翌日、王から修道院長への便り――《旌旗(オリフラム)》 いつだったか、余はそのうち修道士になるつもりだとそなたに話したはずだ。ゆえに、そなたの告解を聴くのは悪くない。何でも話すがよい。だが、さきの件はそなたを困らせようとしたことではないのだ。
長年こんなに一緒にいながらも、余はあのときのそなたの言葉が忘れられずにいる。これは年寄りの懐古話しであったはずだ。ただし、そなたを呼び寄せて口をひらかせれば、いつもどおりに笑い話ですまされそうで癪なのでルイを間に置いただけのことだ。
そなたが我が息子をどれほど慈しんでくれているかはよく知っている。ルイが実の父親よりそなたを尊敬している、その一点をしてもそなたがどれほどに心を砕いてくれているか理解しているつもりだ。
そのルイだが、敬愛する修道院長への誹謗中傷とやらに胸を痛めていたぞ。そなたが自身の立身出世のために余におもねったという輩が大勢いると話したそうだな。おおかたは豪奢と美麗を好むそなたを贅沢と批判するものたちの仕業であろう。そなたは露ほども気にしていない癖によくも言ったものだ。
ところが我が息子ルイはかわいそうに、そなたの言葉をそのままに受けとり嘆き悲しんだ後は、そなたを非難する無礼千万な輩を誅する勢いであった。
余は知っている。そなたが皆に振る舞う時以外常に粗食に甘んじていることを。その住まいもまた、そなたの高い地位を思えば有り得ないほど狭く質素なことを。ルイはそなたの側近く接しているから、そなたの富みや宝石を求める理由が聖堂の改築費と修道士たちの暮らしの改善、また貧者への施し等にある事実をしっかりと見ているからな。
斯様(かよう)なわけで、余自らが息子を慰め、また宥める羽目になった。シュジェールよ、そんなことのために国王を働かすとはどうしてくれる。とはいえ我が息子にもあれでなかなかに勇ましいところがあると知れて安堵した。いささか単純ではあるがな。
ああ、もちろん、余がそなたに働かされたのはこれが初めてのことではない。なにしろそなたの謂(い)いに従えば、余はこのフランス王国の守護者たる聖ドニ修道院の封臣であり、それ故にあの黄金の炎を戴く真紅の《旌旗(オリフラム)》の旗手となった。余は偉大なるシャルルマーニュ大帝の軍旗(オリフラム)を掲げ、我が国を侵した神聖ローマ皇帝ハインリヒ(アンリ)五世を打ち倒すべく、全フランス軍を率いて出陣したのだ。
ところでシュジェールよ、この際だから述べておく。そなたが愚かなのだとしたら、この世のいったい誰が賢かろう。英国王と名乗る男ですらそなたの知性と能力に敬意の念をあらわにした。そなたはいつも、それは相手へ先に敬意を払ったからだと反論するが、相手はまがりなりにも英国王だ。民草の尊崇の念にいちいち礼を返すものか。そなたの友人シトー会の重鎮クレルヴォーのベルナールはもちろん、教皇聖下ですらそなたに重きを置いている。だが、そなたの価値を真実ほんとうに理解しているのは余であろう。腐敗しきった修道院の大改革、法の整備、また領地経営についてもそなたほど辣腕を振るったものはこの世にそうはいまい。
そして今、我々の間には何か、肝心でありながら、ごく僅かな誤解があるようだ。つまり、余はそれを確(しか)と伝えていなかった。
余は、そなたが自身をあらためて《修道志願児童(修道院に捧げられた子)》であると告げた、あの言葉が忘れられぬのだ。
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