指すウェブサービスに到達しないのか?」、こんな問いにオライリーの"What Is Web 2.0"に書かれているくらいのことしか応えられない場合、それは結構「追いかけ組み」の可能性が高い。
"What Is Web 2.0"に書かれている要素を盛り込むことに腐心し、それ自体が目的化してしまっていては、結局のところ良質なウェブサービスは提供できないだろうし、後世の人が見た時に、「あの会社は一時代を築いたよなぁ」と言われることはとてもできないように思う。
WEB 2.0というのは所詮はWEB空間における時代の一つにすぎない。日本の歴史を後世の人が縄文時代、弥生時代、・・・という風にわけたように、後世の人によって「WEB 2.0時代のWEB空間というものはこういう点で特徴的で一つの時代の固まりとして、1.0と3.0とは別時代と区分けするほうが妥当だよね」という定義付けがなされる、本来はそういうタッチの類の話だと思う。時代として認識されるかどうかが肝であり、WEB 2.0という言葉である必要も別にない。
Googleをみてみよう。インターネットバブル崩壊後の瓦礫の中から生まれてきたといわれるGoogleは、卓越した技術力と斬新な発想で今までになかったインターネット世界のプラットフォームを作りつつある。GoogleがWEB 2.0企業の代表企業のような言われ方をすることもあるが、別にGoogleは意識的に「WEB 1.0」とは決別し、「WEB 2.0」企業になろうとしたわけではない。
「世界の情報を整理しつくす」というミッションの元に情報の世界を再編しようと試みたら、それによりインターネットの世界観に徐々に変化が起きてきた、要するにGoogleは「WEB 2.0」を目指したり、作ったりしたのではなく、自らのミッションを追いかけていたら、後から「WEB 2.0」という時代がついてきた、そんな感じなのではなかろうか。
なので、ドリコムの内藤さんやはてなの近藤さんが、「別に自分たちがWEB 2.0企業であることは意識していない」というのを聞くと、健全な感じがし、結果として後世に名を残すような成果をあげるべく頑張ってほしいなぁと思う。
一方で、Feedpathの小川さんとかを見ると、あまりに「WEB 2.0」液がはみ出しすぎていて、本当にFeedpathが化けるのかと想像するに、液にまみれて中身がよく見えず、今ひとつぐっとこない。
「自らの技術とサービスに誇りを持ち、進化するWebの可能性を信じて新しいチャレンジをしよう」などの言説はごもっともと思うし、チャレンジ精神や突破力や資本力は結構おありのようなので、一度「〜2.0」という言葉を一切使わず活動されたらいかがかと思う。
言葉を使わなくなっても中身が変わるわけではないが、そういう形でいわゆるアーリーアダプター層の感じている胡散臭さをなくせば、少なくとも変なあれ方はしなくなると思うし、その層のユーザも増加し、結果としてFeedpathに磨きがかかるんではないだろうか(ほんと余計なお世話だが)。
WEB 2.0を追いかける人とWEB 2.0がついてくる人、最近私がブログなどを読んだり、新しいサービスリリースのニュースを見る時に意識することは、書き手/作り手がどっちのタイプかという点。意外と面白いので皆さんも試してみては?