踊る猫
今日は「立春」ってワケで、暦の上だと今日から春なんだけど、コレを書いてる今は深夜なので、春らしいことは、まだ無い。この「まだ無い」で、ピーンと来た人もいるかも知れないけど、これは、夏目漱石の「吾輩は猫ひろし」‥‥じゃなくて、「吾輩は猫である」の1行目、「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」の「まだ無い」を使ってみた。夏目漱石と言えば、すごくいっぱい本を書いてるけど、誰でも読んだことのあるのは、この「吾輩は猫である」と、あとは「坊ちゃん」と「三四郎」くらいだと思うし、読んだことがなくても、タイトルくらいは聞いたことがあるだろう。それほど有名な小説なのに、意外と知られてないのが、これらの出典だ。これらはすべて、書き下ろしじゃなくて、どこかに連載したり、発表したりしたものが、アトから本になったものなのだ。
「吾輩は猫である」は、明治38年(1905年)に、俳句誌の「ホトトギス」に連載されたもので、「坊ちゃん」は、その翌年に「ホトトギス」に発表されたもので、「三四郎」は、明治41年(1908年)に「朝日新聞」に連載されたものなのだ。だから、リアルタイムで読んでた人がいたしとたら、今は100才くらいってワケで‥‥って思ったんだけど、赤ちゃんや幼児が俳句誌や新聞を読むことはできない。最低でも、10才くらいにならないと読めないと思うので、そうすると、当時、リアルタイムで「吾輩は猫である」とかを読んでた人が、今、生きてたとすると、少なくとも110才以上ってことになる。
つまり、今から20年前、30年前なら、子供のころや若いころに、朝日新聞で「三四郎」の連載を読んで、ワクワクしたことのある人がニポン中にたくさんいたのに、今は、もう1人もいないってことになる。そう考えると不思議なもので、昨日の日記の「生放送」と「録画」の違いみたいに思えても来る。1冊の本になった「吾輩は猫である」は、それはそれでとっても楽しい本だけど、ホトトギス誌に連載されてた「吾輩は猫である」を読んでた人は、読み終わって「つづく」ってなってから、次の号が出るまで、ずっとワクワクしながら待ってたんだろう‥‥なんて思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、「吾輩は猫である」が大好きなんだけど、特に好きなのが、猫がお雑煮のお餅を食べて、歯にくっついちゃって、何とか取ろうと思って、踊るシーンだ。踊るって言っても、ホントに踊ってるワケじゃなくて、両方の前足で歯についたお餅を取ろうとして、思わず後ろ足だけで立ち上がっちゃうシーンだ。それで、その様子が踊ってるように見えたってことなんだけど、あまりにも細かく、あまりにもテイネイに、それも猫の立場になって書いてあるから、ものすごく楽しい。猫的には苦しい場面なんだけど、思わず笑っちゃう。せっかくだから、ちょっとだけ引用してみる。
「(前略)尻尾をぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾は餅と何等の関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。ようやくの事、これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。まず右の方をあげて口の周囲を撫で廻す。撫でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度は左の方を伸して口を中心として急劇に円をかくして見る。そんな呪いで魔は落ちない。しんぼうが肝心だと思って左右かわるがわるに動かしたが、やはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事に、この時だけは後足二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいが、こうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っ掻き廻す。(後略)」
こんな感じで2本足で立ち上がっちゃって、この先もエンエンとお餅と格闘するんだけど、そこに、子供たちをはじめ、家の人が集まって来て、みんなに猫踊りを見られちゃうってワケだ。この、漱石お得意の緻密でシツコイ描写が、とにかくあたし好みだし、「こうなった日にゃあ」の「にゃあ」も、たまらなく楽しい。漱石って、俳句はイマイチだけど、小説は素晴らしいと思う。
「我輩は猫である」は小説だけど、ぜんぶを空想で書いたワケじゃなくて、漱石が飼ってた猫をモデルにしてる。小説と同じに名前が無かったから、半分は野良猫みたいな感じだったんだろうけど、漱石の家でゴハンをもらってた。どんな猫かって言うと、灰色系のシマシマの猫だったそうだ。だけど、子猫のうちから可愛がってたのに、名前もつけなかったのって、何か変だ。だから、その時その時で、「チビ」とか「タマ」とか「シマ」とか呼んでたんじゃないのかと思う。そして、この猫は、明治41年9月13日に亡くなったんだけど、漱石は裏庭の桜の木の下に埋めて、名前が無かったから、角材に「猫の墓」って書いて、立てたそうだ。
この時点では、すでに「我輩は猫である」が大ヒットしてたから、そのモデルの猫が亡くなったってことは、それなりの一大事だった。それで、漱石の俳句仲間にも報せなくちゃいけないってことで、悲しんでる漱石の代わりに、仲間の松根東洋城(とうようじょう)が、伊豆の修善寺にいた高浜虚子(きょし)に、こんな電報を打った。
センセイノネコガシニタルヨサムカナ
「先生の猫が死にたる夜寒かな」ってことだ。そして、この句に対する高浜虚子からの返信の電報が、こんなのだった。
ワガハイノカイミヨウモナキススキカナ
「吾輩の戒名も無き薄かな」ってワケで、名前の無いまま死んで行った猫のことを詠んでいる。今は、ケータイでいつでも連絡がとれるから、電報は緊急事態に使うものじゃなくなって、ドラえもん電報だとか、メロディーの流れる電報だとか、お祝いの時に使うものになったけど、漱石の時代には、電話のある家も少なかったから、緊急の時には、電報しかなかった。そして、今みたいに何十文字も打てなかったから、なるべく短く、簡潔に伝えるようにしてた。こんな時、たった17音で色んなことが伝えられる俳句って、ホントに便利だ。
ちなみに、「我輩は猫である」は、主人公の猫以外にも、それぞれモデルがいた。苦沙弥(くしゃみ)先生は漱石自身がモデルだし、他の登場人物は、漱石の俳句仲間がモデルになってる。また、舞台となる家も、漱石がイギリス留学から帰って来てから暮らした千駄木の家がモデルになってる。こう言うのって、小説やマンガを創作する人が良く使うパターンで、自分の周りの人たちをモデルにして登場人物を設定すると、会話やストーリーが組み立てやすくなる。つまり、すべて架空の人物だと、「こんな時、どんなセリフを言うのかな?」って想像するのが難しくなるけど、実際にいお友達とかをモデルにすれば、「こんな時、あいつならこう言うだろう」って想像しやすくなるからだ。
‥‥そんなワケで、モデルの猫がいたってことは、お餅が歯にくっついて踊ったのも、実際にあったことなのかも知れない。漱石の緻密な描写を読むと、とても想像だけで書いたとは思えないからだ。で、踊る猫って言えば、マンガの「ホワッツ・マイケル」が有名だけど、あれは、カッコ悪いとこを飼い主に見られちゃった時とかに、ゴマカシのために踊るもので、実際にはアリエナイザーだ。だけど、この「吾輩は猫である」の踊りは、現実にアリエール。お餅じゃなくても、猫って、食べ物がキバに刺さって抜けなくなると、口が「アヤヤヤヤヤ〜」ってなって、必死に取ろうとする。これは、猫ってすごく敏感な動物だから、ふだんと違う感触に対して、必要以上に反応しちゃうためだ。
猫って、とにかくあらゆるものに敏感で、たとえば、ソファーの上で寝てた猫の耳がピクッと動くと、ちょっと遅れてから誰かの足音が聞こえて来たり、猫がパッと窓の外を見ると、そこにスズメが来てたりする。寝てる猫の背中を指の先でちょっと触っただけれで、その部分が波打ったり、ビビッて動いたりする。テイネイに毛づくろいするのも、猫が神経質な証拠っぽいし、歩いててちょっとでも地面が濡れてると、パッと濡れてない場所に足を下ろす。だから、犬だったら、飼い主がムリヤリに洋服を着せても、靴をはかせても、仕方なくガマンしてるけど、猫に洋服なんか着せたら、発狂したみたいに大暴れして引きちぎっちゃうハズだ。
だから、水たまりなんか気にしないでバシャバシャと歩いちゃったり、大暴れして街を破壊しちゃったりするのは、サイボーグ・クロちゃんとか、デンキネコとかくらいだろう。サイボーグ・クロちゃんやデンキネコを知らない人は、説明するのがメンドクサイので、「日記内を検索」を利用して過去ログを読んでもらうとして、あたし的には、デンキネコの次回作として、「吾輩はデンキネコである」ってのを作って欲しい。
‥‥そんなワケで、デンキネコのシリーズは、基本的に、現代から近未来あたりの設定っぽく作られてるんだけど、それが、どことなくノスタルジックな匂いを持った絵と合わさって、独特の雰囲気を生み出してる。だから、たまには、明治時代あたりを舞台にした作品があっても、楽しいんじゃないかと思う。現代以外を舞台にした作品って、未来だとものすごい未来だし、過去だと江戸時代とか、さらには一気に原始時代とかになっちゃう場合が多いけど、明治時代や大正時代のビミョ〜な味わいって、絶対に捨てがたいと思う。まったりとした時間の中で、デンキネコが、縁側でのんびりとお昼寝をしてたり、「ニャニャニャニャニャ、ウニャニャニャウニャニャ、ウ〜ララ〜」とかって俳句を詠んでみたり、お雑煮のお餅が歯について踊り出してみたりと、そんなナニゲ無い世界、オチの無い世界ってのも、今までとは違った味わいがあって楽しいと思う‥‥なんて、デンキネコの作者の中村犬蔵さんが、この日記を読んでくれてることを前提に書いてみた今日この頃なのだ(笑)
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