頭の良くなる家 ~子供を勉強部屋から解放せよ~
「頭の良くなる家」というものがあると知ったのは、このブログに何回か登場してくれている慶応大学SFCの渡邊朗子助教授の話からだった。渡邊先生は、建築とITの融合領域でユニークな研究活動を展開されている気鋭の学者であり建築家だが、その研究テーマにITによって空間を知能化する「スマートスペース(知能化された建築空間)」という考え方がある。「頭の良くなる家」というコンセプトは、それと似かよっているようにも見えるが、だいぶ意味が異なり、ある面、眉唾っぽい響きさえある
。
渡邊先生の紹介で、「頭の良くなる家」プロジェクトを実際に手がけているエコスコーポレーションの四十万(しじま)社長から直接話を聞く機会が得られた。正直を言うと、最初は半信半疑で四十万さんの話を聞いていたのだが、最後はナルホドと納得させられた。
有名進学中学の合格者の家をフィールド調査
何よりも驚かされたのは、四十万さんが、麻布、武蔵、開成といった有名進学中学校に合格した子供を持つ家庭を実際に200軒以上も訪問してデータを集めていたことだ。その作業には数年間を要したというが、徹底したフィールド調査活動を通じて、ある共通した特徴が抽出できたという。実際の調査を通じて撮りためられた子供たちの勉強部屋やリビングの写真を見せられないのが残念だが、その共通点とは、多くの子供たちが親から与えられた子供部屋では勉強をしていないという事実だった。自分の学生時代を思い起こしても、また、受験期の子供を持っている親なら実感しているかもしれないが、子供は勉強部屋に押し込まれて勉強するのが嫌いだ。ちょうど夏のひまわりが空の太陽の光を求めて伸びていくように、子供たちも開放されたコミュニケーション空間を志向していく。考えて見れば、そもそも子供は勉強部屋で勉強しなくてはならないと誰が決めたのであろう。渡邊先生によれば、戦後のLDK幻想、すなわち2LDK、3LDKというように生活空間を小割にするという発想が、子供部屋という幻想を生み出したのだという。欧米の家にも子供部屋はあるが、広いリビングルームがまずあって、家族コミュニケーションの場が確保された上での個室である。個の自立に対する意識も日本とは異なる。
勉強部屋の起源
そもそもLDKという考え方自体、戦後の劣悪な住環境の中で、せめて生活空間と寝るスペースを区分けしようということから生まれたという歴史的経緯がある。そして、小分けした空間をどのように割り当てていくべきかと考えた際に、教育熱心な日本では、結果として子供部屋(=勉強部屋)が筆頭に上げられてきたということなのだ。かくいうカトラー家においても、家の建て替えの際に、「私の書斎を」と小声で主張したこともあったのだが、娘達の勉強部屋を確保することが優先され、書斎の話は一顧だにされなかった。
話しは少し横道にそれるが、子供部屋をめぐっては、個室を与えることが引きこもりや非行の温床になっていると指摘されるなど、最近はどちらかといえば否定的な論調が強まっている。以前、このブログでも紹介したが、脳科学者で北海道大学教授の澤口俊之氏も子供の脳の発達、特に高度な人間的な能力を担う前頭連合野の形成には、コミュニケーションが豊かにとれる環境に置くことが重要であり、その観点からすると「子供部屋」に子供を閉じこめるのではなく、もっと開放的なコミュニケーション空間の中で育てるべきだと説いている。
「最近の研究では、人間の脳の中でもっとも高度な機能を担っているのは、前頭連合野であることがわかっています。そこを育てることが一番重要なのです。前頭連合野とは、言語的知性、論理数学的知性、絵画的知性、音楽的知性など、人間のさまざまな基本的な知性を統合するメタレベルの知性としての機能をもつ部位です」
(Child Research Netより引用)
前頭連合野の働き
進化的には人間に最も近いといわれるチンパンジーと人間の脳の大きな違いは、チンパンジの前頭連合野の比率が人間の1/6しかないことだ。前頭連合野は、脳内に蓄積された記憶や知識を連携させて、複雑な行動計画を組み立てたり、物事の時間的な順序を弁別する能力と深く関わっている。何らかの理由で前頭連合野が損傷を受けると、出来事そのものの記憶はあるのに、その時間的順序がわからなくなったり、絵を見ても一部分ばかりが気になり、分析的、系統的に見ることができなくなるという。つまり、前頭連合野は物事を抽象化してとらえる能力と深く関わった脳の部位であることがわかる。また、サルの前頭連合野を損傷させると、眼球の運動障害や空間の知覚障害が現れることがわかっており、空間の知覚とも前頭連合野は深く関連していると推測できる。
なぜ人間に限って前頭連合野が大きくなったのだろうか?その点については澤口氏は以下のように推論している。
「前頭連合野がそのように大きくなった理由については、今から300万年ぐらい前の家族の発生と絡めて考えています。というのは、その頃に男女差が縮まって、一夫多妻ではあるが現在の家族形態に近いものが生まれてきたらしいのです。5,6人のユニットが20ぐらい集まって社会を形成していた。そこでの家族関係や家族間の社会関係が、前頭連合野の発達を促すことになったと推測されます」
こうした推論が成り立つ根拠については残念ながら触れられていないのだが、この仮説を敷衍すれば、前頭連合野は、家族、社会関係などコミュニケーション空間の中で育まれるということがいえるだろう。
つまり、「頭の良くなる家」とは、脳科学的な見地からすれば、前頭連合野を育むコミュニケーション空間を提供する家と言い換えることができる。
子供をまともに育てるコミュニケーション空間
これとは逆に、テレビゲームなどに耽溺することで没コミュニケーションの状態が長期にわたり続くと前頭連合野の働きが衰弱した「ゲーム脳」になることが澤口氏も含め一部の脳科学者によって指摘されたことがある。前頭連合野は、他者の感情を推し量ったり自分の感情をコントロールする働きもあるので、この働きが弱ると「キレやすい」人格になってしまうと説明された。
「ゲーム脳」という言葉には、マスコミも飛びつき一時期、話題となったが、これを批判する声も多かった。ゲームをやりすぎると「ゲーム脳」になるという言い方には、科学的というよりも、テレビゲームに対するある種の偏見やイデオロギーが感じられ、私も反発を感じた。
しかし、最近の少女の誘拐殺人事件やワケもなく人を殺すような若者が明らかに増えている現実を見ると、澤口氏が言うように前頭連合野の衰弱あるいは未成熟が広範囲にわたって発生しており、それは、幼年期に没コミュニケーション的な環境の中に置かれたことが原因ではないのかと思えてくる。これは、ただテレビゲームだけを「ゲーム脳」という言葉を使って悪者にすれば片が付く問題ではなく、子供をどのようなコミュニケーション空間で育むべきなのかについて根本的、全面的に考え直す必要があるのではないか。
その意味で「頭の良くなる家」とは、子供たちをまともな人間を育てるには、どんなコミュニケーション空間、教育空間を提供すべきなのかを深く考えさせられるコンセプトなのだ。
(カトラー)
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コメント
いつも興味深く拝見しておりますが、今回のエントリはいつにも増してです。
デザイナーズとかコンセプト住宅流行の昨今、ハウスメーカーが飛びつきそうな感じですね。
ただ、ゲーム脳の時のような上っ面じゃなくて、「考え直す」ことの始まりにしていきたいです。
投稿: たっくん | 2005.12.24 09:46
今回の件、2月に初めての子供が生まれる私にとって、いつも以上に興味深く拝見させていただきました。
「ゲーム」「PC」「テレビ」などなど、直に人とコミュニケーションをしなくても、バーチャルな環境でコミュニケーションをとることができるような仕組みが多い現代において、とても不安な要素だと思いました。
また、いわゆる「デキル」人の条件として「コミュニケーション」の中の「相手の気持ちを察することがうまい人」なんだろうなぁと今回のエントリーを見ていて、非常に実感しました。
非常に参考になる内容ありがとうございました。
投稿: ppt | 2006.01.06 21:11