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TOP > 従軍慰安婦問題 > title - 従軍慰安婦・南京虐殺がなかったと思っている人へ-2

従軍慰安婦・南京虐殺がなかったと思っている人へ-2   

「慰安婦決議案」が米下院で可決されましたが、その件は別途書くとして、前々回の「従軍慰安婦・南京虐殺がなかったと思っている人へ-1」の続きです。

前回エントリーで、「参考になった本」と書いたのは、この本のことです。


なぜ人はニセ科学を信じるのか
なぜ人はニセ科学を信じるのか〈2〉歪曲をたくらむ人々 (ハヤカワ文庫NF)


歴史のことを書いているのに、なぜに「ニセ科学?」と、本のタイトルに引っかかる方もいるでしょうが、とりあえず引用していきます。

この本には慰安婦や南京の話は出てきませんが、ナチス・ドイツによるホロコーストを否定する論調に対して言及しています。それと同時に、歴史学とはどのような方法で研究されるのかを示しています。


証拠の収束 (P.191~)

人が何かについて議論したいと思えば、異なった出典からその結論の確証となるような追加の証拠を提出しなければならない。

歴史学者たちは、 考古学や古生物学と言った歴史分野の科学者達が使うのと同じ一般的な方法-ウィリアム・フューエルが「帰納的一致」、あるいは証拠の収束と呼ぶものをよりどころとして、ホロコーストが実際にあったと考えている。

否定論者は、ホロコーストという構築物に一つでも小さな亀裂を見つけることさえ出きれば、その殿堂全体が崩れ落ちると考えているように思える。これが彼らの理論の根本的な弱点である。

ホロコーストはたった一つの出来事ではない。ホロコーストは、何万もの場所で起こった何千もの出来事であり、一つの結論へと収束する無数のこまかな事実によって証明されているのだ。

ホロコーストとはそもそも、こういった個々の小さな事実によって証明されているわけではないのだから、当然、あちこちに見られる小さな間違いや矛盾だけを根拠に論破することなど出来ないのである。


ちょっと話はそれますが、この「証拠の収束」の手法は、「進化論」でも用いられているようです。

アメリカでは、宗教的理由からダーウィンの「進化論」を認めず、人類は神によって創造されたという「創造論」が幅を利かせていて、アメリカ成人の48%が進化論を否定しているという調査もあるくらいです。

メディアリテラシー的には、この調査がどのように行われたのかにもツッコミたいところですが(^^;、それはさておき、このアメリカの実態は、信心深さと言うよりも、「進化論」の弱点を突き「創造論」が科学的に証明されたかのように見せる勢力の活躍による面も大きいようです。

では、進化論を導く「証拠の収束」とはどのようなものなのでしょうか。


たとえば進化は、地質学、古生物学、植物学、動物学、爬虫類学、昆虫学、生物地理学、解剖学、生理学、比較解剖学などからの証拠の収束によって証明される。

これらは様々な分野の証拠のひとつが「進化」を示しているわけではないのだ。

化石は、一枚のスナップ写真に過ぎない。ところが地質学的な地層の中の化石が同じ種や異なった種の他の化石と共に研究されたり、他の地層に見られる種と比較され、あるいは現代の生物と対比され、世界各地や、過去や現在やそのほかいろいろなところの種と並べられると、それはスナップ写真ではなく、映画になる。

それぞれの分野からの証拠が大いなる結論-進化へと昇華するのである。その道程はホロコーストを証明する場合も同じである。


現在の生物をどれだけ詳しく解剖して調査しても、それだけでは何千万年前の姿はわからないのと同様、一片の情報だけでは歴史的事実は見えてこない。また、一部の証拠や証言の真否を問うだけで、歴史をひっくり返すことはできないということです。

さまざまな証言・証拠を比較・対比し、並べていくことで、はじめてまともな歴史研究となる、そういうことのようです。

そもそも、過去に起こったとされる出来事を、当事者でない人間が調べるのは大変な作業だと思います。人間の記憶は元々曖昧なものですし、処分されてしまった文書もあるでしょう。しかし、その他の情報を組み合わせていくことで全体像は見えてきます。

慰安婦問題については、決定的な「命令文書」が見つからないからと言って、「なかった」と言い切ってしまうのは、やはり短絡的な結論と言われても仕方ないと思えますね。

「なかったとは言い切れなくても、あやふやなのだから、もっときちんと調査すべきだ!」とおっしゃる方もいると思いますが、それは下記の政府調査文書に全部目を通してから言った方がよろしいのではないか、と・・・。
「証拠の収束」の手法で調査研究されていることが見て取れる資料だと思います。
「慰安婦問題は、反日朝日新聞が捏造したものだ」と思いこんでいる人にも見て欲しいですね。

まぁ、個人はともかく、少なくとも慰安婦問題をネタの一つとして政治・言論・著作活動を行っている著名人は一読すべき調査文書だと思います。

と、偉そうに書きましたが、この文書類がネット上で読めることに私が気づいたのは、つい最近でして、今、下記の『「慰安婦」問題調査報告・1999』を読んでいるところです。パソコンの画面で読むと目を悪くしそうなので、会社のプリンターで全部印刷して読んでいます(^^;。全部で143ページですから、普通の本を一冊読む程度ですよ。ネットで無料で読めますし。

(次回に続きます)

■慰安婦問題政府調査文書

(2007/9/30 リンク修正:
デジタル記念館『慰安婦問題とアジア女性基金』」の開設に伴って下記査報告書類のurlが変わっていたようですのでリンク先を修正しました)

『「慰安婦」問題調査報告・1999』-1
(PDF 59KB)
  目次、刊行に当たって
『「慰安婦」問題調査報告・1999』-2(PDF 107KB)
  政府発表文書に見る「慰安所」と「慰安婦」
  ~『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』を読む~
『「慰安婦」問題調査報告・1999』-3(PDF 33KB)
  防衛庁 防衛研究所所蔵「衛生・医事関係資料」の調査概要
『「慰安婦」問題調査報告・1999』-4(PDF 100KB)
  「半島女子勤労挺身隊」について
『「慰安婦」問題調査報告・1999』-5(PDF 278KB)
  雲南・ビルマ最前線における慰安婦達-死者は語る
『「慰安婦」問題調査報告・1999』-6(PDF 68KB)
  インドネシアにおける慰安婦調査報告
『「慰安婦」問題調査報告・1999』-7(PDF 167KB)
  日本占領下インドネシアにおける慰安婦
  ~オランダ公文書館調査報告~
『「慰安婦」問題調査報告・1999』-8(PDF 15KB)
  著者紹介

『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』-1
  警察庁関係/外務省関係公表資料(581ページ PDF 8.2MB)
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』-2
  防衛庁関係公表資料(上)(349ページ PDF 5.8MB)
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』-3
  防衛庁関係公表資料(下)(411ページ PDF 6.3MB)
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』-4
  国立公文書館所蔵/大英帝国戦争博物館/厚生省関係公表資料
  (312ページ PDF 4.5MB)
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』-5
  米国国立公文書館所蔵/国立国会図書館所蔵資料(294ページ PDF 5.3MB)


■参考リンク
Non-Fiction(Remix Version)  なぜ人はニセ科学を信じるのか/マイクル・シャーマー
Non-Fiction(Remix Version)  しゃれになりません
Apes! Not Monkeys! はてな別館 - 慰安婦・慰安所に関してオンラインで閲覧できる一次史料
どんな証拠を突きつけても否認し続ける人びと(追記あり)


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コメント

慰安婦問題、たくさんの資料ですね。私は日本の歴史の話を読むとき、あの漢字とカナの混ざった旧字体の文章が苦手で挫折しがちです(^_^;) でも慰安婦問題のことはよくわかっていないので、リンク先のpdf読んでみます。

本当に進化論は一応は教えるらしいですが、先生が「これは嘘だから」ときっぱり言うらしいですよ。高校時代に国際コースの生徒がむこうの授業でそう習ったらしいです。
ホロコーストを勉強しに大学へ進んだつもだりだったのですが、真偽できないっていう理由で全く勉強できていません。ドイツ関連の大学だから期待していたんですけどねー(´ω`)

これそっくりそのままかえします。逆もまたしかりではないのですか?

>haloさん

いつもコメントありがとうございます。
私も漢字とカナが混じっている昔の文章は、ついつい読み飛ばしてしまっていたのですが、意識してじっくり読むようにしていたら、だんだん慣れてきました(^^)
きっと慣れの問題だと思うので、頑張ってください。
『「慰安婦」問題調査報告・1999』の方はしっかりとした研究論文という感じで客観的に書かれていますので、一読の価値有りと思います。


>さきさん

いつもコメントありがとうございます。
進化論を教えるかどうかは州によっても、差があるみたいです。
真偽がはっきりしないからこそ、調査研究と勉強する意味があると思うんですよね。自分でやらないと、一方の説を鵜呑みにしてプロパガンダにひっかかっちゃいますから気をつけないと。どちらの論調も距離を置いて目を通すことが大事かと思います。


>朝早さん

初めまして。コメントありがとうございます。
ただ、大変に短いコメントですので、真意をはかりかねているのですが、一応、本文の下記の部分へのツッコミと想定して返信しますね。

「決定的な「命令文書」が見つからないからと言って、「なかった」と言い切ってしまうのは、やはり短絡的な結論と言われても仕方ないと思えますね。」

もちろん『決定的な「命令文書」が見つからない』から、「あった」とは言い切れないとも言えますが、非常にたくさんの証言や当時の文書があるわけですから、形勢は「あった」の方が強いわけです。
証言しているのは、先だって米議会で証言した元慰安婦だけではありません。元慰安婦のみならず、元日本兵や、慰安婦を捕虜にした米兵などの数え切れないほどの多くの証言があります。

またその証言の裏付けとなる、元日本軍や警察、内務省の文書が残っているわけです。
それを示したかった為、エントリー内に『「慰安婦」問題調査報告・1999』や『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』へのリンクを張ったわけです。
それに、当時の証拠となる文書『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』だけでも、約2000ページ近くあるのですよ。

『「慰安婦」問題調査報告・1999』については、各証言と、当時の文書をつきあわせその信憑性を調査し、辻褄が合わない証言についてはきちんとそこを指摘しています。でも、当時の文書から証言とマッチする部分もたくさんあるわけです。つまり、ウラがとれているのです。

これらを総合して考えれば、「(軍の関与が)なかった」というのはどうしても無理があります。つまり、「逆もまたしかり」とは現状では言えないと思います。
いわゆる狭義の強制連行についてのみは文書が見つかっていないようですが、証言はあり、業者がやったことだとしても、業者の選定から業者が連れた慰安婦の輸送、管理には軍が強く関わっており、監督責任は十分にあると思います。

ねつ造番組は委託した子会社が勝手にやったことだと、大手TV局が発言すれば腹が立つでしょう?。それと同じコトですよ。

また、南京事件についても同様のことが言えると思います。

「なかった」ことを証明するのは「悪魔の証明だ」といってはいけませんよ。それは否定派がよく使う「論点ずらし」です。膨大な証拠があるのですから、それらに全て理論的に反証すればよいだけなのですから。

とりあえず、慰安婦問題については、冷静になってリンクした『「慰安婦」問題調査報告・1999』に目を通すことをおすすめします。
全部で143ページですし無料ですから、たいした労力はいらないと思いますので。

想うこと

「J.シーガルさんの考察」は非常に参考になるので時たま拝見させていただいております。出来れば時たまではなくしばしば、或いはしょっちゅう、毎日訪れたいのですがなかなか思うようにはいきません…。

ところで今般のエントリーに関してですが、前回と同様に若干の“私見”を述べさせていただきたいと思います。

先ず第一点。

タイトルが「従軍慰安婦・南京虐殺がなかったと思っている人へ」となっており、少し誤解を招きかねない結果を齎す恐れがありますので僭越ではありますが私の方から若干の補足をさせていただきたいと思います。

現状に於いてあくまでもJ.シーガルはそれぞれの事案に関して「あったともなかったとも」“断言”はされていないということです。

要するに「あったかもしれないし、なかったかもしれない」、だからこそ「考察して見よう」ということでけして現段階に於いては否定も肯定もされていないということです。

J.シーガルさんが歴史の隘路で一人敢然と「こっちにもつかずあっちにもつかず」奮闘されている姿に惹かれている私です。

取り敢えずは「あっちにつくか」「こっちにつくか」J.シーガルにとって不本意ではあると思いますけれど「立場を決め」て「考察」を進められたほうがある意味「楽(らく)」だとは思うのですが、J.シーガルさんは“敢えて”それをしていません。

その時その時の「自分自身を信じ」て「考察」を続けているように私には見受けられます。

なかなか出来ることではないと私は思います。

どちらかというと私も今般の二つの事柄については「否定派的な観点」から眺めておりますので、もしかしたらJ.シーガルさんと私とは将来まったく正反対の歴史観を身に着けることになるかもしれませが、それはそれで致し方なしと思っています。

なぜならば「歴史とは“物語”であり、様々な捉え方があって当然」だと考えているからです。

只、個人的に許せないのはそのような歴史というものの本質を履き違えて「“政治的な道具”として歴史を悪用する人たち、そして国々が存在する」ということです。

私はそのような人たち、そして国々には断固反論していきたいと思います。

簡単に一言で言ってしまえば「そうではないだろう!」ということになるかと思いますが。

何れにしろ今後も私にとっては「考えられないほど客観的な視点を保ち続けようとしている」J.シーガルさんの努力がそれなりに実を結ぶ日が早く訪れることを祈念しております。

第二点として

私の希望なのですが、次回は是非「従軍慰安婦・南京虐殺があったと思っている人」へのタイトルで考察をしていただけたらと考えております。

あくまでも「個人的な希望」ではありますけれど…。

以上二点、脈絡が少し欠如してしまったかもしれませんけれどご勘弁を。

私もこれからJ.シーガルがブログにアップしてくださった“資料”を拝見させていただこうかと思います。ちょっと時間が掛かりそうですが…。

お久し振りです。また先日はコメントありがとうございます。
コメントはご無沙汰ですが、毎日拝見しております。如何せん、最近の記事はディープで私には難しすぎて・・・。

率直にいうと、“そうかもしれないなぁ”と思いました。
ただ仮に南京事件やホロコーストが事実だったとしても、認めたくないという気持ちがどこかにあるのは正直なところ。頭では理解しても、体が受け入れてくれない場合があります。

昨日の昼、BC級戦犯の番組をやってました。
その番組の中で、シンガポールのチャンギー刑務所というところでBC級戦犯として処刑された父親について、息子(60代後半)がなぜ自分の父親は処刑されなければならなかったのかというのを調べる。
それを専門としている学者を訪ね、自分の父親の罪状(陸軍大尉として捕虜を取調べ中、虐待・殺害した罪)を知る。
その息子さんは学者にこう訊く。
“父は直接殴ったんですかね?ホントはやってないんですよね?”って。
でも、英語で書かれている裁判の調書の中で、自分の父親が“殴って殺したのは自分である”“自分は有罪である”という証言をしていたことがわかると愕然としておりました。

このシーンが非常に印象に残っております。
自分の父親はそんあ悪い人間じゃない、信じてやりたい・・・というような身内びいきがついつい出てしまうもの。
もしかしたら、知らないほうがいいことってあるのかもしれんな~なんて。

私の場合は、心のどこかで祖父を弁護してやりたいとも思っている。ある意味弁護するために都合のいい書籍を選んだり、都合の悪い部分は見ないようにしているのかも。
否定しようか肯定しようかと揺れ動く気持ちが、常にあるような気がします。

(。-`ω-) コメントが論理的ではなく、浪花節ですみませぬ。

>あすなろおじさん さん

いつも読んで頂きありがとうございます。私も毎日更新は出来ませんから(笑)、時間があるときに来て頂けるだけで嬉しいです。

さて、

>その時その時の「自分自身を信じ」て「考察」を続けているように私には見受けられます。

せっかく書いて頂いたことに反論するようで申し訳ないのですが、むしろ反対なのです。つまり、「自分(の知識)を疑う」姿勢が大事だと思っていると言うことです。それが、騙されないために必要だと考えているからです。

1年前だったら、私も否定派でしたが、それでも、読んだものに対しても「本当だろうか?」と意識して距離は置くようにして、幅広く色々な文章や意見に目を通すようにしてきました。その結果として今の意見があります。

もうお気づきだと思いますが、エントリー内では明言していないものの、今の私は、ほぼ肯定派です。

実際には、毎日本を読んだり、ネットで調べたりして、エントリーで書いている内容の何十倍もの情報に目を通していますから、私の本心はもっとずっと先の方にあるのです。ただ、今まで読んで頂いた方のことなどもあって、急激な転向もよろしくないと思い、数ヶ月前の自分に立ち返って「こんな考え方もできます」と、書いているのが実態です。また、迷っている人が考える参考にして頂ければ、という気持ちもあります。

そういうわけですので、「従軍慰安婦・南京虐殺があったと思っている人」というタイトルで今エントリーを書くとしたら、それこそ一時資料の存否の確認や些末な矛盾点を見つけるというような、大勢にはあまり意味のないものになってしまうと思いますし、それを書くためにはもっともっと勉強しなければなりません。南京関連本だけで100冊以上読破したという「南京事件-日中戦争 小さな資料集」のゆうさんをはじめ、Apemanさん、bluefox014さん、yamaki622さんなどの豊富な知識と情報、論理的な考察をされている方たちに対して、この力不足の私に出来ることなど何もありません。(みなさん、右カラムからリンクしてあるサイトの方々です)

私がむしろ断固反論するなら、拉致を「していない」といっていた北朝鮮に怒りながら、「南京はなかった」「従軍慰安婦はいなかった」と叫ぶ連中のダブルスタンダードと、日本のためにと言いながら、その実は日本の評価を下げ、解決したはずの問題を蒸し返し、日本の国益を失いかねない言動を繰り返す「真の売国奴」に対してです。

少々厳しいことを書きましたが、いずれはエントリー内でもっと具体的に書くつもりではいます。(7/19のエントリーで、すでに本音を覗かせてはいますが(笑))

あすなろおじさんには、気分を害されるような返信になってしまったこと、お詫びします
<(_ _)>

8/7追記
「歴史とは“物語”・・・」
物語で歴史を語ることそのものには異論はありませんが、歴史から学んでそれを鑑とし、現在、そして将来の日本の糧とするには、科学的な検証で事実を明らかにする必要があると思います。そういう観点で肯定派と否定派の両論を見比べれば、どちらが科学的・論理的で、どちらが声が大きいだけの稚拙な暴論かは自ずと見えてくると思います。
是非、冷静かつ客観的に、また願望を交えずに両論を比較検討することをお薦めしたいと思います。
(偉そうなことを言ってすみません)


>くわっぱ上等兵さん

松井石根日記の連載はお疲れ様でした。参考になりました。
私もくわっぱ上等兵さんのところはいつもチェックしていますよ。以前使っていたRSSリーダーはLivedoorブログはうまく更新情報を拾えていなかったのですが、今使っているものはバッチリです。

>ただ仮に南京事件やホロコーストが事実だったとしても、認めたくないという気持ちがどこかにあるのは正直なところ。頭では理解しても、体が受け入れてくれない場合があります。

これは私にもあります。特に従軍経験をお持ちの御親族がいらっしゃる方はなおさらだと思います。ご覧になったという番組の話もきついものがありますね・・・。やはり戦争というものが人間性を狂わせてしまうとしか思えなくなってきます。

昨晩NHKで硫黄島から帰還した方の話をやっていましたが、これもきつかった・・・。「あれは人間の限界試験だった」とおっしゃっていました。ほぼ全滅した後も生き残っていた兵が、投降しようとして上官に射殺される話や、戦死した戦友の焦げた遺体(「炭」と言っていましたが)を食べざるを得なかった話など、60年前のことで今も号泣される元日本兵の方を見ていて息が止まりそうでした・・・。

日本軍の場合は精神論で指導されることが多く、他国の軍隊よりも兵士のストレスが多かったのではないかとも思えます。根拠はないですが。
元日本兵一人一人にスポットを当てるよりも、なぜ日本軍は、あのような組織になったのかを考えた方がよいのかも知れません。
断固慰安所に行くことを拒んだ兵や、捕虜殺害命令を拒んだ兵の話もたくさんありますから、従軍した兵士も人それぞれだったということで・・・。

でも、歴史を知らないと、「歴史から学ぶ」こともできませんので、今後の日本のためには、あの戦争の事実にきちんと目を向けることが絶対に必要ですから、冷静に考え、受け止めるようにしたいと思っています。

返信がうまくまとまらなくて、こちらこそすみません。<(_ _)>

様々な意見があることを提示していただきありがとうございます。戦争には多面的な面があるので、一方だけを強調して他方を完全否定することはできないわけですね。いろいろ参考になりました。

ありがとうございました。

J.シーガルさんの「考察NIPPON」及びそのコメントは大変参考になり今後もちょくちょく訪れさせていただきたいと思います。但しコメントをさせていただくのは今回が最後とさせていただきます。自ら更に考えを纏め上げることを目標にして己の見識への考察に力点を移そうかと考えますので。

さて、改めて私自身のコメント、並びにJ.シーガルさんのコメントを拝見させていただいて「日本語は難しいなぁ」と改めて感じ入りました。瑣末なことで申し訳ありませんが、J.シーガルさんの私のコメントに対しての返答を拝見させていただくとつくづく感じてしまいます。勿論その理由としては私自身の文章表現の拙さ、そして理解力の不足があるものと思いますが、だとすれば尚のこと自らを省みてより表現力なり理解力を深めていく必要を感じております。ただ、それと同様にJ.シーガルさんの論理形態に僅かながら今私自身が、あくまでも一つの例としてですが「あの悲惨な敗戦に日本を導いた本質的な理由」に近いものを感じ“恐れ”をなし始めているのも正直な今の私の気持ちです。

“恐れ始めている”とは少し大仰な言い方になってしまいましたが、けしてそれは言葉の表層的な意味合い(J.シーガルさんを恐れている)ではなく「本質的な理由が、少なくとも一つの真実が分かってしまうかもしれない」という自分自身に対しての恐れという意味です。何も「真実が分かるならば恐れることはないではないかと」思われるかもしれませんが、おぼろげなりにも見えてきた真実というのは実は過去の大戦の時に存在しただけのもの、即ち“遺物”ではなく、2007年の現在もその身を隠し日本の社会のなかに隠棲して、大きな力をふるい、尚且つ私たちの日常生活に必要欠くべからざる存在としていわば君臨している“現実的な力”であるから、ということです。また日本社会だけではなく世界中にその存在は認められ且つ実際に一方で沢山の悲惨な状況を齎している“現実”があるからでもあります。未だ今の私にはおぼろげで確かな日本語で分かりやすく人に伝える力が無いのは不甲斐ないことではあるのですが、あえて論理的客観的な方向性を頭の隅に追いやり主観的立場からその“本質的な理由”をこの場をお借りして自らの確認の為に勝手ながら述べさせていただくならば、その“本質的な理由”とは一言にいってしまえば「理念(論理・思想)」ということになります。即ち“理念(≒観念)”が人びとに災いを齎し人を不幸にするということです。勿論その逆も真実ではありますが。

“理念”を他の言葉で言い換えるとするならばその“語彙”の持つ直接的な関連性は更に減少し説明に窮してしまいますが、あえてそれらのことを無視して述べさせていただければ、それは“官僚体質”、“選民思想”、“左翼思想”、“右翼的考え”そして“宗教”等などが今の私には“同意語”になります。ですが今は観念的に同意語と位置づけてはおりますけれど、論理的、そして理論的に同意語としての関連性を判りやすく説明することは出来ません。ですから、今後、もし人に分かりやすく説明できる自信がつきましたら、またコメントさせていただくことがあるかもしれませんが、現時点ではお恥ずかしながら力不足です。

それから、「日本語は難しいなぁ」と感じた一つのきっかけは以下のようなJ.シーガルさんの文章でした。

『>その時その時の「自分自身を信じ」て「考察」を続けているように私には見受けられます。

せっかく書いて頂いたことに反論するようで申し訳ないのですが、むしろ反対なのです。つまり、「自分(の知識)を疑う」姿勢が大事だと思っていると言うことです。それが、騙されないために必要だと考えているからです。』

以上の文面が『「自分自身を信じ」て「考察」を続けているように私には見受けられます。』という文章に対しての返答であればわかるのですが、私としては正にJ.シーガルさんご自信が仰っているように『「自分(の知識)を疑う」姿勢を大事にされているJ.シーガルさん』という意味でわざわざ『その時その時の』という言葉を添えたつもりではあったのですが、このような簡単な文章であっても私の意志が伝えられないことに“自らの文章作成能力の欠如”を嘆いたしだいです。よって暫く鍛え直してそれからまた許されるならば再訪させていただこうかと。

また、けしてJ.シーガルさんをけなすわけではありませんので誤解されないように願います。“自らの未熟さを痛感”してしまっただけですので。

『1年前だったら、私も否定派でしたが、それでも、読んだものに対しても「本当だろうか?」と意識して距離は置くようにして、幅広く色々な文章や意見に目を通すようにしてきました。その結果として今の意見があります。』

『8/7追記
「歴史とは“物語”・・・」
物語で歴史を語ることそのものには異論はありませんが、歴史から学んでそれを鑑とし、現在、そして将来の日本の糧とするには、科学的な検証で事実を明らかにする必要があると思います。そういう観点で肯定派と否定派の両論を見比べれば、どちらが科学的・論理的で、どちらが声が大きいだけの稚拙な暴論かは自ずと見えてくると思います。
是非、冷静かつ客観的に、また願望を交えずに両論を比較検討することをお薦めしたいと思います。
(偉そうなことを言ってすみません)』

何を言っているんだ少しぐらい考察が出来るからといって<1年前>だと、私なんか20年前までは肯定派だったんだぞ!<歴史から学んでそれを鑑とし、現在、そして将来の日本の糧とするには、科学的な検証で事実を明らかにする必要があると思います。>何言ってんだ、そんなことは当たり前のことで改めて口に出すことではない!。私は<“幅広く色々な文章や意見に目を通し、客観的に、また願望を交えずに両論を比較検討することを心がけ、結果今は否定派的な意見を持つようになった”>んだ!20年早いj.シーガルは、本当に偉そうなことをいって!」と思っている『自分自身が嫌になった』のです。

本当に文字だけのコミュニケーションは難しいです。何卒真意を受け取って下さることを期待します。

長々と駄文申し訳ございません。

何れにしろ「J.シーガル」さんに出会えたことを心から感謝しております。お陰様で私自身もブログを始めました。まだまだ初心者ですので四苦八苦してはおりますが、ブログを通じて自らの考え方を整理していきたいと考えております。只、今のところ非公開にしておりますのでJ.シーガルさんに“つっこみ”を入れていただくわけにはまいりませんが…。

本当にありがとうございました。

“元陸軍航空隊員の父を持つ”あすなろおじさんより

J.シーガルさんへ

追伸

改めて書きながら気付かされました。ある意味「科学的・論理的な考え」が「人びとに不幸を齎す」のではないかと。

「近・現代史」に興味を持ち、だからこそ「J.シーガル」さんに出遭えたわけではありますが、結局、今の私自身の興味の対象が変わってきているだけかもしれません。

では、何れまたお会いできることを願って、しばしの間、謹慎させていただきます。

j.seagullさんおひさしぶりです。
>昨晩NHKで硫黄島から帰還した方の話をやっていました
>戦死した戦友の焦げた遺体(「炭」と言っていましたが)

自分も見ました。やはり炭の話しはそういうことだったんですね。聞いていて涙がでてきました。生き残った元日本兵の方々の多くが、戦争体験を語らずに生きてきた部分にこそ、本当の真実があると思いました。

返信が遅くなり申し訳ございません

>bonさん

前回の私の返信を改めて読み直すと、やや感情的な文章になっている気がします。すみませんでした。でも、私の言いたいことはわかって頂けたような気がします・・・。これからもよろしくお願いします。


>あすなろおじさん さん

初めてコメントをいただいたときから、あすなろおじさんの、私(と、このブログ)に対する過度な評価に非常に困惑していました。(このブログのサブタイトルに「歴史のど素人が・・・」を付け加えたのもそれがきっかけです。)
ブログに触れるようになってまだ時間も浅いとのこと、やむを得ないかと思います。私自身は、ネットでの文字のみのコミュニケーションの難しさは、もう15年ほども前(インターネットがまだ無い「パソコン通信」の時代)から実感していることですので、気にはしておりません。
できれば、拙ブログは、その利用者数が2000万とも3000万とも言われているブログのうちの、ほんの一つにすぎないことをご理解頂き、このような無知な私が書いているよりもずっと有意義な情報や考察がある他のブログやWEBサイトの存在を知って頂ければと思います。

いただいたコメントの内容には、もはやあえて返信することはいたしません。ただ、「あすなろ書棚」にあるような1907冊もの本を読破(しかも私が読んだことのある本もかなりあります)された方が、なぜ従軍慰安婦や南京の問題に否定派的な意見を持つようになったのか? ということに関心があります。
ぜひ、そのあたりをご自身のブログに書いていただけたらと思っております。
昨日で、ブログ開設一ヶ月になられるようですし、そろそろ「公開」の状態にするのはいかがでしょう?(^^)


>やっしゃん さん

「炭」と仰ったときの、あの方の表情(言葉ではうまく言い表せませんが)から、そのように思いました。日本軍の苦しんだ各地でそのような話があるので、私がかってに連想してしまっただけかもしれませんが。

>聞いていて涙がでてきました。

本当に聞いていて苦しくなるお話でしたね。本当に、「息が詰まりそう」を超えて「息が止まりそう」・・・そんな感じになりました。

>生き残った元日本兵の方々の多くが、戦争体験を語らずに生きてきた部分にこそ、本当の真実があると思いました。

「思い出さないように」「家族にも話せず」に戦後を生きてきた方は少なくないと私も思います。それでも戦後60年を超え、やっと重い口を開くようになった方も増えてきている気もします。そのつらさはご本人にしかわからないこと・・・真摯に耳を傾けていきたいものですね。

ただ、あるイデオロギーが強い一部の人たちは、自分たちの主張に都合が悪いと、あら探しをして証言者を嘘つき呼ばわりする輩まで出てくることが悲しいです。
人間の記憶のメカニズムや、証言の正確性などの検証は、歴史科学としては必要ですが、それは「きちんとした歴史学者」が行ってくれるでしょうから・・・。

たまたま覗いたのでコメントさせていただきます。ニセ科学や進化論を引き合いに出されていますが、歴史を論ずる事と一緒に考えては危険だと思います。「証拠の収束」の手法は、その証拠が”本物”かどうかにかかっています。科学の場合は、あとから他の人の手によって再現性を確認することができるため、たとえその証拠が捏造であっても、真実を確かめることができます。韓国の黄教授ES細胞論文の捏造が分かったのもそのためです。しかし、歴史はそうはいきません。時間を逆行することは今の所できませんので、資料がどれだけ正しいかにかかっています。多くの証言があるということと、証拠が多数あるとはイコールではありません。どの証拠を採用するかによって「証拠の収束」の手法は、幾重もの結論を導きだすことができます。ニセ科学は”ニセ”であることを証明できます。まったく違う事です。

また、「なかった」と思っている人はほとんどいないと思います。南京については、人数や規模に疑問をいだ居ている人が多いのではないでしょうか。また、慰安婦についての存在自体はだれも否定していません。論点が違うのではないでしょうか。「ないと思っている人へ」と書かれている時点で、ブログ主様自身にとてもバイアスがかかっているように感じられます。どなたかもコメントされていますが、「従軍慰安婦・南京虐殺があったと思っている人」へのタイトルでも考察されてみてはいかがでしょうか。従軍慰安婦・南京虐殺を否定的にとらえている方も「証拠の収束」の手法を使っているので、できるはずです。
また「南京では何人虐殺されたか」なども期待しています。

最後に、「きちんとした歴史学者」というのは、どういった歴史学者のことをいうのか興味があります。科学者とちがいなかなか判断が難しいのではないでしょうか。

「慰安婦決議案」が米下院で可決された背景についての考察もお時間があればおねがいします。

>DNA さん

初めまして。コメントありがとうございます。

>ニセ科学や進化論を引き合いに出されていますが、・・・

それは、紹介した本で書かれていることなのですが、否定論者の論法がそっくりだという部分に共感したため、引用したわけです。

>その証拠が”本物”かどうかにかかっています。

それは勿論大前提です。例えば「慰安婦問題政府調査文書」を読んでも判りますが、調査した証言類が本当かどうか、慰安所とレイプ事件が混同されて証言されていることも指摘されています。
また、いつ、どのような方法で慰安所に行ったかについても、証言に出てくる船の名前や船団の隻数、日時などを、当時の記録と照らし合わせる作業が行われています。
歴史については、科学のように白か黒かという断定を下すことは極めて難しく、また危険ですが、「おおむねこうであった」というところまではたどり着けると思います。それに、この手法を否定してしまったら、他にどのようにして歴史調査を行えばよいというのでしょう?

>また、「なかった」と思っている人はほとんどいないと思います。

人口相対的には少なくても、政治系ブログを覗けば、ごろごろいますよ。

「慰安婦問題は朝日新聞の捏造から始まった」と信じて疑わないブログでコメントしても、「反日」のバッシングしか返ってきませんし

政治ブログランキング一位のこちら↓でさえこの程度の認識です。
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-896.html
【レビュー】「朝日新聞」から生まれた“従軍”慰安婦
まぁ、わざとやっている(プロパガンダ)のかもしれませんが・・・。

>慰安婦についての存在自体はだれも否定していません。

でも軍の関与を否定し、公娼だったと言い切る人もいますよ。
軍の関与を認めても「良い関与だった」と主張される、1938年3月4日付陸軍省副官通牒「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」についても、当時の事件の流れから研究した別の解釈があることを知らない人も少なくないと思います(少し前までの私がそうでしたし)

>ブログ主様自身にとてもバイアスがかかっている

バイアスがないように意識しているつもりではいますが、また、同時にバイアスのない人などいません。エントリーは冷静な文体で書いていますが、実際には今まで自由主義史観派に騙されていたのではないかという怒りと情けなさが私の今の本心ですから。

>「従軍慰安婦・南京虐殺があったと思っている人」へのタイトル・・・

書くとしたら、慰安婦は総て悲惨だったと思っている人へ、「トラック島で慰安婦をしていた頃が人生で一番仕合わせだった」という日本人元慰安婦の菊丸さんや鈴本さんの証言を紹介するとかでしょうかね。あるいは以前にもエントリーで紹介した伊藤桂一氏の話は、そのまま改題しても通用するかもしれません。
伊藤桂一氏は、今発売中の『諸君!』でも慰安婦について語っていますから、それでも良いでしょう。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=4725;id=sikousakugo#4725

>また「南京では何人虐殺されたか」なども期待しています。

無茶を仰らないでください。
大学の歴史学教授でさえ見解が別れているところを、歴史学を学んだことさえないド素人に期待するなどどうかしていますよ。
私にそんなことを期待するのなら、拙ブログ右側の「南京事件・慰安婦問題資料リンク集」を全部じっくりと読まれることをおすすめします。

>「きちんとした歴史学者」というのは、どういった歴史学者のことをいうのか

イデオロギーや結論を前提としないで、歴史資料についても自分に都合の良い部分のみトリミングして、やたらに一般向けに本を出版しない歴史学専門の研究者のことですよ。

はじめまして

慰安婦に関して軍の関与は当たり前、監督責任?それいうなら沖縄の少女暴行事件は米兵が起こしたから米軍・米政府は謝罪賠償せよ!ってことですね
慰安婦問題は軍が奴隷狩りやったかやってないかでしょう

>のむぴょん さん

はじめまして。コメントありがとうございます。

残っている公文書類に目を通すかぎり、慰安所は兵站施設であり、軍の管理下で、慰安婦もほぼ軍属といっても差し支えない状況だったようですから、兵士の個人犯罪とは別物だと思います。
エントリー本文で研究報告と一時資料へのリンクを張っているのですから、ぜひ目を通してはいかがでしょう?
(研究報告でも、レイプ被害者と慰安婦は分けて論じようとしているところがみられます)

>慰安婦問題は軍が奴隷狩りやったかやってないかでしょう

以前は私もそう思っていましたが、やはりそれは問題を矮小化させてしまうと思います。
辛い思いをした人に追い打ちをかけている日本の一部の動きが、他国からどのように見えるかも考えた方がよいと思いますよ。

家が建つほどの収入を得ておいてつらい思いとか…

返信が遅くなり申し訳ございません

■家が建つほどの収入を得ておいてつらい思いとか…さん

その前に、家が数件建つほどの借金があった人も少なくないことをお忘れでは?
一銭ももらっていないという証言もありますし、軍票で支払われたため、日本の敗戦で紙くずになってしまった例も多々あります。
慰安婦、慰安所の様子は、その時期、場所、民族によって非常に多様であったようです。ですので、一部の例をもって、全てを知ったつもりになることは慎みましょう。


[なぜ人はニセ科学を信じるのか]

>一つの結論へと収束する無数のこまかな事実によって証明されているのだ。

>それぞれの分野からの証拠が大いなる結論-進化へと昇華するのである。


大変含蓄のある言葉ですね。

原著は「ニセ化学」について語るために否定派を挙げましたが、今の日本では(特に妄信的・狂信的な)「肯定派」にこそ耳タコになるぐらい聞かせたい言葉です。

一次史料の積み重ねで証明されるはずの歴史的事実を、故意に、あるいはわい曲された二次史料で信じ込む、信じたい。

一次史料なき南京事件や悪意の慰安所を信じたい人たちを論じた
[なぜ日本人はニセ歴史を信じるのか]
という本が出版されても、この言葉を使うべきでしょう。

特別の機関を外国に設ける。提案

日本国内では、このような問題にたいして、たくさんの意見(実証もあわせて)を、知ることが、できますが、外国に住んでいる日本人のほとんどは、外国でこのような問題がもちあがったとき、ただだまってうけいれます。理由を聞くと、日本の政府が何も言わないから、本当の事でしょう、、、、です。
外国に住む多くの日本人は、日本の兵隊は戦争で悪いことをいっぱいしたという戦後のマスコミコントロール、アメリカのもってきた日本人洗脳思想(りべらる)を疑おうともしないのが現状です。
 われわれ日本人が、今もっている誇り、外国人(中国、韓国を省く)からの賞賛は、戦前の日本人の作り出したものだと認識して欲しいと思います。 ベトナム戦争終わりの頃わたしは、アメリカで何人ものベトナムの人々に、日本人に対しての賞賛の言葉をもらいました。(普通の一般ベトナム人です。)
日本人は大きな国と勇敢に戦った、勤勉、頭が良いなどでした。彼らは日本人を尊敬しているとまで言いました。。そして自分が日本車をもっていたことが嬉しいといいました。 日本の経済大国は、こういう戦前の日本人のかたがたの礎があること、戦前教育を受けた方々の力である事を強く感じます。アメリカのおかげではありません。どうもすみません話がそれているようで。
政府が、日本国民から誇りすなわち愛国心をうばわっているだけでなく外国人(中国、韓国を省く)にも日本に対する悪い印象を植え付けていると思います。。日本は南京事件、慰安婦問題その他国益を害するニュースに関しては直ちに、断固として抗議をする国の機関を設けるべきです。本来は害霧省の役割でしょうが、保身ばかりで頭がいっぱいで見ざる聞かざる言わざる政府の外国での接待ががりですから。何もしないことの罪のいしきもないのです。またしなくては、いけないことも知らないのです。私は、
民間の機関として、ユダヤのアウシュビッツの機関のようなもんを、世界中に作る必要があると思います。ゆがんだ、南京、慰安婦の映画が、外国で放映されたり取りざたされることによって日本に対する印象がゆがめられていることは、事実です。この20年日本への賞賛は個人的に、きいたことがありません。
sexアニマル、ゲームは面白い、日本車は高い、自国の車と性能はあまり変わらない、、、、。こんなところでしょうか。
私は、この、南京事件、慰安婦門題の資料を友達に知らせています。


返信が遅くなってすみません

■まるさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

あまり政治的な話や、日本の過去の歴史について善悪を語るつもりはないのですが、歴史認識を政治問題に絡めて語るのならば、史実に対して真摯に向き合うべきと考えます。
史実を否定しようとする運動そのものが日本の国益を損ねかねないことについての自覚を否定論者の方には求めたいと思っています。

南京事件や慰安婦問題を声高に主張する人の言うままに信用するわけにはいきませんが、同様に問題を矮小化しようとする勢力の言うことを信用することもできません。
なにより、自分の中の狭い「印象」のレベルで安易な結論を出さないことですよ。

いわゆる狭義の強制連行についてのみは文書が見つかっていないようですが、証言はあり、業者がやったことだとしても、業者の選定から業者が連れた慰安婦の輸送、管理には軍が強く関わっており、監督責任は十分にあると思います。

ねつ造番組は委託した子会社が勝手にやったことだと、大手TV局が発言すれば腹が立つでしょう?。それと同じコトですよ。

また、南京事件についても同様のことが言えると思います。

従軍慰安婦・南京虐殺がなかったと思っている人へ
だと思いましたが、強制連行についても考察してるという事でいいんですか?
記事が証拠と裏づけがある、という主張でしたので、この部分だけ曖昧な意見だと感じました。
この部分は逆もまたしかり、が成り立つ事になるのではないですか?
強制連行は政府も認めていませんし、
間接的な関与による責任問題、という話になると、また別の話になっていくと思います。
間接的関与なのかどうかもまだ曖昧です。
あくまでタイトル通りの意見に留めた方が良いと思いました。






ホロコーストが何万という場所で何万という人が被害を受けたというならば、東南アジア、アフリカなどを植民地支配して現地民族を奴隷扱いしていたアメリカ、ヨーロッパ各国にも適用されなければならない。
戦争を勝った側の立場で敗けた側のみを裁くなど話にならない。

初めて得たかったものを得た気分です

戦争を勝った側の立場で敗けた側のみを裁くなど話にならない という方もいますが 極端な言い方になると 勝ったものが総取り
それが戦争ってものの唯一のルールなんだと思うんですがいかがなもんでしょう
それに不満があるんなら負けないか なにがなんでも参加しないかしかないんだとおもうんですが
ていうか 日本が万が一勝ったとしたら 自分たちを裁いたというのでしょうか?そんなことはほぼありえないと思うんですが…

日本が戦前も 戦後も交渉力・情報力が弱いという気がしてなりません
軍事戦力を上げる前に、そちらを上げるほうが先決ではないかしら?
最近のあきらかに利敵行為としか思えない行為を続ける政治家たちを見るたびに思います
外からどう見られてるか、どう見られるかの意識がかけてないかしtら

そういう意味ではこちらのサイトの情報は、そういう負の面を見ないで善い点だけをあげつらったりしない点でとても好感触です
本当はこうした情報がもっとおおっぴらに論じられて、互いに論評しあえるのが、健康的な自由主義の国の姿なんでしょうけどね…まぁ日本が自由主義であったことがありませんし、ムリな話か・・・

名なしさん

他国の話を引き合いに出して 問題を摩り替えようとすることは賢明ではないのでは?
それよりも そうした国の愚行から学び そうならないようにする知恵をつけましょうよ

私見なんですが 戦後日本は国家としての戦争の総括はしたのでしょうか?なんとなく村山談話、河野談話がそれあつかいされてる風ですが 時間が経ってですから それにはあたらないような・・・
もちろん総括すると最終決定権者たる皇室に話がおよばざるをえずできないめんはあったんでしょうけど
賠償金や戦後補償、条約とは また話がちがうんではとおもうんですが・・・そこのところ どうでしょう

私は南京はあったと思っています。
でも、慰安婦は別。「従軍慰安婦がなかった」のではなくて、慰安婦の半数は日本人だったのになぜこのことは語られないのか?、朝鮮慰安婦は自分の親に身売りされたり、地元の悪徳朝鮮人にさらわれて売春宿に売られた人が大半です。当時の新聞や客観的資料がそれを示しているのです。
慰安婦が月給300円の超高給取りだった客観的資料ならいくらでも出てくるんですよ。朝鮮人慰安婦が東京に家を2つ持ってたり、そもそも慰安所を管理していた朝鮮人の手記などもありますよね。
今日は慰安婦の貯金通帳がどうの、映画の日だとか、慰安所の暮らしは完全に売春宿です。
台湾人の証言を聞いても、彼女たちはお金を貰っていた売春婦です。
問題は売春婦を雇用、募集していた業者で、これも朝鮮人の業者による人さらいが横行していたのを日本の警察が捕まえたりしているんです。軍の記録にもあるし、当時の新聞記事がyoutubeにも出ています。
「20万人の女性を日本軍が拉致した」とか、これこそ虚構でしょう。
月給16円の募集があれば日本中の女性の応募が殺到した時代ですよ??
1944年に書かれた米軍の資料にも慰安婦が売春婦である生活ぶりとか彼女たちは豊かであり、容姿が醜いなどの報告資料があって、アメリカは知った上で放置してる。
なぜ、月給300円も払って美しくなかった朝鮮少女を拉致する必要性がありますか。現代の韓国女性が海外に行って売春するその多さをご存知でしょうか。アメリカの資料には朝鮮系慰安婦が不美人であるとも書かれています。
以下は過去の慰安婦に関する米軍資料が本物だとアメリカ人が問い合わせたという動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4

日本で親の借金のためにヤクザに拉致されてソープランドで働かされている女性が沢山いるとします。でも、自発的な人たちもいて高給取り。色々です。
これを仮に米軍が一定期間、利用したとする。慰安婦問題とはこういうことです。
親に売られた証言しても補償などもらえませんが、アメリカ政府に訴えればどうでしょうか?
日本は諜報機関のない国です、当たり前の主張すら広報できない国。その代わり朝鮮系スパイに溢れていて防止するシステムもない。これが何を意味するかよく考えてほしいです。

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反日日本人の正体 その27

本日の反日度指数:★★★★★★★◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇実に久しぶりのエントリーアップです。今まで、更新を怠っていたにもかかわらず、訪問して