津川町
つがわまち 津川町 | |||||
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廃止日 | 2005年4月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 津川町、鹿瀬町、上川村、三川村 → 阿賀町 | ||||
現在の自治体 | 阿賀町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 |
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地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||||
都道府県 | 新潟県 | ||||
郡 | 東蒲原郡 | ||||
市町村コード | 15381-8 | ||||
面積 | 84.19 km2 | ||||
総人口 |
5,228人 (2004年8月31日) | ||||
隣接自治体 |
鹿瀬町、上川村、三川村 福島県西会津町 | ||||
町の木 | もみじ[1] | ||||
町の花 | やまぶき[1] | ||||
津川町役場 | |||||
所在地 |
〒959-4495 新潟県東蒲原郡津川町大字津川580[1] | ||||
外部リンク | 津川町(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯37度40分32秒 東経139度27分32秒 / 北緯37.6755度 東経139.45878度座標: 北緯37度40分32秒 東経139度27分32秒 / 北緯37.6755度 東経139.45878度 | ||||
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ウィキプロジェクト |

津川町(つがわまち)は、新潟県東蒲原郡にあった町。2005年4月1日、鹿瀬町、津川町、上川村、三川村の4町村の合併による阿賀町の発足により消滅した。
概要
[編集]
町場には雁木(とんぼ)の街並みが続く[2]。これは1610年(慶長15年)大火後の津川城主岡重政の都市計画により造られたと言われ[3]、発祥の地の碑もある[4][注 1]。とんぼについては1878年(明治11年)に訪れたイザベラ・バードも言及している[6]。
街中の新潟県道14号新発田津川線(会津街道、旧国道49号)はかぎ型に2箇所で折れ曲がり敵の防禦に備えた城下町のようなつくりになっている。
市街地には「山林王」と呼ばれた資産家・平田治八郎[7]の邸宅のレンガ壁も残る[8]。
商店街では1988年(昭和63年)より「旧本町再生倶楽部」と名乗る青壮年団体が景観保全のための勉強会を開き、「津川町ルネッサンス」という報告書にまとめている[9]。
歴史
[編集]現在の市街地は、1362年(貞治1年)に寺院群が津川沢から現在地に移された際に都市計画により形成されたといわれる[10]。
1614年に蒲生忠知が5万石の津川城主となると、津川は町と称されるようになった[10]。
会津と越後を結ぶ水陸の交通結節点として栄え、津川船道(つがわふなどう)と呼ばれる水運業者がこのまちを拠点に阿賀野川の舟運を行っていた[11][12][13]。会津方面からは主に米が、会津方面へは主に塩や海産物が運ばれた[12]。船着場は大船戸(大船場)と呼ばれ、周囲には会津藩の米蔵や塩蔵、物産問屋などが立ち並んでいた[14]。
只見川や伊南川流域から大消費地・新潟町への材木の筏流しの拠点にもなっており、難所の多い上流側から来た小さな筏(上川筏)を、難所の少ない下流側で使える大きな筏(下川筏)に積み替えていた[7]。
津川中町の会津街道はかつて柳並木となっていたが、1955年(昭和30年)の舗装時に伐採された[7]。
沿革
[編集]- 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い津川町(初代)が発足。
- 1955年1月15日 - 小川村、揚川村の一部と合併し、改めて津川町が発足。揚川村の残部は他村と合併して三川村を新設。
- 2005年4月1日 - 鹿瀬町、上川村、三川村と合併して阿賀町となり消滅。
人口
[編集]出典:[7]
- 1955年(昭和30年) 10,414人
- 1960年(昭和35年) 10,051人
- 1965年(昭和40年) 9,102人
- 1970年(昭和45年) 7,887人
- 1975年(昭和50年) 7,331人
- 1980年(昭和55年) 6,968人
行政
[編集]- 町長:長谷川東二(2000年4月9日から)
かつての郡役所所在地であり、郡制廃止後も県の出先機関がたびたび置かれている[7] 。1970年(昭和45年)には新潟県津川総合庁舎が完成した[7]。
経済
[編集]産業
[編集]日本酒の製造が盛んである。
商業
[編集]1948年(昭和23年)より5・10のつく日には定期市が開かれており、当初は路上であったが1962年(昭和37年)8月より住吉神社境内に移された[7]。
施設
[編集]医療
[編集]1950年(昭和25年)に津川保健所が設立[7]。1953年(昭和28年)には県立津川病院が開設された[7]。県立病院開設以前は、鹿瀬にある昭和電工附属病院が郡内唯一の病院であった[7]。
教育
[編集]- 津川小学校
- 三郷小学校
- 津川中学校
- 新潟県立阿賀黎明中学校・高等学校
交通
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 国道
- 都道府県道(主要地方道)
鉄道
[編集]バス
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
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- 阿賀野川ライン県立自然公園
- 狐の嫁入り行列(5月)
- 津川温泉
- 清川高原保養センター
- 麒麟山(津川城跡)
- 会津街道・諏訪峠の石畳
- とんぼ(雁木)のまちなみ
- 狐の嫁入り屋敷・津川河港跡
- 津川町郷土資料館
- 阿賀の館(天鬼将軍館・魚心子資料館)
- 芦沢高原ハーバルパーク
- 八ツ田観光栗園
- 新潟県立津川漕艇場
- 津川カントリークラブ
- 金鉢(かなばち)清水
- 琴平(こんぴら)清水
- SLばんえつ物語
出典:[15]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 平成14年度市町村要覧:津川町(新潟県HP) - ウェイバックマシン(2004年2月2日アーカイブ分)
- ^ 津川散策マップ - WayBack Machine
- ^ 『津川町史』津川町、1969年。doi:10.11501/9536242。
- ^ 発祥の地コレクション:雁木発祥の地 - 2019年1月18日閲覧。
- ^ 常設展示:高田の雁木通り 新潟県立歴史博物館.2020年4月5日閲覧。
- ^ “特集!阿賀野川ものがたり第1弾「イザベラ・バードの阿賀流域行路を辿る」その3 津川の河港から出航し阿賀野川の船旅へ〔前編〕”. 阿賀野川え〜とこだ! 流域通信. 新潟県. 2020年3月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『阿賀の里 : 図説・東蒲原郡史 下巻』東蒲原郡史編さん委員会、1985年10月。doi:10.11501/9539973。
- ^ 阿賀町観光ガイドマップ:津川市街地(阿賀町)(アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 『「狐の嫁入り行列に似合ったまちづくり」ー新潟県東蒲原郡津川町ー』149号、日本宅地開発協会、1994年12月。doi:10.11501/2266561。
- ^ a b 『津川のあゆみ : 開町350年』津川町、1964年。doi:10.11501/3018804。
- ^ 川がつくった新潟 -その2 船旅暮らし - 新潟県.2019年1月18日閲覧。
- ^ a b 阿賀野川流域パンフレット-川と交通 - 国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所.2019年1月18日閲覧。
- ^ “阿賀川河川伝統技術講演会 第3回:阿賀川の舟運”. 国土交通省北陸地方整備局 阿賀川河川事務所. 2020年3月10日閲覧。
- ^ “会津街道ルートマップ 3.角島〜花立”. 新潟県新潟地域振興局 企画振興部. 2025年6月8日閲覧。
- ^ 津川町 公式ウェブサイト - ウェイバックマシン(2005年3月5日アーカイブ分) ※ 「観光情報」を参照。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 津川町 公式ウェブサイト - ウェイバックマシン(2005年3月5日アーカイブ分)
- 東蒲原郡町村合併協議会 公式ウェブサイト - ウェイバックマシン(2005年2月6日アーカイブ分)