9.16 高円寺ニートの乱 ~見えない敵との戦い~
ニートのデモに参加した。
群れて何かをするのが苦手な方なので、昔、知り合いの女の子から反核デモに一緒に参加しませんかと誘われた時も、そんな文句がつけようもなく立派なことに加担するような人間ではないのでと丁重に断ったことがある。しかし、このビデオ(必見!)を見せられた時には、思わず爆笑して、何としてでも参加するしかないと思った。
高円寺ニート組合と称するグループが「家賃撲滅!家賃をタダにしろ!」をスローガンに、世のニートを糾合し、死ぬほどくだらないデモを繰り広げるというのだから捨てておけない。(写真はかめよん写真館より)
このブログでも、ニートのことを何回かとりあげた。「万国のニート、フリーターたちよ団結せよ」という記事では、ニート、フリーターたちは、階級意識に目覚めて、もっと声を上げてもよいのではないかと、おせっかいなことを申し上げた。
そのニートたちが、いよいよ一揆をおこすというのだ。
物々しい警備、警察バスの隊列がならぶ
集合時間の9月16日(土)午後3時に中野駅北口の囲町公園に行ってみると、ニートとおぼしき若者の姿がちらほら。が、それよりも数段目立っていたのが、ものものしい警察バスの隊列と警備の警察官の多さだった。公園の出入り口を、警官たちが固めている。といっても、全体としてはのんびりムード。近くにいた人の良さそうな警官に野次馬を装って「何かあるんですか?」と聞いてみると、「ニートの連中がデモやるっていうんで、非番だったんだけど駆り出されたんですよ~」と苦笑している。おまわりさんも、こんなクダラナイことにつき合わされて、個人的に複雑な思いなのだろう。なんとも気の毒なことだ。
しばらくすると、突然、音楽が流れ始め、メガホンでアジテーションが始まった。スローガンが書かれたプラカードが配られ、私は「もっと広い部屋でSEXサセロ」というのが気に入って、これをマイ・プラカードにして、定刻通り午後4時からデモが始まった。
デモは、中野区役所のそばにある囲町公園を出発点にして、高円寺の高円寺中央公園を目指す、2時間あまりの行程だ。最終的にはどこからともなく、100名ぐらいの参加者が集まり、デモらしくなった。先頭に大型スピーカーをのせたトラックがデモ隊を先導していく、その前には警察の先導車が。オーシャンゼリーゼからラップまで、古今東西の脈絡の無いミュージックを大音響で鳴り響かせながら、ナンセンスなプラカードを持って行進する怪しい集団を沿道の人々も怪訝そうな顔をしてい見守っている。
途中、移動式一畳間(ゴザをひいた台車に卓袱台を置いて人が荷馬車になってひっぱる乗り物)に乗っていたヨーヨーさんという女の子から声をかけられて、その一畳間に飛び乗って、ウーロンハイと手巻き寿司をごちそうになった(ヨーヨーさんごちそうさま!)。
彼女も自称ニートで、こうしたお祭りを手伝ったり、アルバイトをしたり、時々、音楽雑誌にコラムみたいなものを書いているという。
「僕たちは悪くない!」
先頭車のスピーカーから叫び声にも似たシュピレヒコールが飛んだ。
そうなのだ、ニート諸君!君たちは何も悪いことはしていない。そりゃあ少しくらい、人付き合いが苦手だったり、怠け癖があったり、根気がなかったりしたことがあったかもしれない。でも、そんなことは、ごく当たり前の人間が当たり前に持ち合わせるひとつの資質にすぎぬ。それなのに君たちが、希望を持てぬ生活を強いられているとすれば、その責任の過半は、社会にある。この問題の本質は、君たちの個々人の内側にあるのではなく、むしろ外部に存在しているのだ、そのことをまず確認しておこう。
高度な資本主義が必然として生み出すニート
しかし、ニートという存在を作り出している社会構造そのものは、システム化され、強固であり、なおかつ柔軟でさえある。彼らのような存在は、いまの世界の高度な資本主義システムから必然的に生み出されてくる。むろん、そのことには否定的な面ばかりが伴っているわけではない。そこには、自由な職業選択と労働力を担保する高度な労働市場が存在していることを同時に意味するからだ。しかし、その美酒を造る酒樽にたまる澱のように、ニートやフリーターは生まれてくる。それを生み出すシステムや構造は、こんなデモなんかで壊せるヤワな存在でないことも君たちはよく知っているはずだ。安保反対!を叫んで国会議事堂に押し寄せた60年代の若者たち、すなわち君たちのお父さんたちには、岸信介のような、「わかりやすい敵の顔」が見えていた。
デモの標的となる敵は誰か?
一体、このデモが標的とする敵とは誰なのだろう?デモに参加している間中、ずっと私が考えていたのはそのことだった。
家賃を搾取(!?)している大家?とんでもない。このデモのスローガンやメッセージは、全てフェイクであり、置き換え可能な記号にすぎない。「反核」デモのような、最終的にはどこかの政治勢力や権力に加担し、そこに収斂されてしまうようなリアルなメッセージであっては駄目で、徹頭徹尾ナンセンスだからこそ起爆力を持つ。
別の言い方をすれば、「死ぬほどくだらない」スローガンを掲げた運動だからこそ、ニートたちは集まってくるのだ。この運動を日本共産党や公明党が組織すると言い出したら(そんなことはありえないと思うが・・・)、当のニートたちはあっという間に白けてしまうだろう。
システムを撹乱させる「カルチャージャミング」という戦略
世界がシステム化され、真綿で首を絞めるように人々を圧迫する時に、果たして、どんな戦い方、戦略が可能だろうか。
そのひとつのヒントになるのが、「カルチャー・ジャミング」という戦略だ。文化の乗っ取り、あるいはもっと過激にいえば、文化(記号)テロといってよい。強固なシステムにまともにぶつかったらひとたまりもないので、そのシステムを撹乱するのが「カルチャー・ジャミング」の目標となる。屋外広告にイタズラ書きをして広告メッセージを全く別の意味に変えてしまったり、お金を払ってテレビスポットを買い、不買CMを流したりする活動が、北米、ヨーロッパを中心に展開されている。その教祖的存在、カレ・ラースンの著書「さようなら消費社会 カルチャー・ジャマーの挑戦」の訳書が、最近、日本でも刊行された。
9.16中野~高円寺 ニートの乱は、こうしたカルチャー・ジャミングの流れを正しく受け継ぐものといえるだろう。「カルチャー・ジャミング」などと洒落ていって見ても、所詮は「負け犬の遠吠え、無駄な抵抗だ」という向きもあるかもしれない。確かに、システムは一瞬揺らいでも、すぐ元に戻って粛々と何事もなかったような顔をしてまた動きはじめるだろう。
しかし、酒樽の底に澱のようにたまった沈殿物が、振動を受けて浮かび上がるように、ニート、フリーターたちが、一瞬の青空を覗きに、水面に浮かび上がっていくことを単に無駄な抵抗といって片付けられるものか。
美は乱調にあり、これはアートだ!
だとすれば、重要なのは、このデモを単なる政治運動の狭い枠組みの中で考えないことだ。「美は乱調にあり」と喝破した大杉栄のように、全てをアートパフォーマンスとしてとらえればよい。警察官や警察バスを動員し、世間をあっといわせたストリートパフォーマンスとして見れば、こんな痛快なことはない。
デモ集団が高円寺に近づき、そろそろデモが終盤に近づいた時、突如、わっしょい!わっしょい!という掛け声とともにニート神輿(みこし)が登場した。なんでまた神輿なのかなと思ったが、たぶんこちらが詮索するほど、深いわけはないのだろう。ただ、神輿というかぎり、何かご本尊が必要となると思った。
ニート神輿に最もふさわしいご本尊とは何か?
これは、なかなか難しいが、本質的な問である。もちろん、正解があるわけではないし、人によっていろんな答え方ができる。日本の為政者は、今のところ、このご本尊の座にイスラム原理主義やオウムが降臨していないことを喜ぶべきだろう。
私は、この問に対しては、サルトルの有名な次の言葉がふさわしいと考えている
「人間は自由の刑に処せられている」
(カトラー)
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コメント
とことんバカバカしいことができるのも、文化の成熟かもと思いながらも、とても複雑な気分でこのエントリーを読ませていただきました。
そうだなあ、いやそうか?と行ったり来たり。
>世界がシステム化され、真綿で首を絞めるように人々を圧迫する時に、果たして、どんな戦い方、戦略が可能だろうか。
そうですね。それが、ニートやフリーターの増加とつながっていると実感しています。
投稿: クレ | 2006.09.19 02:51
いしいひさいちのデビュー作「バイトくん」に出てくる「安下宿共斗会議」というデモ団体を思い出しました。w
もし僕がデモに加わるのなら、間違いなくあの漫画のワンシーンを旗にしますね。
投稿: Baatarism | 2006.09.19 10:50
>君たちが、希望を持てぬ生活を強いられているとすれば、その責任の過半は、社会にある。
>この問題の本質は、君たちの個々人の内側にあるのではなく、むしろ外部に存在しているのだ、そのことをまず確認しておこう。
問題の原因を自分ではなく他者(社会など)に求める思考をする人間を社会では子供と呼ぶ。
子供が子供たるゆえんは、社会に対する悪意や敵意ではなく、自己の無垢性に対する信憑である。
率直に申し上げて、子供のお遊びであり文化的要素がないイベントであり、つまらない。
率直すぎて申し訳ない。
投稿: 通りすがりのものですが | 2006.09.19 12:05
素人の乱@高円寺では「三人デモ」っていうのもありましたね。これも秀逸。
投稿: ヤマギ | 2006.09.19 22:45
カトラーさん、お久しぶりです。
こちらのブログで何度かニート フリーターについて取り上げておられた際もコメントさせて頂きました。
たしかあなたは、フランスでの死者までだした暴力的騒動がこの日本でも発生するのではないかとの期待?を込めた記事をエントリーしていたと思います。
私はそのコメント欄に日本人のニートやフリーターが起こす騒動は幕末の「ええじゃないか」以上のものではないと書き込ませていただきました。
今回カトラーさんが話題にしておられる 高円寺ニート祭りに参加したニート諸君について 私の正直な感想を申し上げれば、資源ゴミ回収日の早朝に袋いっぱいのアルミ缶を運んでいるホームレスの方々が、 手を合わせたくなるほど神々しく見えると言ったところでしょうか。
>安保反対!を叫んで国会議事堂に押し寄せた60年代の若者たち、すなわち君たちのお父さんたちには、岸信介のような、「わかりやすい敵の顔」が見えていた。<
カトラーさんのこの呼びかけは実にユニークな視点かと思われます。
若者達が「岸を殺せ」、「安保反対」と憑かれたように叫んでいたのは「北朝鮮は地上の楽園、毛沢東、金日成は偉大なる指導者 ソビエト連邦の輝かしい未来」を堅く信じた故ではなかったか。
当時の日本国民の過半が断固拒絶したこの様な明らかに間違った主張を信じて庶民の生活を麻痺させ国会に突入するなど、現代に生きるほとんどすべての人々の失笑を誘うだけです。
この軽薄、おっちょこちょいを絵に描いたような若者達の一部が何の反省もなく年を重ね父となったならば。 カトラーさんが呼びかける「君たち」ニート諸君の救いがたい退廃のわけがすこし理解できたような気がします。
ここでいうニートとは、親の因果が子に報いとしての存在なのか、それともお父さん達の主張を退けた人々が達成した豊かな国の働かなくても食べていける特権階級なのか いずれにせよ彼らの公道をぶらつく姿と文化とは何の関係もないように思うのですが。
投稿: 武井 | 2006.09.20 00:50
コメントをありがとうございます。
時間がなくて、返信が遅くなり、申し訳ありません。
私のような40代以上の世代では、ニート、フリーターと呼ばれる若者たちに対して、どうしても批判的な見方が先行してしまいます。特にニートについては、目的もなく、ブラブラしているというイメージが付きまとい、武井さんが言われているように、豊かさが生み出した「特権階級」というとらえ方もできると思います。
私自身、長じた2人の娘がおりますが、学校を出たらさっさと働け、目的もなく、モラトリアムをすることは許さない、とにかく家を出ろ!といっています。
しかし、今回、このデモに参加して自称ニートの人々と同じ目線に立ちながら歩いていると、デモを見物する側からは見えなかったものもいくつか見えたような気がしました。
彼らは自由の刑に処せられているといいましたが、今回のデモの参加者は、自由であるということに関しては、強いモチベーションが共有されていると感じました。
今回のデモは、幕末の「ええじゃないか」以上のものではないという指摘は、確かにその通りですが、彼らの中には、この何者でもない自由を思い組織だった反乱を心情的に拒否している要素もあるのではないかと考えています。一揆にしろ何にしろ、歴史的に見れば、権力に対してモノ申す動きというのは、本来、危なっかしくて秩序立っていない場合の方が普通で、もともと「ええじゃないか」的なところがあったように思えます。そう考えると、ニートのデモというのも、世の中を変えたいという若者たちのエネルギーの発現として考えられるのではないでしょうか。
投稿: katoler | 2006.09.23 12:53
>「北朝鮮は地上の楽園、毛沢東、金日成は偉大なる指導者 ソビエト連邦の輝かしい未来」を堅く信じた
まことに僭越ながら、彼らはそのような信仰を持っていませんでした。ちょっと調べればわかることです。
当時の全学連主流派は復活した日帝と米帝の新たな連携が日本独自の先進国革命の最後の機会を
失わせると考えていたのです。これはこれで劇画的ですが。
投稿: ぢぢさま | 2006.09.30 23:18
ついでながら
>世の中を変えたいという若者たちのエネルギーの発現
は68年の若者の叛乱に近い。ニート世代の両親も60年安保(青木政彦や西部邁1938-40年生)
じゃなくこのあたりじゃないですか?
投稿: ぢぢさま | 2006.09.30 23:26
青木昌彦(1938-)でした。
投稿: 訂正 | 2006.09.30 23:28
ぢぢさま、コメントありがとうございます。
ニート世代の親世代というのは、おっしゃるように学生紛争が大学を吹き荒れた60年代後半、いわゆる70年安保の時代が適当ですね。ご指摘ありがとうございました。
投稿: katoler | 2006.10.01 17:02
ぢぢさまさんへ
「堅く信じた」という挑発的な言葉を使ったことを問題にされるなら多少は理解もできます。
しかし、私の言う共産主義国やその指導者にシンパシーを感じるという事と あなたの仰る米帝と復活した日帝の粉砕、日本独自の先進国革命を夢見るという事が別物だという感覚は理解できません。
当然ながら、彼らそれぞれ 御ひいきの共産国やその指導者の違いはあったでしょう。
68年頃、若者達の政治闘争のエネルギーが五流十三派と称されるほどに分裂化し それぞれのセクトが微細な思想の違いで抗争を繰り返していたようですが、この問題に関してそのような細部にこだわる感覚は意味がないと思います。本質を見据える姿勢が何より大事なのではないでしょうか。
投稿: 武井 | 2006.10.02 06:30
>共産主義国やその指導者にシンパシーを感じ
ちゃいなかったよ、と。(なかにはいただろうが)
あえてご贔屓というなら、とっくに暗殺され
どこにも存在しない世界革命の指導者ですか。
無論、安保闘争を闘ったのは全学連だけじゃありません。
また、くどいようですが60年と68年は違います。
投稿: ぢぢさま | 2006.10.02 14:05
30年前のアジビラ読まされたみたいで、公式的&教条的で、なかなか味わい深い。「ニート」のような珍語をカギカッコ無しで臆面も無く使えるところも、このブログ主の脳老化&思考硬直ぶりを、如実に示していて、思わず貰い泣きしそう。赤プリでお笑い同窓会を開いた、全共闘の知恵遅れな爺さんの滑稽な姿を思い浮かべた…
投稿: おっとどっこい | 2006.10.20 19:55
ネットによる無店舗販売は、店舗からは解放されましたが、雇用を奪うという副作用を産んでしまったのは否めません
ネットを禁止すれば、雇用は増えると言われています。ウォール街デモでアノニマスがクラック行為をやめないのも、雇用を奪うITシステムに対しクラッキングを行っているためと言われています。
もちろんこのような ブログなどのCGMも一蓮托生ですが…
SOPAやPIPA、ステマ運動もマスコミ雇用の拡大運動に行き着きます
おそらく、雇用を奪うIT利用が禁止され、大家族制度が推奨される方向に落ち着くでしょう
投稿: ましゅ~ | 2012.02.14 08:30