「酔龍の独り言:その057」
2024-11-22
[ 闇バイトの元凶はどこにあるのか ]
11月19日今朝のことです。東に面しているバルコニーの出入り口には日本で最も効率が良いと言われている断熱硝子を入れたアルミサッシを取り付けていますが、アルミサッシの下枠に今年初めて結露を生じていました(マンション住まいです)。
やっと冬らしい季節になってきたのだと感じましたが、今年の秋は「ツクツク法師」の鳴き声を聞かず、虫の声さえ聞くことが出来ませんでした。そう言えば紅葉の報道などほとんど無い秋でしたから、日本の秋の風情はどこへ行ってしまったのでしょうか。
さて、こちらも同じようなことかもしれませんが最近特に「闇バイト」「ホワイト案件」などと呼ばれる「凶悪強盗傷害(殺人)事件(緊縛強盗)」が頻発しています。
犯人はいずれも凶悪犯罪に手を染める前は善良な若人だったと思われますが、一体何故このような人の道を踏み外す事件を起こしてしまうのか不思議で仕方がない。
親の躾や教育が不十分であったこともその一環であろうと思われるけれど、報道によると事件を起こした切っ掛けは「消費者金融からの多額の借金」の返済目的のようである。
借金返済の為に手っ取り早く楽に金が稼げる仕事をスマホで探していると、いつの間にか誘導されて「闇バイト」「ホワイト案件」に引っかかり、人生を棒に振ってしまう結果を招いている。
消費者金融はかつて悪質な取り立てなどが社会問題となって、現在では玄関扉などへの中傷を書き込んだ多量の張り紙行為や早朝・真夜中の取り立て行為が禁止されたように記憶している。
しかしこのような状況下となっても「消費者金融」は滅びず、いまだに日本社会に於いてしっかりとご活躍しておられる訳ですよ。
その内訳を言えば、かつての金主は「反社会勢力」などもあったようですが、金利の最高限度額を超えることが出来なくなったから反社会勢力などは「旨味」が無くなったのであろう・・・手を引き、現在の金主は殆ど「銀行」になったと聞いている。
若者にとって「消費者金融」からの借金は「打ち出の小槌」を振るのと同じで、振れば振るほど、ある一定額までは幾らでもお金が出てくる(この打ち出の小槌の元はきっと自動車運転免許証や健康保険証などであろう)。
一旦これに手を染めれば、もうこれは「麻薬」と同じで自分で止めることが出来なくなるのだろうと想像しているし、金を借りたら高い金利を付けて返済しなければならない責任も自覚も薄れていて、テレビゲームでもやっているような感覚で金を借りているのではなかろうか。
スマホが無ければ「闇バイト」も「ホワイト案件」にも接触する機会など無かったろうに・・・と使い方を間違えば悲劇を起こす要因となる自覚すら持ち合わせていない若人(心と頭の中身はテレビゲームに熱中している小学生と同程度か)ではこの種の事件に歯止めが利かないのかもしれない。
無節操に金を借りる方に当然のことながら問題はあるが、返済能力を問わずに金を貸す方にも大きな責任があると思っていて(自動車運転免許証や健康保険証には年収も返済能力も書き込まれてはいない)法律違反さえしなければ何でも許される風潮こそが良き日本の伝統や文化意識を低下させていることに気付かないままでは、いつまで経っても人の心は荒んだままの社会が出来上がる。
この部分を霞が関や永田町が戦後ず~っとなおざりにして来ているから、惻隠の情を無くし、憐れみを持たず、同情心に加え、助け合いなどを止めてしまったので、日本人の心の質が低下してしまい、衣食住には不足しなくなっても漠然とした不安と将来の展望が見えないままが心の中を大きく占めては子供を産んで育てるなど考えたくも無かろう。
産んだ子供を育てて成年に達すれば「ホワイト案件」予備軍となるのだからねぇ。
それにつけても「銀行」の金に対する執着とえげつなさは、狼が優しい顔をしたお面を被って羊の群れを呼び込み食い散らかしている状況と何ら変わりはあるまい。
口先では「お客様の為」と言い、「社会貢献」「豊かな社会造り」などの綺麗ごとを掲げているけれど本音本質はどこにあるのかねぇ。
運転免許証のコピーを渡したから、断れば家族に危害を加えるなどと脅されて、強盗に入ったなどと言い訳をしているようだが、楽をして金が稼げることなど犯罪以外にはないことくらい20年近く人間社会で生活していれば判りそうなものだが、頭の中が何事においても軽く捉えるゲーム感覚なのだろうか。
言葉で「ホワイト案件」と誘われても免許証のコピーを渡す前に「ホワイトとは何を意味するのか」「案件とは一体何を指すのか」を考えてみれば分かりそうなものだがねぇ増してや運転手で採用される以外では免許証のコピーなど不要だとは思わないのだろうか。
自動車の運転では驚くほどの金が稼げないことくらいは判るだろうに・・・・。
自動車運転免許証は車を運転するときに必要なもの・健康保険証は体の不調や病に侵された時に使うもので、金を借りたり金を稼ぐために使うものではありませんよ。
法には触れていないのだからと嘯いて、無知な若人に無節操に金を貸す消費者金融とその金主である銀行が本質の原因を作っていることに気付かなければならないわけですよ。
借金 → 返済苦 → 手っ取り早い金稼ぎ → ホワイト案件 → 犯罪者 の構図を見ると、この借金の裏には隠された本質の原因があるのですが、金を貸すこと自体は法に触れないから行政も手が出せないのだけど、これって成熟した社会の現れかなぁ。
石川五右衛門の辞世の句を借りれば「浜の真砂は尽くるとも、世に金貸しの種は尽つくまじ」となるでしょうか、金に纏わる悲劇を呼ぶも招くも自分の心の中にある「欲」から生じた(る)結果ですから、この世で戦わなければならない相手はただ一つ自分の中にある「欲」です(ただこの欲の中には「悋気」も含まれますのでご注意を)。
でも、この若者達がもし「スマホ」を持たず「消費者金融」が無ければ、この手の「緊縛強盗」事件を起こさなかったと思うが・・・。
と言うことは、便利になったこと自体が自分たちの首を絞めている結果につながっていることを自覚するべきでもある。
五十年以上前には「質屋」はあったけれども「消費者金融」は無かったように記憶している。
そもそも、事業をしている人以外(勤め人)は借金をしないと言う社会風潮があったような時代だったからね。
消費者金融の認可を与えたのは恐らく霞が関の金融庁(現財務省)でしょうが「勤め人にも緊急時の金銭融資は必要だ」の謳い文句は綺麗ごとの内の一つで、消費者金融が出来たことによって日本の世の中が良くなったのかと問われれば、恐らく正常判断が出来る日本人の大人なら殆ど「否」の返答であろうと思っている。
これを野放しにしている「財務省」と金主である「銀行」が裏で糸を引いている本当の悪ではなかろうか。
何だか時代劇に出てくる代官が「越後屋おぬしも悪るよのぉ~山吹色を持ってきたか」とよく似ている構図のような気がするのですが・・・。
犯罪者となった若者が逮捕後に話していた言葉の中に「免許証を提示しているので家族に危害を加えられる恐れがあって・・」と話しているようだが、凶悪事件の犯罪者になってしまえば、家族が社会的な被害者になることは考えなかったのだろうか・・・。
相手が消費者金融なら多額の借金に対抗する手段は「自己破産」ですよ。
返済能力の無い相手に金を貸したのですから、ある意味で貸した方が悪いに決まっている。
自己破産は特別なことを除き、他人に知られる訳でもなく数年経てば復権出来るのですから犯罪者になるよりも良い選択肢と思いますが、知らないのだろうか。
「スマホ」使って調べなさいよ!「スマホ」の使い方を間違っていますよ。
今日の新聞記事には豪州では16歳以下はスマホを持たさない法制化を検討しているそうで、北欧だったか教科書の「デジタル化」では子供の応力低下が起こるのでやはり紙の教科書にするべきだとの議論が起こっているとか・・・。
共に一見便利になったと思わされた裏に潜んでいる弊害が表に出て来ただけですよ。
便利になることを否定はしないが、便利になるに連れて人の能力や器量が低下することを自覚していなければ、人にとってわが身を滅ぼす道具にもなる。
11月19日今朝のことです。東に面しているバルコニーの出入り口には日本で最も効率が良いと言われている断熱硝子を入れたアルミサッシを取り付けていますが、アルミサッシの下枠に今年初めて結露を生じていました(マンション住まいです)。
やっと冬らしい季節になってきたのだと感じましたが、今年の秋は「ツクツク法師」の鳴き声を聞かず、虫の声さえ聞くことが出来ませんでした。そう言えば紅葉の報道などほとんど無い秋でしたから、日本の秋の風情はどこへ行ってしまったのでしょうか。
さて、こちらも同じようなことかもしれませんが最近特に「闇バイト」「ホワイト案件」などと呼ばれる「凶悪強盗傷害(殺人)事件(緊縛強盗)」が頻発しています。
犯人はいずれも凶悪犯罪に手を染める前は善良な若人だったと思われますが、一体何故このような人の道を踏み外す事件を起こしてしまうのか不思議で仕方がない。
親の躾や教育が不十分であったこともその一環であろうと思われるけれど、報道によると事件を起こした切っ掛けは「消費者金融からの多額の借金」の返済目的のようである。
借金返済の為に手っ取り早く楽に金が稼げる仕事をスマホで探していると、いつの間にか誘導されて「闇バイト」「ホワイト案件」に引っかかり、人生を棒に振ってしまう結果を招いている。
消費者金融はかつて悪質な取り立てなどが社会問題となって、現在では玄関扉などへの中傷を書き込んだ多量の張り紙行為や早朝・真夜中の取り立て行為が禁止されたように記憶している。
しかしこのような状況下となっても「消費者金融」は滅びず、いまだに日本社会に於いてしっかりとご活躍しておられる訳ですよ。
その内訳を言えば、かつての金主は「反社会勢力」などもあったようですが、金利の最高限度額を超えることが出来なくなったから反社会勢力などは「旨味」が無くなったのであろう・・・手を引き、現在の金主は殆ど「銀行」になったと聞いている。
若者にとって「消費者金融」からの借金は「打ち出の小槌」を振るのと同じで、振れば振るほど、ある一定額までは幾らでもお金が出てくる(この打ち出の小槌の元はきっと自動車運転免許証や健康保険証などであろう)。
一旦これに手を染めれば、もうこれは「麻薬」と同じで自分で止めることが出来なくなるのだろうと想像しているし、金を借りたら高い金利を付けて返済しなければならない責任も自覚も薄れていて、テレビゲームでもやっているような感覚で金を借りているのではなかろうか。
スマホが無ければ「闇バイト」も「ホワイト案件」にも接触する機会など無かったろうに・・・と使い方を間違えば悲劇を起こす要因となる自覚すら持ち合わせていない若人(心と頭の中身はテレビゲームに熱中している小学生と同程度か)ではこの種の事件に歯止めが利かないのかもしれない。
無節操に金を借りる方に当然のことながら問題はあるが、返済能力を問わずに金を貸す方にも大きな責任があると思っていて(自動車運転免許証や健康保険証には年収も返済能力も書き込まれてはいない)法律違反さえしなければ何でも許される風潮こそが良き日本の伝統や文化意識を低下させていることに気付かないままでは、いつまで経っても人の心は荒んだままの社会が出来上がる。
この部分を霞が関や永田町が戦後ず~っとなおざりにして来ているから、惻隠の情を無くし、憐れみを持たず、同情心に加え、助け合いなどを止めてしまったので、日本人の心の質が低下してしまい、衣食住には不足しなくなっても漠然とした不安と将来の展望が見えないままが心の中を大きく占めては子供を産んで育てるなど考えたくも無かろう。
産んだ子供を育てて成年に達すれば「ホワイト案件」予備軍となるのだからねぇ。
それにつけても「銀行」の金に対する執着とえげつなさは、狼が優しい顔をしたお面を被って羊の群れを呼び込み食い散らかしている状況と何ら変わりはあるまい。
口先では「お客様の為」と言い、「社会貢献」「豊かな社会造り」などの綺麗ごとを掲げているけれど本音本質はどこにあるのかねぇ。
運転免許証のコピーを渡したから、断れば家族に危害を加えるなどと脅されて、強盗に入ったなどと言い訳をしているようだが、楽をして金が稼げることなど犯罪以外にはないことくらい20年近く人間社会で生活していれば判りそうなものだが、頭の中が何事においても軽く捉えるゲーム感覚なのだろうか。
言葉で「ホワイト案件」と誘われても免許証のコピーを渡す前に「ホワイトとは何を意味するのか」「案件とは一体何を指すのか」を考えてみれば分かりそうなものだがねぇ増してや運転手で採用される以外では免許証のコピーなど不要だとは思わないのだろうか。
自動車の運転では驚くほどの金が稼げないことくらいは判るだろうに・・・・。
自動車運転免許証は車を運転するときに必要なもの・健康保険証は体の不調や病に侵された時に使うもので、金を借りたり金を稼ぐために使うものではありませんよ。
法には触れていないのだからと嘯いて、無知な若人に無節操に金を貸す消費者金融とその金主である銀行が本質の原因を作っていることに気付かなければならないわけですよ。
借金 → 返済苦 → 手っ取り早い金稼ぎ → ホワイト案件 → 犯罪者 の構図を見ると、この借金の裏には隠された本質の原因があるのですが、金を貸すこと自体は法に触れないから行政も手が出せないのだけど、これって成熟した社会の現れかなぁ。
石川五右衛門の辞世の句を借りれば「浜の真砂は尽くるとも、世に金貸しの種は尽つくまじ」となるでしょうか、金に纏わる悲劇を呼ぶも招くも自分の心の中にある「欲」から生じた(る)結果ですから、この世で戦わなければならない相手はただ一つ自分の中にある「欲」です(ただこの欲の中には「悋気」も含まれますのでご注意を)。
でも、この若者達がもし「スマホ」を持たず「消費者金融」が無ければ、この手の「緊縛強盗」事件を起こさなかったと思うが・・・。
と言うことは、便利になったこと自体が自分たちの首を絞めている結果につながっていることを自覚するべきでもある。
五十年以上前には「質屋」はあったけれども「消費者金融」は無かったように記憶している。
そもそも、事業をしている人以外(勤め人)は借金をしないと言う社会風潮があったような時代だったからね。
消費者金融の認可を与えたのは恐らく霞が関の金融庁(現財務省)でしょうが「勤め人にも緊急時の金銭融資は必要だ」の謳い文句は綺麗ごとの内の一つで、消費者金融が出来たことによって日本の世の中が良くなったのかと問われれば、恐らく正常判断が出来る日本人の大人なら殆ど「否」の返答であろうと思っている。
これを野放しにしている「財務省」と金主である「銀行」が裏で糸を引いている本当の悪ではなかろうか。
何だか時代劇に出てくる代官が「越後屋おぬしも悪るよのぉ~山吹色を持ってきたか」とよく似ている構図のような気がするのですが・・・。
犯罪者となった若者が逮捕後に話していた言葉の中に「免許証を提示しているので家族に危害を加えられる恐れがあって・・」と話しているようだが、凶悪事件の犯罪者になってしまえば、家族が社会的な被害者になることは考えなかったのだろうか・・・。
相手が消費者金融なら多額の借金に対抗する手段は「自己破産」ですよ。
返済能力の無い相手に金を貸したのですから、ある意味で貸した方が悪いに決まっている。
自己破産は特別なことを除き、他人に知られる訳でもなく数年経てば復権出来るのですから犯罪者になるよりも良い選択肢と思いますが、知らないのだろうか。
「スマホ」使って調べなさいよ!「スマホ」の使い方を間違っていますよ。
今日の新聞記事には豪州では16歳以下はスマホを持たさない法制化を検討しているそうで、北欧だったか教科書の「デジタル化」では子供の応力低下が起こるのでやはり紙の教科書にするべきだとの議論が起こっているとか・・・。
共に一見便利になったと思わされた裏に潜んでいる弊害が表に出て来ただけですよ。
便利になることを否定はしないが、便利になるに連れて人の能力や器量が低下することを自覚していなければ、人にとってわが身を滅ぼす道具にもなる。
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