【ドラクエ10】神話の再現・破界篇(想像力での遊び方)
ドラゴンクエスト10のストーリー、とりわけ『破界篇』のネタをなんの躊躇もなく割りますので各自ご対応願います。
※注:「ドラクエ10」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、物語のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
小説版、外伝等は参照しておりません。
ドラクエ10のバージョン5.4メインストーリーで、創造神ルティアナが復活しました。その過程で、わりとくわしい創世神話が語られました。
ご存じの方も多いと思いますが、私は、バージョン3の段階で、「ルティアナの正体は、ドラクエ9の世界から旅立った女神セレシアだ」と想定しておりまして、その仮説とのあいだにべつだん大きな齟齬はありませんでした。
それに関して詳しいことはこちら。
『女神ルティアナ、あなたはだぁれ』
違うとこといえば、「グランゼニスが人間を作った」と言い切られたことくらい。
それと、ルティアナが元いた世界がドラクエ9だとしたら、どうもドラクエ9の世界は滅びてしまっていそうなことが語られたことくらい。
だとすると、「元の世界の人々や生き物を移住させるためにアストルティアを作った」みたいな動機があったとしてもおかしくないかなとか、そんな感じでした。
なので、本稿でも、「ルティアナの正体はドラクエ9のセレシア」というお話を前提として話を進めますので、よろしくどうぞ。
●偽のレンダーシアという世界
『破界篇』という外伝的ストーリーが実装されました。
ドラクエ10の世界の中央部・レンダーシア大陸は、「真のレンダーシア」と「偽のレンダーシア」に分かれています。
真のレンダーシアは、創造神ルティアナがクリエイトした大陸。
いっぽう、偽のレンダーシアは、創造神の力を手に入れた魔王マデサゴーラがたわむれに作り出した「真の大陸のパロディ作品」です。
この偽のレンダーシアは、存在自体が脆弱なので、崩壊しかけている……というのが『破界篇』の前提です。
どうやら、不安定な世界というのは、周囲にある健常な世界に対して悪影響をおよぼすらしいです。そこで、「不安定な世界を消去する」というシステムが、宇宙それ自体にそなわっているらしい。このシステムを運用しているのは「天使」です。
その天使システムが、不安定な偽レンダーシアに目をつけた。偽レンダーシアと、そこに住む人々は消滅の危機にさらされている……というのが、このお話の始まりです。
(この説明は、わかりやすくアウトラインをのみこんでもらうために、ディテールを省いています。なので「もっと詳しく正確にいうとこうじゃないか」という指摘をしたくなるかもしれませんが、ご遠慮下さい。以下同じです)
●『破界篇』はどういう物語か
世界を消去する天使システムは、世界消去の実務を担当させるために、大魔王マデサゴーラのコピーを生成しました。
マデサゴーラは偽レンダーシアの創造主ですが、偽レンダーシアを完成させる前に、志なかばで死亡しました。マデサゴーラは芸術家魔王なので、「未完の作品を自分の死後に残しておきたくない」という感情をもっており、陶芸家が不出来な作品を割るような感じで、偽レンダーシアを消そうとするのです。
いっぽう、
「偽レンダーシアは、そこに住む人々にとっては唯一の世界ではないか。かってに壊していいはずがない」
と考えて、立ちあがった女の子がいました。クマリスという女性です。
なんの躊躇もなくネタを割りますが、クマリスの正体は魔勇者アンルシアです。かつて生前のマデサゴーラが作り出した、勇者姫アンルシアのコピーです。
魔勇者アンルシアは、その昔、大魔王の手下としてたいがいな悪事をはたらいていましたが、しかし同時に彼女は「勇者のコピー」でもあるのです。だから「この世の人類を守る」という使命感もそなえていたのです。
『破界篇』では、「世界を消去しようとする大魔王マデサゴーラ」と、「世界を崩壊から守ろうとする魔勇者アンルシア」の闘争が語られます。
その戦いの結果、偽レンダーシアは崩壊の危機から脱して、存続することが決まります。魔勇者アンルシア=クマリスはその代償として勇者の力を失いますが、そのかわり、偽レンダーシアの美しい世界を心のままに旅する自由を手に入れます。
●再現される神話
さて、以上の話をもっとぎゅっと圧縮するとこうなります。
『破界篇』は、世界を滅ぼそうとする男性超越者(マデサゴーラ)と、世界を滅亡から救おうとする女性超越者(魔勇者アンルシア)との闘争のお話。
そうやってつづめてみると、あれっ、すごく身近なところでみおぼえがありました。
ドラクエ9は、世界を創造した男神グランゼニスと、その娘である女神セレシアの対立構造が基本設定でした。
グランゼニスは人間を滅亡させようとし、セレシアは人間を守ろうとしたのです。
これを一息に言うとこうなるのです。
『ドラクエ9』は、人間を滅ぼそうとする男性超越者(グランゼニス)と、人間を滅亡から救おうとする女性超越者(セレシア)との闘争のお話である。
わたしたち主人公の助力によって、女性超越者の側が勝利する……という部分までふくめても、構造が同一なのです。
つまり『破界篇』は、「ドラクエ9のリフレイン」のような性格をそなえたエピソードであると、言えると思うのです(なにせ、天使が登場したしね。ご存じの通り、ドラクエ9の主人公は天使)。
前述のとおり、私は、
「ドラクエ10はドラクエ9のはるか未来の時代の話であり、女神ルティアナの正体は女神セレシア」
だと思っていて、それを前提に考えているので、
「『破界篇』で語られた物語は、『ドラクエ9神話』の再現だ」
というふうに認識するのです。
●天使たちのゆくえ
ここから先は、私の想像力ベースのお話。物語のスキマを、てきとうな想像で埋めていくターンです。
バージョン5.4で語られたアストルティア創世神話が、ドラクエ9から接続してるものと考える場合。
「とこしえのゆりかご」(ドラクエ9の世界)が滅ぶとき、創造神グランゼニスは女神セレシアに世界創造能力をゆずりわたして、虚空にむけて旅立たせた……ということになるわけです。
(5.4に、そんな感じにとれる神話描写があります)
ドラクエ9の世界には、天界があって、天使がいます。のちに女神ルティアナと呼ばれることになる女神セレシアは、ドラクエ9の世界が滅ぶとき、以下のようなことを言ったとしたら、『破界篇』の内容と整合しませんか。
「あなたたち天使は、すばらしい力をもっているのだから、ひとつの世界だけにとどまらせるのは惜しいのです。この多元宇宙におけるさまざまな世界におもむいて、いろんな場所で、人々に力をかしてあげなさい」
セレシアからそういう使命をあたえられて、さまざまな世界に顔を出した天使たちは、あるとき、滅亡に瀕したひとつの世界を発見する。
この世界を救えば、そこに住んでいる人々は生きながらえるかもしれないが、世界が崩壊したときに、近隣のよその世界にダメージがおよんでしまう。
この世界を消去すれば、よその世界に迷惑がかからないですむが、人々は滅亡することになる。
さて、この世界をどうすればいいんだ……と、天使たちが困り果てたときに、ふと、こんなことをいいだした天使がいた。
「われわれがいた元の世界も、『人間を滅ぼすのか、人間を生かすのか』という二択にせまられたことがあった。そのとき、人間を滅ぼしたい創造神と、人間を生かしたい女神が、勝負をして決めたのだ。その故事にならおう」
「この世界のなかから、『世界を滅ぼす側の代表戦士』と『世界を救う側の代表戦士』を選出して、戦わせよう。その結果で、世界の運命を決めることにするのだ」
天使たちが記憶している神話のなかから、そういう儀式形態が発明された。天使たちはこれ以後、滅亡に瀕した世界を発見すると、代表戦士を選出して、戦わせることで、滅亡か存続かの二択をきめるようになった。
そしていま、天使たちは、「偽レンダーシア」という滅びに瀕した世界を発見した。天使たちは、『世界を滅ぼす側の代表戦士』としてマデサゴーラを、『世界を救う側の代表戦士』としてクマリスアンルシアを選出し、互いに戦わせる儀式をはじめた。
前述の通りこれはわたしの単なる想像なんですけど、このくらいに考えておくと、物語中のいろんな描写とうまいこと接続して、わたし個人は気持ちいいのです。
その想像の続きとして、以下のような感じのことも考えてます。
●クマリスアンルシアはどうなっていくのか
『破界篇』で語られた儀式形態が、『ドラクエ9神話』の再現だとすると、マデサゴーラは創造神グランゼニスのポジション。クマリスアンルシアは女神セレシアのポジションになります。
偽レンダーシアを創造したのはマデサゴーラ、ドラクエ9世界を創造したのは創造神グランゼニスなので、その意味でもポジションが一致します。
(世界を創造した男性が、滅亡側の戦士になる)
さらにいうと、クマリスアンルシアを生み出したのはマデサゴーラです。そして女神セレシアを生み出したのは創造神グランゼニスなのです。「父と娘」という関係性まで一致しています。
「クマリスアンルシアは、偽レンダーシアにおける、女神セレシアのようなポジションである」
という構造が、わたしの個人的な好みにぶっちゃけむちゃくちゃ刺さります。
偽レンダーシア世界を遍歴するようになったクマリスアンルシアが、このあと、どのような存在になっていくのだろう……というのは、『破界篇』をやった人全員が気になるところだと思うのですが、それを想像する際に、「クマリスちゃんはセレシアポジション」という補助線をひくと面白いんじゃないだろうか。
まず、ひとつの考え方として、というか素直に考えるなら、クマリスアンルシアは勇者姫アンルシアのコピーなのだから、「偽レンダーシアを守護する裏・勇者姫になっていく」というのはありそうなことですよね。
クマリスアンルシアはスーパーパワーを喪失していますけど、そんなの、グランゼニス神(ルティアナの末子のほうの)がひょっこり現れて勇者パワーをぽんと注入していったらそれですむ話。スーパーパワーを喪失したのは、これから本物の勇者パワーを受け取るために、いったん余計な力をカラッポにする必要があった、くらいに考えてしまえばいい。
だけど、「セレシアポジション」という補助線をひいて考えるなら。
「クマリスアンルシアは偽レンダーシアを旅するうちに、ひょっこり『創生の霊核』(ルティアナの創造能力)のかけらを入手する。それによりクマリスアンルシアは、偽レンダーシアを守護する女神となっていく……」
みたいな展開は、おもしろい。『創生の霊核』は、大魔王マデサゴーラが偽レンダーシアを創造するときに使った力なので、「父から娘への、創造能力の継承」という構造も一致して、きれいにはまる。
しかし。
同時にこうも思うのです。
「クマリスアンルシアは『破界篇』のラストでスーパーパワーを喪失したが、それは決して残念なことではなく、むしろ希望であるべきだ」
わたしの個人的な思想をいってしまうと、素晴らしいことをなしとげる人間の背後に、いつも神の力やら、勇者の力があるというのは、釈然としないのです。
あの、たびたびちっさい声で本音をいいますが、ドラクエシリーズのファンの人々のうち、けっこう多くの人たちが、
「この素晴らしい主人公が、素晴らしい力をそなえているのは、なんと、あのすばらしい英雄の子孫だったからにちがいない」
みたいな方向で、想像をふくらましますよね。そういうのに触れるたび、わたしは五月の風にゆれるタンポポのように、そっと首をかしげています。
えらばれた者だけが勇者になれる世界観より、だれに選ばれなくとも勇者になれる世界のほうが、夢も希望も大きい。
ドラクエの6以降には、わりとそういったことが、そっと提示されていると思います。ドラクエ9などは特に顕著であって、いちばん素晴らしい達成をするのは、天使ではなく人間の力でした。ドラクエ9では、そういう素朴なヒューマニズムが信じられていると思います。わたしはそこがとても好きなのです(たぶんこの思想を明確に持っているのは藤澤仁さんだと思うのですが)。
だから、
「クマリスアンルシアは超越的な力を失い、なんの特殊性もないただの女の子になった。しかし、そのような、ただの人間のままで、すばらしいことをなしとげるのである」
そのような方向も、魅力があると思います。
魔王や邪神をぶんなぐる腕力がなくとも、素晴らしい仕事って、いくらでもできるのではないか。
わたしはいちおう、プロの実作者なので、わたしだったらどういうお話にするかというのを言いますと、「女神の後継者になる」ルートと、「人間のまま活躍する」ルートのどっちにするかで迷いに迷う感じです。喜ぶ人が多いのは女神ルートだと思いますが、個人の思想としては人間ルートを好みます。ビジュアルノベルだったら両方のルートを都合良く作れるんですけどね……。
●ルティアナとジャゴヌバ(その正体)
あ、くりかえしいっておきますが、わたしの個人的な想像を語るターンがまだ続いています。
世界を滅ぼそうとする男性超越者と、世界を滅亡から救おうとする女性超越者との闘争、という構造に話をもどすと、ジャゴヌバとルティアナの関係も、これと相似形といえます。
ジャゴヌバの依代であるナラジアが男性だったので、「ジャゴヌバは男性」と推定可能です。
わたし、ルティアナとジャゴヌバは、ドラゴンボールにおける神様とピッコロ大魔王の関係かなあ、という予断を、ちょっと持っていたのですが。
(ドラクエ7の神様とオルゴデミーラがこの関係じゃないかなあと思っていますが)
(あ、一応説明しておきますと、ドラゴンボールの神様さんは、神様になるために、自分の中にある邪悪な側面をザックリ切り離して捨てるということをしました。その捨てられた側面が、世界を滅ぼすピッコロ大魔王になったのでした)
(さらについでにいうと、クマリスちゃんは魔勇者から善の心を分離した存在です)
「世界を滅ぼそうとする男性超越者と、世界を滅亡から救おうとする女性超越者」
というアングルを持ち込む場合、ピッコロ説はうまく合いません。
(このアングルを持ち込まない場合は合います)
じゃあどうやったら合うのか。
ドラクエ9における女性超越者(救済)は女神セレシア(娘)。
ドラクエ9における男性超越者(滅亡)は創造神グランゼニス(その父)。
『破界篇』における女性超越者(救済)はクマリスアンルシア(娘)。
『破界篇』における男性超越者(滅亡)はマデサゴーラ(その父)。
そして、
ドラクエ10における女性超越者(救済)は女神ルティアナで、その正体は女神セレシアであると比定するわけですから……。
このアングルを機械的にあてはめると、ドラクエ10の男性超越者(滅亡)ジャゴヌバさんの正体は、セレシアの父である創造神グランゼニスである……という結論が自動的に導かれてしまいます。
これはちょっと面白い比定かもしれない。
●ジャゴヌバ神話
でもドラクエ9の創造神グランゼニスはジャゴヌバみたいな絶対悪じゃなかったし、だいいち彼は、セレシア(ルティアナ)に創造の力をプレゼントして送り出した人じゃないか、キャラクターとしてのイメージが全然合わないぞ……。
という疑問は当然生じるものと思います。
でもこのくらいに考えればいい。
「ドラクエ9の創造神グランゼニスにおける、ピッコロ大魔王のような存在がジャゴヌバである」
ようは、「神様も邪悪のパワーに冒されて変質することがあるのである」くらいに考える。ドラクエ9の創造神グランゼニスは、魔瘴か何かに触れた結果、滅びを望む気持ちを持ってしまった。だから、人間たちにイラついて、「こいつら滅ぼしてやろう」ということを始めてしまった。
セレシアや星空の守り人の活躍で創造神グランゼニスは改心して、かれは自分の中から邪悪な部分を切り離して捨てることにした。
その捨てた部分が独自の人格をもち、「異界滅神ジャゴヌバ」と名乗って暴れだした。その結果、ついにドラクエ9の世界は崩壊してしまった。創造神グランゼニスはセレシアに創造の力をあたえて、この世界から逃がすことにした。
セレシアはルティアナと名を変え、虚空に新たな世界アストルティアをつくった。しかし、「グランゼニスから生まれたものはすべて滅ぼす」くらいのことを思っているジャゴヌバは、セレシアをおっかけてきて、ついにアストルティアに魔の手をのばした(ジャゴヌバは黒い手のかたちで描写されるので、文字通り魔の手をのばしている)。
この場合、ジャゴヌバは創造神グランゼニスの分身なので、ルティアナ(セレシア)とのあいだで「父と娘」の関係が成立する。アングルに一致する。
また、ジャゴヌバを「創造神グランゼニスが生み出したもの」と解釈する場合、ルティアナ(セレシア)との関係は「姉と弟」になる。
ルティアナの分身イルーシャと、ジャゴヌバの分身ナラジアは、二人並ぶとそっくりで、きょうだいのようなビジュアルだったので、「姉と弟」でも整合感はある。
こういう受け取り方をすれば、きれいにおさまるな、私だったらそういう真相を書くかな、と思いながら、バージョン5.4を読みましたというお話でした。
●神々が消えた世界で
バージョン5.5以降はどうなるのかなあ、というのをつらつら考えていたんですが、制作サイドから「ジャゴヌバを倒したあともお話は続きます」みたいなアナウンスがあったので、ジャゴヌバは倒せるみたいです。
私だったらどう書くかなあという話を続けますけど、ルティアナとジャゴヌバが双方消滅するという結末が、おさまりがよさそうだ。
ルティアナはジャゴヌバと対消滅か何かを起こして共に消えるが、アストルティアの世界に、なんの力ももたないただの少女としてのイルーシャを残していく。ようは、ウルトラマンはこの世からいなくなるが、変身能力を失ったハヤタ隊員は存在し続けるみたいな感じ。
ウルトラマンの最終回では、ウルトラマンはM78星雲にかえっていく。ウルトラマンがいなくなっても、われわれ人間たちは、自分たちの手でこの地球を守っていくのだという覚悟をきめて物語はおわる。それと同じように、神々のいない世界で、われわれ人類がこの世界をまもるんだ、という覚悟をきめることになる。
さて、この世からルティアナがいなくなると、アストルティアは不安定になり、崩壊の危機をむかえる。すると天使がやってきて、
「この世界、消去するか存続させるか決めましょうや」
みたいなことを言いだしはじめる。消滅サイドに与する人類やら、その裏で糸を引く黒幕なんかがでてきて、それとの戦いになる……みたいな感じにすると、『破界篇』がうまいこと伏線っぽく機能して気持ちいいかなと思ったんですが、どうなんでしょう。人間クマリスアンルシアの活躍の機会もありそうだ(クマリスが好きなので引っ張り出せるような展開を作ってしまう)。
つまりは、最終的にこの世界をまもるのは、神々の力をかりた超人ではなく、ただの人間たちなんだ……みたいなところにお話を流れ込まそうというアイデアなんですね。
おまえ、どこまで本気でいってんだ、という疑問もおありでしょうが、答えはこうです。「想像力をつかって本気で遊んでいる」。長くなりましたのでこのあたりで……。