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唐草銀河

遍愛日記
3月23日 深更


3月23日 深更 (55)


 強い視線に怯みそうになった。こういうときのミズキさんには軽口の気配や甘ったるいからかいや一切のごまかしがなくて、困ってしまう。
「でも、そんな……自分の傷とかコンプレックスとか、そういうもののために絵をかくって、しかもそれを見せるなんて、なんかそれ、矮小っていうか、見るひとに申し訳ないっていうか……そうじゃなくって、もっと、なんていうか大きなものとか美しいものを見せたいっていうか……」
 矮小で卑小な人間じゃないかと突っ込まれたらどうしようと震えると、彼はまた顔をこちらにむけて、次の瞬間には派手に吹き出した。
「ミズキさん、なにもそこまで笑わなくてもいいでしょうっ」
「いや、ほんと壮大な野望もってて凄いなあって感心してるんだよ。近頃そんなこという画家さん、見ないよね」
 ほんと、将来が楽しみだよ、と揶揄めいた声がかかり、私は頬を膨らましそうになりながら相手を睨みつける。
「姫香ちゃんはかわいいね」
 怯みもせずそう言いきった相手に眉を寄せる。すると、彼は膝を起こした。なんとなく身の危険を感じたものの、腰をあげるのも癪にさわった。こちらがほんの少し身じろぎしたその緊張をきちんと見分けて足を止めるのだから大したものだ。ならばお茶でもいれると言って逃げておくかと立ち上がった瞬間、抱きついてきた。
「ちょっと、なにするの!」
「なんにもしない。なんにもしないから、ぎゅってするだけ」
 ぎゅって。ぎゅってって。
 なんだかなあ……。
 子供返りしてしまったような顔で横から抱きつかれると、無理やり引き剥がすことはできなかった。それで身体の力をぬくと、ヨイショ、と彼は私の腰を後ろから抱いてもちあげた。
「や、何するのっ」
「だいじょうぶ。僕は君の嫌がるようなことはしないから。出来る限りっていう条件は念のためつけておくけど」
「ミズキさん?」
「ほんとはこの世のどんなひとよりも姫香ちゃんのほうが強いから、だいじょうぶ」
「そんなわけないじゃない」
 ミズキさんは私を抱きしめて、子供をあやすような感じで揺れながら、続けた。
「やりたいことがあるひとが、この世でいちばん強いよ。ほんとは憎む心や恨む心がたくさんあるのに、それにかまけていられないくらい好きなことがあるひとのほうが、強い」
「ミズキさん?」
 彼はゆっくりと、私の足を床におろした。
「雨の日も風の日も、残業の日もふられた日も、絵をかいていられればそれが自分の幸福だってわかってるでしょ?」
 それにはすなおにうなずいた。私は、ミズキさんに初めて会ったときに「絵を描けば」とすすめられて、このうえなく嬉しかった。恥ずかしいくらい、うれしかった。そのことを思い出すように目を閉じる。すると私の身体を回転させて向き合う形で抱きしめてきた。ピッタリと自分の身体が彼に寄り添うのを感じた。頭ではこれはまずいのではないかと思うのに、かすかに漂うエゴイスト・プラチナムに混じる彼のにおいを嗅ぎ分けようとしていたし、自分より高い体温のもたらす安心感に浸っていた。
 つまり、ミズキさんとくっついているのはとても気持ちがよかった。
 おなかに、何かがあたるまでは。
「ミズキさん……」
「うん」
「うん、じゃなくて」
 えいえいと肘を突っ張ろうとするところをぎゅうって、それこそ絞られるように力をこめられた。それなのに痛くも苦しくもないのが不思議だった。
「君と会って治った。気になる?」
 それはよかったね。じゃなくて、ええと、気にならないひと、いますか? この世に、いるんですか?
「気持ち悪い?」
 そこだけはふざけた様子がなかったので、どうこたえようか考えた。すると、
「もう眠くなった?」
 ああ、これはとりあえず、開放してくれるらしいと気がついてうなずいた。
「じゃあ、お布団へ」
 彼は私を抱いたまま器用に後ろに歩き出した。な、なにやってるの。
「ミズキさん!」
「添い寝して」
「あのね」
「それじゃ物足らない?」
 なにを言い出すんだ!
「僕、手と口だけで君を満足させられると思うんだよね。それとも、姫香ちゃんてインターコースでいけるほう?」
 ミズキさんはここで私が怒ったり泡を吹いたり赤くなったりするのを期待しているに違いない。らしくない勘違いオトコな発言は、どうしたらこちらの感情を波立たせることができるかしっかりと見破られているせいだ。そう思うとなおさら腹立たしかったけれど、もうひとつの可能性――虚勢を張っているのかもしれないと考えると、デリケートな問題に触れそうで、なにも言い返せなかった。
 うつむきかげんで黙りこむと、手を離された。それからやや困惑した声で、
「そういう顔しないで。すごく心配されてるような気がする」
「気がする、じゃなくて! 今日、あの電話からあと、どれだけ私が心配したか」
 言ったとたん、ミズキさんはやたらうれしそうに目尻をさげた。
「もしかして僕、けっこう姫香ちゃんに愛されてる?」
 ここで否定するのも変だと思った。むっとしたけれど、横をむいてこたえた。 
「そうなんじゃないの?」
「ねえ、じゃあキスして」
 は?
「姫香ちゃんからしてくれたら嬉しい」
 期待満々という表情だった。あんまりにも可愛い顔だったので、ほだされた。かがんで、と目でいうと素直に従った。すこし爪先だって、頬のいちばん高いところにキスした。
「ほっぺなの?」
「なによ、文句ある?」
「サービス悪いね」
「誰が奉仕してあげるなんて言ったの?」
「じゃあ僕が」




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