福邑正樹
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福邑 正樹(ふくむら まさき、1887年6月5日[1] - 1974年)は、大分県東国東郡出身の内務官僚、政治家。官選島根県知事。
略歴
[編集]1887年、東国東郡竹田津(現在の国東市)で代々酒屋を営む福邑家の次男として生まれる。大分県立中学校、第五高等学校卒。1913年、東京帝国大学法科大学独法科を卒業した[1]。
1914年内務省に入省。埼玉県警視、同北葛飾郡長、高知県理事官、新潟県理事官、和歌山県理事官、同書記官、秋田県書記官・警察部長、埼玉県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、和歌山県書記官・内務部長、熊本県書記官・内務部長、新潟県書記官・内務部長、福岡県書記官・内務部長[2]などを歴任[1][3]。1932年、島根県知事となる[4]。松江大橋(1937年竣工)の建築、隠岐神社(1939年創祀)の再建を行った[4]。1936年、岡田内閣の総辞職により勇退。
その後大分県の国策会社である蔵内鉱業の所長を戦中まで勤める。正四位勲三等瑞宝章受章。
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1937.
- ^ 『官報』第1504号、昭和7年1月8日。
- ^ 人事興信録 1928.
- ^ a b 府県制の沿革と県政の回顧 pp.96-102 1940.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 島根県 編『府県制の沿革と県政の回顧』島根県、1940年。