絶倫ファクトリー

生産性が高い

ブログとmixiの逆転


そこで思ったことは

「mixiの中って、一種の権力が働いてるよね?」

ブログとmixi、分けてる人って結構居るんですが。そういう人って割りとブログのほうに本音というか、個人的で内面的な内容書くんですよね。

けれどこれはインターネットというインフラの性質上、明らかにおかしいわけで。ブログの方が理論上は被閲覧可能性は高いんですよね、当然。

何でこうした「逆転現象」が起きているのか?

まぁ過程は省きますが、言ってしまえば本当は逆転でもなんでもなく、それが普通なんですよね。ブログは友達とのおしゃべりの延長線みたいなもの。それが例えば電車の中とかでも、常に周りの視線を気にしながらしゃべるわけじゃない。だからブログも同じ様に、被閲覧可能性はあくまで可能性の万まで、そこに想定される他者の視線っていうのは「風景」として捨象される。

ところがmixiは、その「風景」がない。あるんだけどそれは全て可視化した他者の視線。日記を更新すれば必ずマイミクにはそれが知らされ、あしあと機能で誰がいつ来たかが分かる。常に他人の視線が見えてしまう。例えるなら、いくつも壁や天井に穴が開いた狭い部屋に閉じ込められ、その穴から入れ替わり立ち代り知り合いが自分のことを覗いてる、みたいな。

ここだと被閲覧「可能性」が全部「蓋然性」に変わっちゃうんですよね。こうなると
もう他者の視線を内面化して、規範化するしかない。一種の権力になっちゃう。mixiの日記には書けないことが出てくる。

この「書けること」と「書けない事」の選別をさせる権力が、mixiの特徴なのかもしれません。ただmixiのユーザー数が依然として増え続けていることを考えると、この権力の磁力はいっそう強くなる可能性があります。これがどこで飽和点を迎えるのか。いつ人々がこの権力の磁場を「苦痛」と感じるのか、あるいはもう感じているのか。なかなか興味は尽きません。