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唐草銀河

掌編・短編
楽園の箱


楽園の箱 2


 かれらの旅は、思いのほか順調にすすみました。実をいうと、モーリスは何ヶ月も前からきちんと計画をたてていたわけではなかったのです。とはいいましても、連れができたのですから行き当たりばったりというわけにはいきません。
 はじめ、モーリスはなるべく歩いて行こうと思っていましたが――なにしろ、夏休みは長いのです――、猫のすすめで電車に乗るよう決めました。おばあさんがこっそりくれた、とっておきのお小遣いがあったのです。
 そんなわけで、出掛けにあわててリュックに放り込んだミシュランのガイドブックにしたがって、まずはヴェズレーの教会に立ち寄ることに決めました。さいわいなことに、最寄駅からバスが用意されていたのでした。
 ちょうどみなが午睡の夢のなかにいるころ、彼らはその街につきました。蝉の鳴き声と、どこかの家から流れてくるラジオの音が聞こえるだけの静けさでした。かれらは広々とした表通りをさけて裏道を歩き、薔薇の生垣のある家を通りすぎ、寝転んでいる犬をひやかしながら丘をのぼりました。道の途中、日陰をつくってくれる大きな楢の木のしたで遅いお昼をとりました。モーリスは水筒の水を飲み、ハムとチーズのサンドィッチを食べました。猫はハムのはしっこを用心深そうに舐めてから、美味しそうに飲みこみました。
 満腹になったところで、道に生えていた猫じゃらしを一本ひきぬいて、猫といっしょになって遊んだのです。小さな白猫は興奮して彼の手に引っかき傷をいくつもつくりましたし、猫のざらざらした舌でなめられたモーリスはくすぐったさに同じようにして手足をばたばたさせて転げまわりました。気持ちのよい風が彼の巻き毛をなぜていきました。
 それから、古びた石の階段をあがるとき、猫はリュックのポケットから顔だけだしていました。ときどきようすをうかがうと、猫はうっとりと目をとじて眠っているようでした。そんなとき、モーリスは猫をおこさないようにしずかに歩くことにしました。白い猫は羽のように軽く、背中のリュックの重みもなくなったように感じました。 そうして彼らはとうとう丘の天辺に立つ教会の前の広場にやってきました。そこは葡萄畑のつづく丘の上に建つ、由緒ある立派な古い教会でした。大昔、ここにフランスの王様が参拝し、また大勢の騎士や貴婦人たちが遠く東の地へと旅立ったこともあるそうです。モーリスは学校で習った歴史を思い出しながら、大勢って何人くらいのことだろうとぼんやり想像しました。けれども彼はここがアスファルトの広場ではなかっただろうと考えついただけで、きらびやかな一行の姿は思い浮かべることができませんでした。
 猫がどうしても教会のなかに入りたいというので、モーリスは猫を入れた箱を抱えてお参りすることにしました。帽子をとってなかに入ると、堂内は思っていたよりもずっと明るくて、濃淡のあるアーチの連なりが朗らかに出迎えてくれているように思えました。猫は、そうっと蓋をずらして柱のうえの彫刻を見つめています。
「モーリス」
「しっ、しずかに」
 彼はあわてて箱をしまい、まわりを見回しました。猫がいることを知られたら大変です。モーリスが蓋をこつんと指でおさえるように叩くと、猫は承知したらしく、もう何も言いませんでした。

 その夜、教会のそばの修道院に泊めてもらったモーリスは、同じ部屋で寝ているひとを起こさないように足音をひそめて外に出ました。回廊に出て夜空を見あげると、宝石を転がしたような眩さで星が瞬いています。パリとは違って、ここには人工の明かりがすくないのです。
 すると、あとをついてきたのでしょうか、今までずっとしずかにしていた猫が声をかけてきました。
「ねえモーリス。どうしてひとりで家を出てきたの」
「それは、秘密だよ」
 意地悪をするつもりはありませんでしたけれど、猫がいったのと同じ言葉を返しました。猫はちょっとのあいだ黙っていましたが、そうっとまた顔をあげました。
 なにか言うかな、とモーリスは身構えました。けれども、猫はなんにも口にしないで、ただ、お星さまを集めたような瞳をまたたかせて彼を見つめたのです。話したいことや聞きたいことが山ほどあるのにずっと黙っていないとならないときみたいな、今にも口を開きそうな顔つきでした。
 それでも、モーリスは何もこたえませんでした。何かひとことでももらしたら、今まで誰にも言わなかったあれこれが天の川のように流れて出て、おぼれてしまいそうだったからです。




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