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2007.07.17

筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』(文藝春秋社)

 率直に言うと… 読むんじゃなかった。
 正確に言うと、「いま」読むんじゃなかった。


 以下、雑然と書く。読み終わってネットや読書家の意見交換などにあって、この作品自体は微妙な評価だし、やはり文学界そのものを扱っていることも関係しているのか好意的にせよそうでないものにせよ書評自体があまりない。文学の危機を筒井流にアレンジして、前の「大いなる助走」を補完する内容になってますね、でだいたい終わり。たぶん著者本人も誰かにこれを論じてもらおうと思っている節もなく、綺麗な投げっ放しジャーマンで終わるあたりが「なるほど」といううねりを感じさせるに留まる。あれはそうしようと思ってできるもんじゃないだろうと言う意味での「なるほど」だろうと私は勝手に解釈した。たぶん、書いてる途中まで画期的で前衛的な何かをしたかったのではないかと感じさせる。途中、登場人物である作家の創造した作中の人物が仮想の巨船上で会話してる時点で「筒井康隆」本人の照れながらの登場は予測しなければならないのがアレで、その本人が矢鱈憤怒している北宋社の『満腹亭(アナーキーなレストラン)へようこそ』にいたっては、amazonで普通に「新品3点」とかいって普通に売られている。一刻も早く差し止めておくべきである。野放しにしておいてはいけない。新潮社は人権蹂躙雑誌を編む前にどうにかしてやるべきだ。爺さんももっと頑張れと思う。


 で、二度読んだ。何で二度読んだのかというと、あとで思い返してみて、あの出来事は船上のことだったのか現実の、例えば文壇バーでの話だったか読者も亜空間に放り出される類の不整列に陥ったからである。気になって仕方がない。歴史小説じゃあるまいしそういう読み方に意味があるのかどうかと問われても気になるのであるからやむを得ない。道中、変なのというかキチガイが出てくるんだけれども、冒頭に何かの発生を予見させるキチガイなりの文学とエンターテイメントとの間にある相克ってのは効いた。筒井康隆氏自身がその時点で言いたいことが詰まっている以上、読んでいてどうしても「そういえばそうであるかな」と読み手の現実と逝ったり来たりをしないとそのアジテーションなり論立てなりが最終的に何を伝えようとしているのか、あるいは読み損ねてしまってないか不安になる。


 筒井的世界が巨船をあしらって危機を演出した対象は文学界だったが、本作品で規定された枠はひたすら文学についてであってそこと連関した映像業界やラノベといった微妙なポジションにあるものはサブ構造として位置づけられている。作品の大量生産、それに伴う浅薄化、質の低下、商業主義的価値観との相克というのは筒井氏自体が経験してきたものの延長線上にある立ち枯れ状況であって、筒井氏からすると必死こいて胃に穴開けてまで頑張ってきたのに振り返ってみたらまともな作家がおらずろくな作品も書かずただ文学賞が売らんかなの精神で適当に乱発されて十代の少女がくだらねえ小説で賞受賞してその後はパッとせずで若手作家はろくに文芸作品読まずにつまんないラノベやエンタメ小説に進出してテーマが枯れればそこから脱出する手段さえ用意できずミステリーにいたっては前衛も技巧もろくにない作家が次から次と出版社の都合で世間に送り出されてはその質の低さを読み手から呆れられて読者離れをおおいに引き起こし末期的だからとりあえず文学的巨船を構築して本人登場で北宋社馬鹿野郎という話である。


 ところが、筒井康隆氏がご本人のいる文学界で起きている現状を正確に把握し、小説の中で的確に指摘しながら作中人物に語らせ描写するほどに、実はその筒井氏の持つ価値観というか、文学の絶対性みたいなものに関する違和感を想起させる。しかも、その違和感には何の不快も感じない。なぜなら、筒井氏が指摘し危機と感じる文学界の出来事は、全くの相似形としてテレビバラエティであるとかドラマ、演劇、ラノベ、アニメ、野球、ゲームといったあらゆるカテゴリーでいま発生している現状と悉く符号するからである。


 筒井氏が生きてきた文学の荒廃を嘆くのとほぼ同じ意味合いで、テレビ局の経営者が”テレビ番組制作能力の減退が若者のテレビ離れを起こし、低俗な番組で目先の視聴率を稼がなければ株価を維持できない悪循環を引き起こしている”と株主総会で堂々と言ってのけてしまうわけだし、演劇にしても少ないパイの奪い合い現象が続きすぎて切磋琢磨どころか疲弊したところから脱落していく傾向が顕著な一方で劇団四季なんてのがあってどうなんだよそれという話であるし、筒井氏が批判するラノベやエンタメ界隈は若手作家の切り出しがすでに一巡してしまってイラストに頼る売り方を経由したあと今では編集者を中心とした”分業”とも言うべき作家性無視のキメラが大量に出てそれどころではない状況になっているし、まあどこも概ね似たような感じなのである。そのような世界で、ロシア文学における美と善の一致という価値観がどうの、私が好きなキケロが死に至る病についてどうのと語ろうものなら付き合ってくれる人自体が少ないのも当然と言えば当然の帰結なんだろうと思う。相手、そんなの知らんもの。岡田斗司夫氏がどっかで「オタクは死んだ」とか言ってしまって、いままでさんざんオタクで飯を喰ってきていまさら何を言ってるんだと批評されていたのを読んだが、あれだってオタクという文脈で言う過去から現在に繋がる作品の系譜、伝統というものが短いながらも存在してきていて、若いオタクがブームに乗った作品の上っ面だけを取り上げてパンチラがどうだキャラ萌えがどうだとただひたすらに性欲と衝動だけで消費を続けていく現状に対して従来の知的枠組みがどう対処していくかを熟考した挙句、挫折に至ったものだと考えるのが正当に思える。本当はどうなのかは知らん。だが、私たちがいま嗜好しているもののオリジンに対する造詣や、少なくとも敬意を抱くことなしに、単に消費の材料として積み上げて逝き、知性ある文化財にしていくことへの期待を持てないのであればそれは単なる商品であって文化ではないよな。


 ネットの時代になって、文章読みとして人材がプールされているような機能、あるいは、野球好きが野球についての理屈や見方を吟味するような機能が、お手軽になった反面、大量の浅薄な情報によって埋没してしまって深く掘ることが不能になってしまったようには感じる。その場が面白ければそれでいいのであって、その場を面白くするために素材を適当に商業著作物から引っ張ってきて張り合わせて文章なり画像なり映像なりにして無料でバラ撒いて同好の士同士安価でお手軽な面白さで時間を共有できればそれでよいという暗澹たる状況になっているのは筒井氏の作中での指摘通り。それについては何も文句はない。しかし、それは小説と言う枠内で為される社会批評、口の悪い人間が言うならば仲間内での業界批判でせいぜい部数一万部内外でやるべきものではなく、むしろ筒井氏が業界の成熟と共にあったことに対する考察の一切は「哲学」に類するものであると思う。1952年のアメリカ大統領選挙みたいなものだ。「知性」と「俗物」の対立の上で反知性主義が沸き起こる中で置き去りにされたものは知性を支える知識や教養とはそもどのようなものであったのかという規定である。筒井康隆氏がやろうとしていることは、自身を小説に出陣させることではなく、より体系的な知識や教養を構築するための哲学を適切な形で表現することのようであって、そうしようと思ってできないのか、できるけど何か面倒があってやらないのかよう分からん状況になっている。絶対に議論が噛み合わないことを期待して、新潮社は筒井康隆氏と梅田望夫氏の対談本を企画すべきだ。


 少なくとも、本作品以外でも筒井氏が持つ社会観の構成要素のは、その書き手なり読み手のパワーの総量とでもいうべき「文学」という絶対的価値観(Y軸)と、それが時系列的にどう華が咲くのかという「時間」という推移(X軸)とで概ね構成されている。それが、文学の覗き窓から見晴るかす外界としての社会というZ軸も巻き込んだとき、なんつーか非常に綺麗な哲学的光景を作品の中に勝手に構成して後戻りできなくなり、激しく饒舌になって論旨一貫微動だにしないのが凄いのである。風刺してるつもりなんかないのかもしれない。ただ、あまりにも純正な知識主義(アルファケンタウリで言うところの学院長プロホール・ザハロフ)ゆえに、論旨がズレないだけかもしれない。


 要するに言いたいことは二点あって、齢70歳を超えた爺さんがいまなお新しい可能性を読者に与えてることに対する驚愕と、そんな爺さんに叱咤激励されても現状改善ひとつできない業界そのものの不甲斐なさとが交錯しています。


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Comments


高須殿下は現人神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と千代田区の殿下実家(皇居)に
見学に行った時の話。
両親と3人で富士見櫓を囲んで記念撮影をしていると
いきなり殿下が桔梗門から入ってきた。
現代の東京に似合わない雅ないでたちで。
殿下が「よきにはからえ」と言って内裏へ上がろうとすると、
櫓にいた高校生集団が「殿下!」「殿下かっけー!」などと騒ぎ出し、
殿下が戻ってきてくださって即席サイン会になった。
櫓に13,4人ほど居合わせた下々の者全員に
SPに持ってこさせた色紙を使いサインをしてくれた。
高校生達が殿下の母校学習院高等科の野球部だとわかった殿下は
いい笑顔で会話を交わしていた。
そして殿下は「ご機嫌麗しゅう」と内裏に上がっていき、櫓は静かになった。
私と両親は殿下の高貴とかっこよさに興奮しつつカズダンスを終え、
区民税を納めようと区役所に向かうと、
受付の公務員の方(ウィット妹)がお堀を指差しながら
「外来魚は駆除しましたから。もう放流しないで下さいね」と。
あれには本当にびっくりした。


王采配伝説

・得点圏打率2割未満の松中と心中宣言
・左投手が出ると柴原に代打本間
・足の悪い松中や小久保にエンドランをさせて走塁死
・1死2塁から首位打者にバント
・継投ミスで失点したのに「先発投手が悪い」
・前日大炎上し敗因と認定した中継ぎを懲りずにピンチで登板させ大逆転される
・毎年酷使で投手をつぶしておきながら「信頼できる中継ぎが出てこないね」と他人事
・打てないのは「強い気持ちがなかったから」
・いつも同じ相手に同じようにやられても対策を講じず「しゃーない。我慢我慢。そのうち良くなる」
・一度バントのサインを出すとシフトされようがカウントが悪くなっても絶対に変更しないのでバレバレで失敗率が高い
・「追い込まれた打者は死に物狂いで打ってくる」という理論によりカウント2-0からわざとボールを投げさせる。
 2-1からでも5割くらいの確率で勝負を避ける。実質2-2からの勝負が多く2-0からの四球率が高い。
・謎の高須勝負
・退場が怖いので不可解な判定に対して審判に抗議できない
・次の日休みなのに中継ぎ温存
・「総動員」と言っておきながら中継ぎ温存
・怒りに我を忘れてP交替、そして敬遠させ、ピッチャーのやる気を削ぐ。
・8回同点とかで守護神投入
・鈍足バッターが最終打席でヒットを打っても代走を出さない。

文学はまだいい。もう終わってるから。
最近象徴的なのは、漫画とテレビドラマ、大手出版社と大手民送。
お互いのクソを塗りたくり合ってる感じ。

マーケットが広がっても才能資源は有限だからね

隊長、ツツイストだったん?

自我の強さとか、作品の太っ腹とか、なんじゃないかのー。

あとは、ひたすら天才性。
別に、売れていなくてもいいし、
人気もなくてもいいし、
ただ、存在が確認されていないと。

どの分野でもいいから、
日本には天才がいるのかのー?
外国にはいそうな感じがするのは、錯覚か?

そうそう、ノーベル賞の有力候補の一人、莫言は、
食べるために軍隊に入って、
餃子が食えるようになるから作家で、
なんか、スゲー嫌われものらしいぞ。

日本は、いい子が悪ぶってるだけかもな。

筒井康隆の衰えなさは異常
いまだに読んでておもしれーもん

>筒井康隆氏と梅田望夫氏の対談本を企画すべきだ。
     /       __  \
    /ノ´  -‐''''" ̄         ヽ
.   / /_              ',
 , -l /´  -‐''' _二´-─一- 、 l
/  .{  _,/⌒ヾT「!i ソ   -_=:ッノ:'‐i
 ノ Y i 〈r_  i ;ハ     ゝ ‘' 〈.テ
  r l.  ヽ ニ  ''"        ヾ
 ノィl   /   :         r__ )
(、/ l  i    :.       ,..........「
 )  i_ノ   \     /ヒヒヒヒ|′
  /      \   └─―-、
,/´「  .       \     `7’
  l  .::        ' :, ; , , ,i′
   ',        ノ〈  ゙゙゙゙゙゙
             ,イ ヽ
生きてるのかぁ、死んでるのかぁ、そんな腐った目で
企画を書くのはやめろぉ!決めるのはぁ~誰だ?
やるのはぁ~誰だ?会わせるのはぁ~誰だ?そぅ~お前だぁぁ!
お前が舵を取れぇえ!決しておごるな! 決して高ぶるな!
決してうぬぼれるな!一歩ずつ 一歩ずつ 確かな根回しを!
お前がどうするかだ!お前がどうやるかだ!お前がやれ !
お前がやれ!お前が邂逅を起こせぇ!お前がやるから道になるぅぅ
前へ!前へ!わかるか!わかるか!お前が調整せぇ!
お前がしっかり舵を取れぇ!ごま擦りを舐めるな!よいしょを舐めるな!
もっと深く もっと深く もっと正確に傾き補正してやれ!早くやれぇ!
立ちはだかるリテイクのうねりに突き進んでぇぇいけぇ!
書いて 書いて 書いて 書いて ただただ書いて寝ればいい
書いて 抜いて 書いて 書いて 書ぁきぃまぁくぅれぇぇえ!!!!
お前が決めろぉ お前がやれぇ お前が会わせて お前が舵を取れ!
そうさ 明日からお前がキャプテン・シップ!ヨォ――ソロォ―――――!!

どうでもいいが、映画にしろ漫画にしろアニメにしろ音楽にしろ文学にしろ童貞臭が漂う作品が多すぎて辟易する

今は昔ほどクリエイターが根性決めなくても作品を制作して発表する"だけ"なら安価で環境を整えられるからのう。

「趣味が生きがい」なんて与太郎思考ではなく、「生きがいを趣味のポジションに置く」というクールな人が増えてきた気がする。

とはいえ我々うんこ製造機はそんなことも言っておられず、目の前にぶら下げられたおぜぜに目がくらんでとりあえずサクッとかっぱげる口先三寸商法で今日もうんこを暖かいうちにご家庭へお届けする真心こもってないサービスを提供するのであーる。偉いぞ我々。

誰だって最初は童貞だったんだぜ

筒井もハルヒにうんざりしてたんだな。共感しちゃうよ、ボクは。自称ファンのリビドーくんはソープにでも行けよ。
と昭和の導入であるが質的な劣化というのは高々十数年の歴史しかないウェブサイトでも見られる。つうか情報はコピーが前提であるコンピューティングでは1G倍深刻だ。

あれだけ賢明な先達が再生産性を確保するためにどのブラウザでも見られるように注意しろって言ってたのに思いつきでFlsahとかAjaxとかCSSの濫用とかする白痴は業界を去れボケ。先天的ゆとりが地上で人間面できると思ってんじゃねえぞ。
ナショナルブランドの癖にトップページでJavaScriptでブラウザ判別した上に不明の場合は白紙表示とはその機会損失が仕様に入ってる点をもって故意の営業妨害だとしてボケ業者は損害賠償をくらえ。
いいか間抜け。
トリックはトリッキーな「ブラウザーをプラットフォームとして使う」場合に用いるんだよ。
ドキュメントに使うな、文庫本買ったら全面虹色で多色バーコードリーダーのパラグアイのケチャル社製 ZX-999Ver4.2 以降をお使いくださいとかいうボケが居たらお前は本屋の前に脱糞してその編集のガキにはダンボールで作ったDSに銀杏を挟んで誕生日に贈るだろ?

コンピューティングは優秀な設計を大多数で共有するコアコンピテンスの具現化されたものなんだよ。白痴が設計すんなダボが。

だからアメッシュのような公共サービスを特定ブラウザの特定設定(IEでセキュリティレベルを中にするなんてノービスに決まってんだろ)でしか動かない自己陰茎こすりを大公開してしまうんだ。

公共サービスの意味分かってんのか?
そんな費用対効果がサランラップみたいに薄いリソースの無駄遣いは永遠のノービスしかいないmixiみたいなところで会費でもパケット代でも好きなだけ取ってやれや。

911直後のアメコミパラダイムみたいなの経験しないと「哲学」は無理なんじゃないかと…
例えば『スーパーマン・リターンズ』のスーパーマン像に見るような、
我慢(ダンディズム)を支えるイメージは、
破滅的な「現実の人間(アメリカ人)」が方や、時には理想的=正義と真実のアメリカンウェイを体現する勇気も持つという、対比的二重性を示した911の構図の経験があったからこそ描ける。

「それでも」って文脈の叩き台である悲惨が、エンタメフィクションでは基本軸として生々しく語られていないと感じるのかなあ? ロシア文学も同時代の作家に『死の家の記録』への泣きたくなる共感が生まれざるを得なかったから、「それでも」の系譜として体系付けることができる。なんかそういう再帰的な悲惨→希望の権化(もしくは現象)が登場して欲しいんじゃないんですか、御大は。

長文失礼しました。

>筒井もハルヒにうんざりしてたんだな

東との対談でかなり褒めてたような

>筒井もハルヒにうんざりしてたんだな

東との対談でかなり褒めてたような

だとしたらエロゲと勘違いしたかボケたんだろう

> >筒井もハルヒにうんざりしてたんだな
> 東との対談でかなり褒めてたような

調べてみたら雑誌の中で東に勧められてハルヒのさわりを読んで「ハルヒシリーズの中では『ハルヒの消失』が一番おもしろいかな」と言質取られただけ。
ハルヒ厨はマジ最悪だな。左翼の情宣かよ。

とりあえず対談で筒井がハルヒに言及してる一行

「涼宮ハルヒも最初の何冊かを読んで、四冊目の『涼宮ハルヒの消失』が一番の傑作だというのもあなたと同感です。それからまた、桜坂洋の『All You Need Is Kill』がたいへん重要な小説だということにも賛成です。ゲーム的リアリズムが文学性を持ち得ないのは、いくらでも生をリセットできるゲーム的感覚では本当の死を描けず、本当の死を描けないところに文学性はないという文学の側からの主張は、間違っていると思う。何度も死が繰り返される『All You Need Is Kill』は、まるでハイデガーの哲学をすら思わせます。」

ハルヒというよりラノベの一部を評価してるって感じね

あと「調べてみたら」とか言ってる奴
どうも「群像」の対談自体を読んだとかじゃなくて
ググったらすぐ出て来たオタ臭いニュースサイトの記事を見ただけっぽいなw

そりゃあんな中学生向けのハーレムものなんかどうでもいいが、同人作家と違って筒井氏の名誉に関わるなら何があったのかぐらいはググる。
筒井氏が本心で文学として傑作と思ってるなら老害だと断定するよ。

ハルヒはクズという評価だけはぶれないんだよ。

永井

>筒井氏の名誉に関わるなら何があったのかぐらいはググる

だから立ち読みでいいから対談をしっかり読んでから書き込めよ…

あと北海道新聞のベラス・レトラスに関するインタビュー(もしかしたら東と対談する前かも)でも筒井氏はラノベについて文学の視点から触れてる
まあ残念な事にそのインタビューの内容はググるだけで出て来る便利でオタ臭いニュースサイトには載ってないだろうけどな

>>調べてみたら雑誌の中で東に勧められてハルヒのさわりを読んで「ハルヒシリーズの中では『ハルヒの消失』が一番おもしろいかな」と言質取られただけ。

ていうか、ハルヒについては対談の最後の最後で筒井が自分から言い出した事だぞ。何で東が言質したことになってんだよ。
ハルヒ憎しのあまり色眼鏡で見すぎ。

なんでキモヲタのために俺が手間をかけるんだよ
その発想がキモ

> 筒井氏はラノベについて文学の視点から触れてる
そりゃどんな視点から何でも言及できるだろ。
スカトロを文学の視点から触れてもウンコが文学になったりしないわな。大丈夫か?

> 何で東が言質したことになってんだよ
言質取ったのは薄気味悪いお前みたいなハルヒ厨だろ。大丈夫か?

よく分からないっすけど人口増加すれば
解決する問題なんでしょうかね?
増えても広く浅くが増えるだけで深みが増えないのなら
重症というか末期的ですな。

「最近の若いモンは・・・」とか言ってるのと変わらない気がw
どんなものでもそのジャンルを好きな人間が増えれば増えるだけ
浅い人間は増えてくもんだしね

これまでも言われてきたように
これからも似たようなことは言われ続けるんだろうな・・・

なんでハルヒでこんなに揉めてんだよ
筒井×梅田の対談本のネタは米光一成のBLOGからの着想ですか?とか
隊長はアルファケンタウリ好きすぎる
とかいろいろあんだろ

さっそく本屋ベラスレトラス買って来た

『わたしのグランパ』か『愛のひだりがわ』あたりで止めとき。

ハナ毛よなぜわざわざジュブナイル?

「虚人たち」とか「歌と饒舌の戦記」とか「霊長類、南へ」
とか「残像に口紅を」とかあるだろ

だれも死に至る病はキルケゴールだってつっこまないのね。

↑そりゃ本作品のテロリスト文芸ヲタの元ネタのパロディなわけだが

各種アンチの発生した今こそ、『大いなる助走』牛膝発言を読み直す時!(?)

池田信夫で落とさないのかよ!

隊長が革新的なラノベを書いて現状を打破すれば良いんですな。


スカーレット・ソードってのがあってな…

>>その場を面白くするために素材を適当に商業著作物から引っ張ってきて張り合わせて文章なり画像なり映像なりにして無料でバラ撒いて同好の士同士安価でお手軽な面白さで時間を共有できればそれでよいという暗澹たる状況になっているのは筒井氏の作中での指摘通り<<

ニコ動とかのことかな
ああいうのって製作者側にしてみれば暗澹たるものでしかないのか

>「虚人たち」とか「歌と饒舌の戦記」とか「霊長類、南へ」とか「残像に口紅を」とかあるだろ

 長いだけで詰まらんですよ。『わたしのグランパ』か『愛のひだりがわ』←コレですら長さが嫌だからそこまで好きでもないし。やっぱ『原始人』?ですかね。正式名称なんだったか忘れたけど。じゃなければ星新一先生の短編かO・ヘンリ先生の短編のほうが面白い。虚無ですよ。

>ああいうのって製作者側にしてみれば暗澹たるものでしかないのか

 まぁ人それぞれなんでしょうけど「制作までにどれだけの仕込みと葛藤と憂鬱を経てるんだか考えろよ」ってことなんじゃないですかね? たびたび話題になってる『ベルセルク』の作者なんか作品描くために廃人寸前でしょ。軽く描いてサクッと儲けてるわけじゃないですからな。人の感情動かすほどのネタになってくると、それを作る側も相当なコスト掛かってるんだっつうか。金銭的に云々じゃなくて人生掛かっちゃったりしてな。そういうのを

>>その場を面白くするために素材を適当に商業著作物から引っ張ってきて張り合わせて文章なり画像なり映像なりにして無料でバラ撒いて同好の士同士安価でお手軽な面白さで時間を共有できればそれでよい

↑こげな扱いされたら、そら腹も立つでしょうよ。まぁ人によるから。金にさえ成ればそれでも黙ってるって人も居るけど。表現者って基本が金よりプライドだから、あんましぞんざいな扱いされたら金や名声じゃ癒せんでしょうな。多分。
 陰でこっそりやって人目に付かなきゃ、同好遊戯もアリなんでしょうけどね。人目に晒すなと。公開SMクラブはフツーに違法じゃねえのか!? みたいな。

うぬぬ。すごい力作エントリ。
とりあえず筒井作品読んでみる。

> 筒井氏が指摘し危機と感じる文学界の出来事は、全くの相似形としてテレビバラエティであるとかドラマ、演劇、ラノベ、アニメ、野球、ゲームといったあらゆるカテゴリーでいま発生している現状

自分は音楽にあてはめて読んだけど、うーん。自分も最近ちゃんと本を読まなくなって、ネットで拾った書評とか読んで分かった気になってたところがあるから、筒井本読むまで下手にコメントなんかできんわ。読み終わったら隊長の書評も襟を正して読ませてもらいやス。

問題は作品の創作ではなく
作品という情報、商品、資産の運用にあるつうわけだな。

 先の大戦でも陸軍大将より従軍慰安婦の売れっ子のほうが給与多かったらしいじゃない。今どきみたく金がカタキの世の中になっちゃったら、昔のように大将目指してもしゃーねーやって話になっちゃうだけでね。それが世相であり世の真理ってヤツなんでしょうよ。平和ですな。

こんなもん、「文化」がマスを相手にするようになって以来、ずっと言われてることじゃん。
っつうか、言うほど昔の文学/漫画/アニメ/映画/テレビ/ゲームは立派だったんですかい?
消費者の多数が自分と違う感覚持つようになったからって、レベルが下がったって言うのは単なる逆切れだと思うぜ。

それこそ、アルファケンタウリやハーツオブアイアンは、「最近の」作品じゃないのかね?
あちこちでプレーヤーが書き散らしてるリプレイやプレイ動画もそうだけど。

筒井氏といえば、今『新潮』に分載されている読んでいる途中でどこを読んでいるのかわからなくなってしまいそうになるコピペ的作品『ダンシング・ヴァニティ』が面白いですね。
つくづく凄い人だと思います。

 筒井センセの活動全般については寡聞にしてさっぱり知らんのだけどさ。単純に文学面だけ取ってみても、(書き癖は置いといて)正統派から異端から実験作から世相に対する愚痴まで、何でもやるよね。ちょい短編ではやってんだけど長編歴史小説だけは流石に手掛けてないけど、それ以外はほとんどやっちゃってるでしょ。そこらへんに筒イズムの源泉があったりしてな。歴史はやらないが合言葉、とか。歴史モノ手掛けちゃうと発想が縮こまっちゃうからね。誰それさんがナントカ言ってるから取り敢えずそれに乗っかってみまして…的な書き方にならざるを得んし。良くも悪くも秀才面になっちゃうし。そこを否定するからこそ? 自由奔放に徹するからこそ、何でも書けちゃうんでしょうな。
 大したもんです。何を書いたか、よりも70過ぎてまだやってるよ、に。今のご時世、あのくらいタフじゃないと渡って逝けんのでしょ。どこ逝くんだか知りませんけど。

 自らマスを目指した手塚治虫先生が、その一方で「文化活動はマスをやっちゃ駄目で、零細に甘んじて日陰でコツコツやってるほうがいいんだ」とか言ってたのは、今さらながら含蓄ありますな。そんな手塚治虫先生の最大の功績(?)は、今こうして「おさむ」を漢字変換したら「治虫」がスルッと「出てくる」ってことでしょうね。

 虎は死して皮を残し 人は死して名を残す
 文化は死して文字を残し 文字は死せず世情を映す

 そげなもんかと。んだから「文学」なのかもね。

「オタクは死んだ」って岡田トシオが言うのって、なんか皮肉ですね。アンタもオタクが死ぬのに一役買ったんじゃないのかと。

 筒井康隆=『原始人』

> 言うほど昔の文学/漫画/アニメ/映画/テレビ/ゲームは立派だったんですかい?

立派でした

> それこそ、アルファケンタウリやハーツオブアイアンは、「最近の」作品じゃないのかね?

どちらも80年代のボードゲームがモチーフです

100年後にはポケモンも世界的名作として古典の授業で暗記させられる未来の学生たちに合掌。

礼拝。

>> 言うほど昔の文学/漫画/アニメ/映画/テレビ/ゲームは立派だったんですかい?

>立派でした

おいおい、根拠もなしに断言かよ。俺だって数十年間リアルタイムで見てきたが、
駄作が乱舞してるのも「最近の○○は」とか言われる状況も変わってねえじゃねえか。

過去のものがモチーフになるのはあとの時代に作ってるんだから当たり前だし、
その80年代のボードゲーム今やったら、隊長が4gamersの対談で言ってるとおり、面倒すぎて耐えられないって。
黒澤の映画も60年代のSFも、今見たら正直最後まで付き合うの辛いぜ?

士農工商ラノベ作家

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    ブロガー・投資家・イレギュラーズアンドパートナーズ代表取締役。
    著書に「ネットビジネスの終わり (Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など多数。

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