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若山セツ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わかやま せつこ
若山 セツ子
若山 セツ子
本名 坂爪 セツ子さかづめ せつこ
別名義 若山 セツコ
生年月日 (1929-06-07) 1929年6月7日
没年月日 (1985-05-09) 1985年5月9日(55歳没)
出生地 日本の旗 東京府荏原郡目黒町中目黒[注釈 1]
死没地 日本の旗 東京都調布市
職業 女優
ジャンル 映画
活動期間
配偶者 谷口千吉1949年 -1956年
主な作品
テレビドラマ
お祭り銀次捕物帳
映画
受賞
毎日映画コンクール
新人演技賞
1947年おスミの持参金
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若山 セツ子わかやま セツこ[1][2]1929年昭和4年〉6月7日[1][3][4] - 1985年昭和60年〉5月9日[4])は、日本女優東宝の清純派スターの一人として知られている[3]。映画監督の谷口千吉の元妻。本名は坂爪 セツ子、旧芸名は若山 セツコ。

人物

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左端が若山セツ子(1951年)

東京府[1]目黒町中目黒[注釈 1]出身。実践高等女学校卒業[1]

1946年東宝ニューフェイス第1期生として東宝へ入社[1][3]。デビュー作は『四つの恋の物語』(1947年)[1][3]

1949年、『青い山脈』での丸メガネの女学生・笹井和子役で人気を獲得し[1][3]、同年に東宝の映画監督であった谷口千吉と結婚。

1952年、『次郎長三国志』シリーズでは次郎長の女房・お蝶を演じた[1]

1956年に夫の谷口によるスキャンダルのため離婚。

1961年に病気で引退するが、1971年に週刊誌に取り上げられたのがきっかけで復帰。深夜番組や『お祭り銀次捕物帳』にレギュラー出演したが、次第に奇行が見られはじめ、1973年に出演した『婦系図・前後篇』が最後の出演となった。

1984年に共に暮らしていた母を亡くしてから精神状態が悪化し[注釈 2]、強制入院させられてから1ヶ月後の1985年5月9日東京調布市の病院で首吊り自殺した。55歳没。

主な出演作品

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映画

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青い山脈』(1949年)。右端が若山セツ子。
薔薇合戦』(1950年)。若山セツ子と鶴田浩二

テレビドラマ

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 現・目黒区
  2. ^ それ以前には姉も失っていた。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 東宝特撮映画全史 1983, p. 535, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b ゴジラ大百科 1993, p. 131, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  3. ^ a b c d e f 東宝特撮女優大全集 2014, p. 85, 文・中村哲「まだまだいる!忘れえぬ東宝特撮女優たち〈1〉」
  4. ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「6月7日 / 6月8日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、154頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 

参考文献

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外部リンク

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