御猪口も可愛いと目をほそめる綾子に、ケイタイに送られてきた姪の写真を見せる。綾子はさっき御家族揃ってお店に来られましたと言ってつづけた。
「よく似合って、とてもお綺麗でした。お洋服のときはお父さま似かと思いましたが、あらためてお母さまのお写真を拝見したらお母さまにも似てますのね」
それは大桑も感じたことだった。綾子は、御礼だと店のものにケーキまで買ってきてくださってと笑みを深くする。
はあ、と大桑はまたも間の抜けた声をもらした。晃一はそんな子供騙しの、出入りの営業職のようなアプローチしかしていないのだ。これはいけない。
そうこうする間に綾子が、そうそう忘れないうちに御紹介料をと鞄を膝のうえに置いて折り畳んだ紫色の袱紗をとりだした。大桑はさしだされた熨斗袋をおしいただいて礼を述べ、信玄袋の口に手をかけてことわりを入れた。失礼してなかをあらためさせていただきます。綾子がうなずいたのを見て確信になる。口を開ける。やはり多い。顔をあげる。
「受けとっていただかないとわたしが困ります」
脅すような笑顔が目の前にある。大桑は諦めて、じゃあここは私の奢りでと申し出るとそれも困りますと今度は首を傾げるようにして微笑まれた。なるほど、使いどころをわかっている。綾子は姿勢を正して大桑を見た。
「ご承知でしょうけど、月成さんには本当に大変お世話になってるんです。歳末セールや新年の売り出しでたくさんお客様を呼んでいただいて。お招きした作家さんの品物をお気に召していただけて本当に、とっても有り難かったんです」
綾子を気に入った小母が友人知人を誘ったせいだが、吐息混じりの感謝の言葉を晃一に聞かせてやりたかった。なかにはお茶の先生もいて、訪問着や色無地やコートその他の小物が売れたらしい。最低二百万円以上の売り上げが立ったのだろう。
「前にも言いましたが、男寡じゃ間が悪いですかね?」
「あら、きゅうに唐突ね。月成さんからは一切そんなお話しありませんよ?」
「家族と一緒にいるときに口説く男はいないでしょう」
じゃあ大桑さんはどうなんですか、そう言って綾子が両手の指をくんでテーブルに肘をつき顎をのせた。わずかに身を乗り出して大桑を見る。
「私にはそもそも家族がいない」
わたしも独り身ですと申告した綾子を軽くいなす。
「貴女には根無し草みたいな男は似合いませんよ」
「似合う女のひとをよく知ってる口ぶりね」
大桑はそれには苦笑するしかない。いま一緒に暮らしている舞由は美貌と愛嬌と気取りのない才を売り物にしたホステスだ。
「大桑さんて躱したり逃げるのばっかり上手に見える」
「商売ですから」
暗に色を売っていると仄めかしたが、綾子は気づいたのか気づかないのか真顔で問うた。
「誰かに本気になったこと、あるんですか。たとえば月成さんのことは」
「月成は妹の旦那ですよ」
はっきりと窘める口調でこたえたが綾子はひきさがらなかった。
「なら、妹さんですか。血は繋がってないっておっしゃってましたものね」
大桑はいささか面倒になって、今日はやけに絡みますねと呆れてみせた。あら、聞いちゃいけないことだったのねという呟きを聞かないふりをした。そうして落ちた沈黙を綾子は気にとめる様子もなく、若い娘のような生真面目なかおでたずねた。
「だって、いまさら裸になんてなれないでしょう?」
自嘲と呼ぶには華やかな笑みだった。大桑はおもわず息をのんだ。
「ちがうの。年を取って見られないからだになったせいじゃなくて、いえ、それもあるんでしょうけれど、もう何もかも脱げなくなってしまって。夫の前でもっと泣いたり喚いたりすればよかったのかもしれないと考えたりもしたけど、なんだか馬鹿らしくて」
だって、仕事で始末つけられたのよ、そう考えたら本当に馬鹿みたい。
綾子の言葉に今日初めて苦渋がのぞいた。要するに、離婚が成立したのは彼女の夫の勤めていた会社が倒産したせいだった。それにともない浮気相手である若い女の実家の金物屋だかホームセンターだかに転がり込んだそうだ。
「義理の母があんなに電話したのに折り返しもなくて、働き口がなくなったら離婚に応じるってどういう了見なのかしらって義母が泣きながら怒って謝ってくれたんですが、でもわたし、なんだかわかる気もして、そういう自分に無性に腹が立って」
綾子はまくしたてるようにひとりでしゃべってひとりでわらった。けっきょく暮らしていけるかいけないかの問題なのよねとひとりごちて息をついた。
大桑はそれまでずっと目の前の女の語る言葉に耳を傾けていたが、その視線が彷徨うのをやめて組み合わせた手指に注がれた瞬間、声をかけた。
冷酒、おかわりしますか。
そうね、大桑さんのおすすめでお願いします。
綾子は自分の手指を愛おしむようにひと撫でした。爪は綺麗に切り揃えられたうえ、よく磨かれてほんのりと上品な艶がある。色は乗せていない。働き着としてあった結城紬には似合わないと判断したせいだろう。
「そうは言っても、世の中に馬鹿げていないことなんてそうはないんじゃないですかね」
運ばれてきた福井の地酒を綾子の御猪口に注ぎながら大桑は口にした。
「あら、夢使いも養蚕のお仕事も少しも馬鹿げたことじゃないでしょう?」
「貴女の店長という仕事もですね」
綾子は大桑の手から徳利を奪って微笑んだ。
「ねえ、お蚕様に乾杯しましょうよ」
御蚕様ですかと、大桑はなみなみと注がれた御猪口をおいてわらった。綾子はそれでも気を損ねたりせず、だって神獣なんでしょうとこれまた真面目な顔つきで聞いてきた。
「そうですね、じゃあ御蚕様に乾杯」
大桑が控えめな声で音頭をとる。綾子は御猪口をおしいただくように飲み干した。美味しいという感嘆の声に目尻がさがる。そうして油断していたところに斬りこまれた。
「男のひとはお蚕様みたいにほうっておけない女のひとが好きよね」
大桑は言い逃れができなかった。すでにそう伝えてしまっている。あくまで蚕についてだが、いまさらそれを否定できない。しかたないので言い訳をした。
「誰だって自分が必要とされているのは嬉しいものじゃないですか」
「そうね、大桑さんが大切なのはわたしじゃなくて月成さんなように」
目を伏せた綾子の瞼が不自然にふるえた。
大桑は不躾な視線を向けたつもりはなかった。だが綾子は片手でそこを押さえて、気にしないで、若いころから疲れるとこうなるのと言った。きっと離婚のストレスもあるんでしょうけど今日は成人式の着付もあって朝から忙しかったから。
運ばれてきた白海老の唐揚げを食べて箸をおき、あらためて大桑を見た。
「別れた夫は和装小物問屋の営業で、わたしがまだ本社でOLしていたころに商品開発に携わったほうがいいって勧めてくれて、ほら、卸しは売り掛けでしょう? わたしの選ぶものは止り率が高いしセンスがいいって褒めてくれて。部長や社長の前でよその会社のひとに褒めてもらえてとても嬉しかった……」
そこで綾子はふっと息をもらすように笑った。
「倒産の話し、彼から全然聞いてなかったんです。店長になって本社から離れてしまってからそういう情報も疎くて。彼も数字があがらなくて落ち込んだり苛々してたのもあったんでしょうね。わたしは自分のことで手一杯で、しかもおかげさまで順調にいってたから言えなかったんだろうとおもうと悪いことをしたような気がして。でも、けっきょく彼にとってわたしは大切な人間じゃなかったっていうだけのことなんです。それはまだましで、わたしもいちばん近くにいたはずの相手のことが大切じゃなかったんだと思ったら可笑しいやら情けないやらで、ほんとうに」
綾子の声はすこしもふるえず、卓上で組み合わさった手もまたしずかだった。
「綾子さんはまっとうですね」
え、という声をあげた相手に大桑はわらってみせた。
「家族や夫婦こそ地獄だってこともあるでしょうに、貴女はまっとうにすぎますよ。私に言わせたら、そんなことで傷ついたり悩んだりする必要はまったくない。貴女はもっと幸せになるための努力をするほうがずっといい」
大桑はそう言って携帯電話をひらく。目を見開いたままの綾子に諭すように言う。
「月成を呼びます。車で家まで送ってもらいなさい」
「大桑さん? 待ってください」
「あの男はいまどき珍しい正真正銘の紳士ですから心配いりませんよ」
そう言っている間に月成晃一の声が聞こえた。
ああ晃ちゃん、おれ。今からクルマ出せるかい。うんうん、そう、ここ道狭いからね、表通りまで、ああ、うん、そうだね、じゃあよろしく。
パタンと音をたてて閉じた電話を信玄袋にしまう。
「……大桑さんて身勝手なひとね」
ほとんど感嘆するように呟かれ、大桑はゆるゆると頭をふった。二十年以上前、妹にそう言われた――身勝手ね。おにいちゃんはいつもそう。逃げてばかりの大嘘つき。
「そうですね、だから私になにかを期待されても困ります」
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