嫣然と微笑まれ、みぞおちのあたりがひんやりした。思わず、浅倉くんのほうを振り返ってしまいそうになり、あわてて身体をしゃんとさせた。そこへ、
「行きたいっていうなら、行かせてやるのが愛じゃないの?」
いつもの、浅倉くんの掠れ声が飛んだ。
「浅倉?」
ミズキさんの語尾が不安定にあがる。
浅倉くんはそれに頓着せず、私だけをまっすぐに見て言った。
「そのかわり、オレもついてく」
「は?」
よく見ると、思ったよりずっとこわい顔をしていた。有無を言わさぬ顔つきは、そのまま私の頼りなさへとつらなった。
「あんた勇敢だけどけっこう抜けてるから、ひとりで行かすの心配。だからついてく」
「浅倉くん」
怒りに声を震わすと、とたんに頬をゆるめた。懐柔されまいと唇を引き結ぶと、さらに甘えた表情で、
「連れてってよ」
おねだり口調でこちらを見た。自分でリードを口に咥えて私の前にさしだす犬のように、こちらが連れて行くのをちらとも疑っていない顔だった。いや、行くなら絶対に離れないという覚悟がありありと見えた。
参った。
今のいままで、聞き分けがいいのは浅倉くんのほうだと思っていた。これじゃ、どっちも変わらないじゃないか。
私が狼狽しているのに気がついて、ミズキさんが短く笑った。
「なるほどね。僕が浅倉にかなわなかったわけだ」
浅倉くんはなにも言わず、こちらを見ていた。けれど私がため息をついた瞬間、彼が口にした。
「で、どこ行くの? それ、あんたが元、いたところ?」
「え」
「だってお迎えなんでしょ? 天国から来たの? それとも魔法の国?」
私とミズキさんが顔を見合わせた。
「誰が天国から来たのよ! しかも魔法の国ってなによ、魔女じゃないわよっ」
魔法の国ってなんだ、魔法の国って。テレビだかアニメだかの見すぎじゃないの? サリーちゃんでもサマンサでもないってば! しかも古すぎるっ。
「え、ちがうの? だってオレ、獏にさせられちゃったのは絶対あんたにヨコシマなこと思った罰かと思ってたのに」
「アサクラ君!」
大声をあげた私に、浅倉くんは眉をひらいて本気で安心したように身体の力をぬいていた。
「なんだ。ちがうんだ。オレ昨日、失敗したらまたケダモノにさせられちゃうかもって、めちゃくちゃ緊張したんだけど」
昨日、そんな理由で緊張してたの?
初めて私とするからじゃなくて? 私が緊張してたからじゃなくて? 私のことを思いやってくれてたわけじゃないの?
私、ずっとそうだと思ってたのに。だから感動したのに。絆されたのに!
ウソでしょ?
「……浅倉くん、それ、冗談でしょう?」
「半分は」
「半分、なの?」
裏返った声で問い返すと、こくりと肯定された。それを見たミズキさんは苦しそうに身体を曲げて、涙を流し、しゃがみこんでいる。浅倉くんはそんな彼を見おろし、おまえ、笑いすぎだって、とぼやいた。
まさか、そんな。
ずっと、そんなふうに思ってたんだ。
なんだか、なんだか、なんだかもう……。
「だいたい浅倉くん、邪なことって何よ」
返答によっては制裁を加えねばなるまいと意を決して問いつめると、
「え、や、それは、まあ、いろいろと……」
睨みつめると、あんなこととかそんなことです、と小声でつけくわえられた。
どうもウソを言っている気がする。ごまかしてる。そんなことくらいでバクに変身させられるほどの懲罰だと思うだろうか。でも、この調子で追求してもやらしいことをふざけて口にするだけだろう。仕方ない。
「ほんともう、浅倉くんもミズキさんも、ひとを勝手に定義付けないでよ」
「でも姫香ちゃんも同じことしてるでしょう?」
涙をぬぐうミズキさんに上目遣いで問いかけられて言葉につまる。たしかに。その点だけでも私もじゅうぶん、ふたりと同罪だ。けれど。
「でも、だって、あんまりにも何ていうか、ヒドイっていうか極端っていうか」
「恋愛だもん、しょうがないよ。恋なんて凶暴な幻想でしょ?」
否定する理由がなかった。いや、山のように色々ある気がするけれど、何をどう言おうと言い返されることはわかっていた。私が口でかなわないってことは、つまるところ、本気のホンキで駄々をこねるしかないということだ。それは、本音を言わされることだ。見たくないもの、知りたくないこと、隠しておきたいことを暴かれることと似ている。
まあでも。
はじめから、ミズキさんはそれを私に望んでいたはずだ。
ふうっと大きく息をつくと、すでに立ち上がっていたミズキさんに隙をつかれた。
「それで姫香ちゃん、ほんとの自分はなんだと思ってるの?」
思わず、肩を揺らすほど反応してしまって、上手にごまかすことができなかった。
「それを教えてよ。僕のファム・ファタールでもなくて、浅倉の天使でも魔女でもないんなら、自分はなんだっていうわけ?」
「ただの人間でしょ」
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