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唐草銀河

夢のように、おりてくるもの
夢うつつ夢うつつ


夢うつつ夢うつつ 31


 スタンディングオベーションの観客のなか席を立った。隣りの弟子はあわてて俺の袖を掴んだが、俺はその手にそっと触れて頭をふった。それから苦労して扉の外に出ると弟子が駆け寄ってきた。
「先生、どうしてっ」
「どうしてもこうしてもない。彼女がそばにいたのに気付いただろう。邪魔になる」
「でもっ、でも……っ」
 泣いていた。この子は怒っているときに泣く。俺は、その肩に手をやってそっと抱き寄せて囁いた。
「本当にどうもありがとう。手をひいて連れてきてくれて。きっとひとりじゃ来られなかった。おかげで観ることができて、それだけで本当によかった。ありがとう」
 俺はその肩をはなした。可愛い顔が涙をこらえて歪んでいた。ハンカチをさしだそうとしたところで教授が息を乱してやってきた。その役目はかわってもらうことにした。
「みんなで一緒に帰りましょう」
 教授が弟子の横に並んでそう言ったがそれにも首をふった。一刻も早くひとりになりたかった。
「何処へ行くつもりですか」
 教授の顔つきが厳しくなった。俺は口を結んだままそれを見た。教授が続けた。
「お願いですから、今夜は一緒にいさせてください」
 俺は微笑んだ。
「妙なことを考えたりはしていません。だから逆に、わたしを信じてひとりにさせてください。このとおりです」
 そう言って深く頭をたれた。弟子のすすり泣きが耳に痛かった。教授は、仕方ありませんね、と呟いた。そして、明日の朝にはあなたの家に押しかけますからと念を押した。
 それにはしっかりとうなずいた。
 安心してもらいたかった。
 だから今までの感謝をこめてもういちど頭をさげた。
 弟子は、俺を見ようとしなかった。教授にとりすがって泣いていた。あの気の強い子をあんなふうに泣かせて、じぶんは何をしているのだろう、何をするつもりなのだろうと考えながら背を向けて歩き出した。

 この街にきて、十二年と半年近い月日がたった。長かったはずが、思い返してみるとほんの束の間のことだったような気もする。

 都会の喧騒を背負い、夜の街から朝のそれを、あがないをしながら渡り歩いた。街路樹のざわめきを聞き、眠らないひとびとの営みを見た。

 わたしは夢使いとして、ここに来た。
この街に。

 あのころはコンビニのアルバイト店員をして暮らしていた。夢使いの仕事で食べていかれるなど夢のまた夢のような生活だった。おかげで嫌な目にもあった。物乞いと面と向かって謗られたこともある。

 あの店で、店長に依頼箱をつくってもらった。広告代理店につとめていたとはとても思えないようなポップの文句だった。でもその友人というデザイナーに拵えてもらった名刺はどうみても超一流の仕事で、あの委員長が、今ではすっかり舞台美術で活躍している彼女が目を瞠るほどの出来栄えだった。
 今も、俺の名刺はそのひとにお願いしている。

 この街で、色々なひとの依頼を受けた。学生も女優も社長も、起業家も。あのアパートの隣りに住んでいた起業家の彼はいま、何処でどうしていることだろう。
 地方から、わざわざ依頼をしてくれたひともいる。こちらも出向いたし、来てもくれた。

 あの男とも、この街で出逢い、そして別れた。

 別れといえば、店長はあのひとの死を乗り越えて、広告業界に復帰した。ふたりの本当の意味での出逢いは、店長のつくったコマーシャルだった。
 そして、今は俺の従姉としっかりと寄りをもどしている。弟子がときどき家をあけて、ふたりのために気を利かすくらいには仲睦まじい。

 アーモンドの樹の植えられた公園を通り抜ける。いまはもう、躑躅の季節だ。今日の弟子はそういえば、こんな美しい紅の服をきていた。

 弟子は、まだ悩んでいる。その彼のほうは、やはり俺には口をひらかない。師匠のはなしでは故郷に帰ると自身決めかねているのではないかということだった。紛争の続く、むずかしい国だ。そこへ頻繁に足を運ぶ師匠とちがい、俺などはとうてい口を差し挟むことができない。

 叔父は、あの国で爆弾テロに巻き込まれて亡くなった。政治家なのにあんな政情不安な地域に行くのは愚かしいという声もあったが、政治家だからこそ行くのだと傲然とわらった。遺体は三年後にもどってきた。そういうところだ。

 叔父は、〈外れ〉だった。その妻、俺の叔母であるひとと同じく。

 叔母は恐らく身投げした。
 はっきりとしてはいない。殺されたというひともいる。わからない。
 だが俺は、あの叔父の様子からしても、たぶん自殺したのだろうと想像する。

 落下する気分というのはどんなものだろうと考える。
 俺は、おりてくるものをこの手で爪弾いてきた。香音を鳴らした。この全身をつかって。
 では逆に、みずからその肉体を降下させるとどうなるのだろう。どんな感じがするのだろう。

 夢のように、おりてくるものになるという気分は。

 この街は本当にしずかになるときがない。ほとんどその、暁の一瞬以外は。
 ざわめきは嫌いではない。ひとの欲望が蠢動するありさまも。それは非常に魘にちかいものだ。あの重さ、凝りによく似ている。

 左足が少し痛む。小さな公園の横のガードレールで一休みする。あのころ、この奥の木陰のベンチに委員長が腰かけてランチをしていた。休憩時間にはなしをした。高校を中退し、地元での繋がりを失くしたとおもっていた俺をそこに引き戻してくれたのも彼女だった。再開した当時はまさか師匠と結婚することになるとは思いもしなかった。

 俺はようやく例のコンビニの前に来た。今ではよそのひとのものになった店を外からそっと眺める。
 コンビニエンスストアとはよく言ったものだ。おどろくほどの品数のものがこの長方形の店のなかに詰まっていて、二十四時間いつでも、それらがかんたんに手に入るのだ。
 夢のように。

 本当の夢を叶えるのは大変な努力が要る。いや、努力だけで補えるものなどほとんどない。運も実力も必要だ。
 じぶんの力だけでどうにかならない夢もある。誰もが戦争のない土地を夢見るとして、それはやすやすと叶えられることはない。
 希望、願望には底がない。果てもない。
 けれど、それを我々は夢で、かなえることができる。

 たとえ、まやかしのようなものであろうとも。否、本当にまやかしであろうかどうかもわからない。夢にみたことしか、ひとは現実にできないのではないだろうか。

 ひとは、夜の夢と昼の生のあいまに生きる。眠りがその生に区切りをつける。夢がそれを彩る。
 我々は視界を廻らす。ひとの生を廻らす。夢によって。香音の音色、その香りを〈滋養〉としてひとにおろす。
 ならばひとの生など、夢の乗り物でしかないではないか。

 夢とうつつの区別など、そもそも曖昧なもので、さして大事なことではないのかもしれない。

 こういうはなしを、もっとすればよかった。いや、しなかったわけではない。ただ、互いに遠慮があった。

 俺は、コンビニの横にある扉の鍵穴に長いこと使わなかった鍵をさしこんだ。回った。このビルのオーナーは叔父だった。名義は従姉に変わったが、システム自体の変更はないようだ。
 俺の手に、手触りのいい革のキーケースが握りこまれている。このぶんであれば最上階も、このなかの鍵であくだろう。

 誰も乗り込むことのないエレベーター、最上階はすべて叔父のもの、つまり今は従姉の事務所として使われていた。だから、そのさらに上の屋上へいくことのできる住民はいない。
 屋上には温室が設えられている。なんでも屋上緑化計画の一環で、大学の研究室と共同開発しているとのことだった。それは叔父が亡くなった今も続けられているようで、温室には背丈の高い植物が繁茂していた。

 この秘密の花園のような場所に天蓋つきの寝台が置かれているのも知っている。店長と叔父の逢い引きに使われていたと知ったのは随分とあとのことだった。

 睡蓮のある池がある。花はまだ咲いていない。初夏には咲くということだから、もうしばらく時間が必要なのかもしれない。
 叔母の育てていた睡蓮を枯らさないために、叔父がここに温室をつくったと聞いたのも、だいぶ遅れてのことだったはずだ。

 温室の横を通り過ぎ、建設用のリフトをわざと残させたというガラス張りの突端へと歩みをすすめる。高いところは苦手じゃない。

 今は、何時だろう。

 あの劇場からここまで歩いてきたのでだいぶ時間がかかってしまった。電車やタクシーに乗りたいと思わなかった。十二年と半年、夜から朝にかけて歩きまわったこの脚で、ここに辿りつきたかったのだ。途中、両足の甲が、ことに左足が痛んだ。少しの間、幾度か立ち止まって休んだりもした。思ったよりもだから、時間がかかっている。

 時計ではなく、端末をあけてみる。映画を見ていたあいだ電源を落としていた。そのままにしていたことを思い出す。
 着信履歴がある。
 俺は、その番号に息をのんだ。
 彼からだった。

 何度も、なんども、くりかえし。

 折り返しかけるべきかもしれない。
 そうはおもった。
 だが、かけてどうなるとも考えられなかった。
 彼には新しい生活がある。俺はそこにいらないものだ。

 北側へ張り出した硝子張りのそこへと向かう。右手から、日の昇るそこへ。香音がやってくるほうが右側にあたる場所へと。

 もう、東の空に香音のさざめきが聴こえる。髪がそれを拾おうとしている。俺のからだの中心に、どうしようもない熱がある。欲望と言い換えてもいい切実な、願いがある。
 俺は香音そのものになりたかったのだ。誰かのなかにおりて、そのひとの「滋養」となって視界を廻らすものになりたかった。
 いまの俺には夢秤も、階梯もいらない。
 昔は、必要がなかったらしい。このからだがそも、秤であり、階梯であったそうだ。

 夜が明ける。
 暗闇を切り裂いて朝日がのぼる。香音が泡立つようにしてやってくる。
 手をさしだす。
 この両の掌に香音を捧げ持つ。全身がわななく。そのよろこびに。
 暁に棲むものとして、わたしは生きた。この街で。
 だから……
 
 名前を、呼ばれた。
 右手から。その、香音のおりきたるほうから。
 彼が、俺の名前をよんだ。

「あなたいったい何をしてるんですか。だいたい来るのが遅すぎです。思わず眠りそうでした」
 彼がそこに俯けで寝そべっていた。俺はそれを呆然と眺めた。
「おれ、何度も電話したのに。出ないし」
「いや、その……切ってたから」
「さっき見たでしょ。嘘つき」
 俺は憮然として彼を見おろして言った。
「なら、そちらから先に声をかけてください」
「だからかけたでしょ、ほんとに危ないところで」
 彼はゆっくりと立ちあがった。そして、俺の目の前までまっすぐに歩いてきた。
 これ以上ないほどに真剣な表情をみせられて、俺はどういう顔をしたらいいかわからなかった。かといって、何か言葉にしたいこともなかった。いや、山ほどあったが今はもう、どうでもいいような気持ちがした。彼の腕が伸びてきて、互いの腕が互いのからだにしっかりとまわった今となっては。
「あなたが生きていてくれて、本当によかった。長いこと言えなかったけど、いまだから言う。おれは、あなたが生きていてくれて本当に、ほんとうによかった……」
 痛いほどに抱きしめられて口にされていた。俺はべつに死ぬつもりでいたわけじゃないと言い訳しようとする口を強引に塞がれた。あとは俺も貪った。その茶色い癖毛に指をからませながら口腔を好きなように舌と唇で味わった。ところが、それで離れようとすると彼はおれの上着に手をかけた。瞬く間にシャツの襟がゆるめられた。
「ちょっと待て」
「待たない」
「いや、だから、ここじゃ下から見られるだろう」
 俺は慌てて押しやったが、彼はその手をつかんで自分の肩にまわし、大丈夫、まだ朝早いしこんなところ誰もみないと口にした。だがあいにくと俺は夢使いで、この街では朝早くからひとが働いているのを知っているのだ。
「いやここじゃ駄目だ。起きてる人間はおきてるし、どこに夢使いがいるかわからない。夢使いはみんな目敏いんだ」
 俺のうえに乗りかかっていた相手は俺をじっと見おろして、なにあなた、いつもそんな出歯亀みたいな真似してるの、ほんとあなたってひとはムッツリなんだからと口をまげた。
 その物言いには釈然としなかったが、ともかくこんな硝子張りの屋上で致すのは御免なので素早くその下から這い出た。あらためて見ると、それなりに高い。落ちたらひとたまりもないだろうとぞっとした。
 彼が来るであろうと想像しなかったわけではない。家を出ていくときテーブルに置いていったキーケースには、このビルの鍵が抜かれていた。もとは、叔父が俺と彼にこの屋上の鍵を渡すためにくれたものだった。
 立ちあがると後ろから抱きついてきた。そして耳を口に挟みながら、ねえ、じゃあすぐそこの部屋でしようと囁いた。温室の横にある寝室のことをさしているのはわかった。
 だが俺は、いや、と猛然と首を横にふった。彼がこれ以上待たせるのかという顔をしたが、気にしなかった。
 振り返り、きちんと向き合う形になって両目を見つめながらくちづけし、その耳にそっと囁いた。
 それこそ、彼ではないが、俺も長いこと言いたかったのだ。

「俺たちの家に、帰ろう」

 そのときの、彼の顔は一生忘れない。

 それだけでなく、家について、弟子と教授と彼の家族全員がリビングに仲良く居座っていたときのあの驚きと、言葉にならないよろこびも。

 この街に来て、一二年と半年の月日がたった。
 わたしはここで、何故じぶんが夢使いとなったのかも思いだせた。夢見式にみた《視界樹》の姿をも、再び見出すことができたのだ。彼のおかげで。   
 そして今、もういちど、じぶん自身の生をしっかりと両の掌で受け止めなおしている。魘と晏、それぞれを抱きしめるようにして。

 わたしは夢使い。
 夢のように、おりてくるものにいつか、なる。
 そのときまでずっと、彼とともに、この街で生きていく。



                  了
 

          


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