「治してあげようとしてるのに」
不満げな声を出されたが、それは要らぬお世話だ。めったに足が痺れないのが自慢だというのに、なんという体たらく。
私は彼の手をはなし、自分で自分の足を触った。ああ、気持ち悪い。ぞわぞわする。こうなる前に、てきとうに体重を移動させたり足の指を重ねたり、いろいろ手立てを講じるのだが、忘れていた。しばらく彼に背中をあずけ横座りのまま足を撫で、指先を動かしたり足首を揺らしたりしていた。
「姫香ちゃん、僕をひとりにしないで」
私は、自分より大きな男に子供のように抱きつかれている境遇にため息をついた。
「どっちかっていうと、私が振り回されてる気がするけど?」
「姫香ちゃんは、僕がいて欲しいところにいてくれなきゃダメだ」
いてくれなきゃって、あのね、振り回してる自覚はあるんだね?
「君は、ただ縛りつけておくには狂暴すぎる」
「キョウボウって、ひどくない?」
「酷くないよ。ほんとうなら鎖とか綱つけて頑丈な檻に入れておきたい」
オリはないだろ。そう思ったのが伝わったのか、彼が笑った。
「だって姫香ちゃんって虎だかライオンだか豹だかわからないけど、絶対に猛獣だよ」
「ハイ?」
「君は僕を見失うことがなさそうだけど、僕はすぐ、君が何処にいるかわからなくなる。こんなに尽くして大事にしてるのにちっともありがたがらないし」
「それはすごく感謝して」
「せめてうれしいとでも思ってよ」
ミズキさんが鼻白む。
「姫香ちゃんて、誰かそのひと一人だけのために何かしてあげたいって思ったこと、ないでしょ?」
反駁すべきだと思うのに、何も言い返せなかった。過去の事例が見つからなかったせいで、自分自身で厭になった。
「君がもしひとりなら、すべては君のもの」
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉だとすぐわかった。私が理解したことに、彼はうなずいて唇の端をつりあげた。
「姫香ちゃんは情に薄い」
やんわり微笑みながらキツイことを言うのがミズキさんの必殺技だ。
「君のなかに下心が見当たらないんだよね。僕なんて君と違って優しくされるとすぐ流されちゃうんだけど、姫香ちゃんて絶対、なにが何でも自分の意思を曲げないよね」
「だって」
「ほんとは他の人間のことになんか興味ないんじゃないの? まして男が嫌いでしょ」
胸を衝かれた。
「あたり? すごくオープンで男慣れしてるのに、ある線以上いくとぴしゃって扉を閉めようとするよね。軽蔑してるのか憎いのかそこはよくわからないけど、じゃなきゃほんとは怖いんじゃないの?」
彼はそこでいったん唇を引き結び、瞳を伏せた。
「僕も正直、あるタイプの女性は苦手だ。理不尽なことばかり口にする気分屋で、自分のなかの確固たるものに執着して周りを見ない。どれほど周囲が迷惑してもおかまいなしだ。かと思うと横並びにものを見て比べたがる。そういう女のひとに嫌われてイジメられると処置のしようがなくてね」
「でも、男だってそれなりに陰険で残酷だと思うけど?」
反論には、彼は苦笑して肩をすくめた。
「まあね。男の嫉妬も醜いし厄介だけど、やりようがある。こっちが上だって思い知らせればいいだけだ。でも女性はそうはいかないよね。世の中の半分は女のひとで、僕はどうやっても彼女たちとは戦わないし、ひたすら味方になってもらいたいって願うだけで、その努力すらまともにしないで逃げ回ってる」
「私もいちおう女だけど?」
「でも、姫香ちゃんはすごく理性的であろうとするよね。誰かや何かに偏ることなく物事を判断したいと願ってる。常に疑って盲信しない。先を読もうとするし、相手の立場や気持ちをいつもはかろうと努力してる」
「それは、あたりまえのことだと思うよ。それに、女性だから理性的じゃないなんておかしいし、オトコだって感情的なひといっぱいいるよ。そういうのは個人の資質とか好みとか生活習慣とか、訓練みたいなものもあるし」
ミズキさんが、生徒の話をきく先生ように鷹揚そうな顔でこちらを見おろしていた。
「そうだね。それで君は自分を律して訓練してきた。でも、少なくとも、僕はもう自分が必要とするひと以外どう思われてもかまわないと決めた」
必要。
私には馴染みのない、厳しい言葉だった。大事とか好きとか、そういう甘く優しい言葉じゃない。必要というのはギリギリの、欲しいと願うことよりもっと狭く、動かしがたい事実をうつす。何かが必要だと、誰かが必要だと、そんなふうに感じることもなく、私は恵まれて生きてきた。選び取るだけの勇気がなかったとも言える。そういうふうに何かを迫られるほど苦しい状況に陥れられることもなかった。でも。
「僕には、姫香ちゃんが必要だ」
「浅倉くんは? 私だけでこと足りるの?」
告白を遮るように問いかけると苦笑した。
「その言い方だと、僕に必要だからって浅倉まで手配しそうな勢いだけど?」
「手配はできないけど、ミズキさんがそのくらいのことを言えば、浅倉くんは絆されそうな気がしただけ。私は誰かを欲しいと思ったことがないの。どうしてもそのひとじゃなきゃっていうふうに感じたこともない」
言いながら、彼にとって浅倉くんはオフィシャルですでに手に入れたものか、とも考えた。プライヴェートで私がいれば、彼にとっては公私共に満たされるのか。
「君が誰も必要としてないから、だから僕に自分をくれるっていうわけ?」
声に、いくらか怒気を含んでいた。
くれるとかあげるっていうのは贈与品に用いる言葉だ。自分の意思だって自由にならないのに、そんな簡単なものじゃない。
でも、こうやって腕のなかにいるかぎりはそう思われても仕方ない。ただ抵抗する気力がないだけで、またはこの体温が心地いいだけだ。ほんとに酷いことをされそうになったら考える。縛りたがる生き物だと告白されたのだから、暴れて煽る愚かなことはしない。
無言でいると、ミズキさんが笑った。
「姫香ちゃんて、ひとを殺したいほど憎んだことも、ひとに憎まれたこともないでしょ?」
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