「坂さん、知ってる? 次のショートショート課題のテーマ、『坂』だって。自分の名前だからいいアイデア浮かぶんじゃない?」
講義が終わって、横田さんがぼくに話しかけてきた。それは初耳で、そもそも今日だって残業が長引いたせいであわててこの教室に駆け込んだのだ。
彼女は以前からこの小説学校に通っていて、ぼくと違って毎回まじめに課題を提出している優等生だ。横顔をかざる睫が長くて、まっすぐな黒髪を青い髪留でとめているのが涼しげで、ぼくはホワイトボードより横田さんばかり見つめていた。
「ショートショートってやっぱりアイデア勝負よねえ。坂が舞台の、転がる石のようなスラップスティック、人生を感じさせるから人情ものも共感を呼ぶかしら。でも、オチを作らないとならないわね。オチと落下をかけてラストで奇抜なことができないかなあ」
う~ん、と小首をかしげている。ぼくより年上なのに、こういうときの顔は真剣ですごく可愛らしい。
「坂って、傾いていて不安定なものよね」
ぼくの気持ちは横田さんに傾きっぱなしだ。駅まで一緒に歩くだけで気分は前のめり、彼女の一言ひとことにぼくの心は不安定なシーソーのように狂喜と悲嘆を行き来する。
そうだ、今日こそデートに誘ってもいいんじゃないだろうか。『坂』がテーマなわけだし、アイデアを見つけて教えあうなんて、どうだろう。賞のテーマを考えた方、ぼくにチャンスをくれてありがとう!
そんなふうに気持ちを奮い起こした瞬間。
「坂さん、来年もこの学校に通う?」
突然、横田さんがこちらをむいた。
「え? ええと、たぶん」
「そう。私はどうしようか迷ってるの」
「なんでですかっ」
「だって私、もう通い始めて三年もたつのにちっとも上達してないみたいだし……」
彼女は生まれて初めて応募したジュニア小説が最終選考まで残ったのに、その後どこにも引っかからないことを気に病んでいたのだ。
「去年は大学生のひとがこの教室からデビューしたし、先生の教え方も実践的でいつも面白いと思ってるの。でも、私みたいに才能がないひとは、真面目にやっててもやっぱりダメなんじゃないのかなって。私、ビギナーズラックのせいで希望にしがみついて、きっと勘違いしちゃったのよね」
もうやめようかなあ、と彼女がつぶやいたのを耳にして、ぼくはカッとなった。
「諦めちゃダメですよ! ぼくなんてまだ一次選考さえ通ったことないのにっ」
自分でも吃驚するくらい声をあげていた。
横田さんの切れ長の瞳が見開かれていて、今になってぼくの心臓が鳴りだした。
「ごめんなさい。ぼく、なんだか僻んでるみたいなこと言って……」
ううん、と彼女は首をふった。
「私こそごめんね。甘えたこと言っちゃった」
彼女はそこで可愛らしく首をすくめ、それから盛大なため息をついた。
「でもね、坂さんはまだ二十六歳でしょ。あと三年やっても二十代だもの。私、今月で二十九歳になるんだよね」
「でも、小説に年齢は関係ないですよ」
「小説には、ね」
はっとした。ようやく、横田さんが何を言おうとしていたのかわかったのだ。
「坂さんは頑張って。私、たぶん来年は田舎に帰ると思う」
また次の講義でね、と彼女が背中をむけたとき、ぼくは無我夢中で叫んでいた。
「好きです、結婚してください!」
道行く人はみな振り返った。もちろん、横田さんも。
「……私たち、付き合ってもいないじゃない」
彼女は額に手をあててうなだれた。ぼくは真っ赤になって下をむいた。通りすがりの人は知らん振りをして行き過ぎてくれた。ぼくはもう、破れかぶれのやけくそだった。
「あの、じゃあ、ぼくと付き合ってください」
すると、横田さんは長い睫を伏せて小さな声で、うん、いいよ、とこたえてくれた。そして、
「坂さん、私、志摩っていうのよ。『坂志摩』って、ユイスマンスの小説みたいで、ちょっとなあって思ってたのよね」
でも坂さんのこと好きだからいつ言ってくれるかずっと待ってたし、言ってもらいたかったの。私ってちょっとヨコシマ、ううん、サカシマかも、と横田さんは照れくさそうに微笑んだ。
それから一年後、彼女は恋愛小説でデビューした。
タイトルはずばり、『坂くんの恋』。
終
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いや~、良いですね!
いつか、この人をちゃんと書いてみたい、そういう人物に出会えるのと、‘恋’に出会えるのって、似ているかも~、と思いました。
fateも、物語世界を取り込んで表現することがあるので、そういう、激しい恋にも似た想い、本当に大切にしたいですね。