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林俊宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林 俊宏(林 俊彦)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市中川区柳堀町
生年月日 (1944-04-06) 1944年4月6日(80歳)
身長
体重
175 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 内野手投手
プロ入り 1963年
初出場 1963年
最終出場 1978年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 南海ホークス (1978 - 1982, 1985 - 1986)

林 俊宏(はやし としひろ、本名:林 俊彦 (はやし としひこ)、1944年4月6日 - )は、愛知県名古屋市中川区柳堀町出身の元プロ野球選手内野手投手)・コーチ

経歴

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中京商ではスリークォーター投法の速球派左腕として鳴らし、同期の木俣達彦とバッテリーを組む。2年次の1961年に、1年上のエース山中巽の控え投手として夏の甲子園に出場。準々決勝に進むが、浪商のエース尾崎行雄らに抑えられ、完封を喫する[1]。この大会では山中をリリーフして全試合に登板し、同年の秋田まごころ国体にも出場。決勝では先発を任され、報徳学園を6-1で降し優勝を飾る。山中以外の1年上のチームメイトに江藤省三相羽欣厚、大森秀男(巨人)がいた。

3年次の1962年にはエースとして甲子園に春夏連続出場。春の選抜は、出雲産岐阜高を連続完封し準決勝に進出したが、日大三高の井上治男(早大日本石油)・豊永邦男両投手の継投を打ち崩せず0-1で9回サヨナラ負け[2]夏の選手権も2完封を記録し、準々決勝でも鹿児島商浜崎正人に投げ勝ったが、準決勝でこの年春夏連覇を果たす作新学院加藤斌に完封を喫した[1]

卒業後の1963年南海ホークスへ入団。2年目の1964年4月から先発として頭角を現してリーグ優勝に貢献し、阪神との日本シリーズでもリリーフとして2試合に登板。3年目の1965年には開幕から10連勝して[3]17勝3敗、勝率.850で最高勝率のタイトルを獲得。巨人との日本シリーズでも2試合に登板し、第4戦では先発し中村稔と投げ合う。8回まで無失点に抑え、9回に2点を許すが6安打完投で自身の日本シリーズ初勝利を飾り、南海の同年シリーズ唯一の白星であった。1966年は序盤でを故障し、1967年も不調が続き2年間を棒に振る。1968年には5月から先発としてカムバックし7勝を挙げるが、その後は調子が上がらず登板機会が減る。

1970年シーズン途中に登録名林 俊宏(はやし としひろ)に変更し、1971年には内野手へ転向。代打を中心に起用されたが、1975年には一塁手として柏原純一と併用され、44試合に先発出場を果たす。1976年には「両打」と登録されていたこともあったが、その後は出場機会が減り、コーチ兼任となった1978年限りで現役を引退。

引退後も南海に残留し、二軍投手コーチ(1979年 - 1982年, 1985年 - 1986年)を務めた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1963 南海 13 3 0 0 0 0 2 -- -- .000 74 16.1 21 1 6 0 1 11 0 0 6 6 3.31 1.65
1964 49 8 2 1 0 3 5 -- -- .375 366 91.0 72 4 30 0 4 89 0 0 29 29 2.87 1.12
1965 33 26 8 4 1 17 3 -- -- .850 760 192.0 136 20 58 2 4 152 0 0 57 48 2.25 1.01
1966 4 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 36 8.2 7 0 2 0 1 6 0 0 2 2 2.08 1.04
1967 6 0 0 0 0 0 1 -- -- .000 46 9.1 14 2 3 0 1 8 0 0 7 6 5.79 1.82
1968 25 19 2 0 0 7 4 -- -- .636 397 98.2 87 17 26 1 5 40 0 2 45 40 3.65 1.15
1969 19 3 0 0 0 2 2 -- -- .500 233 52.2 65 8 11 0 1 23 1 0 36 31 5.30 1.44
1970 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 10 2.0 3 1 1 0 0 1 0 0 3 2 9.00 2.00
通算:8年 150 60 12 5 1 29 17 -- -- .630 1922 470.2 405 53 137 3 17 330 1 2 185 164 3.14 1.15
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績

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O
P
S
1963 南海 13 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1964 49 22 18 2 5 2 0 1 10 2 0 0 1 0 1 0 2 2 0 .278 .381 .556 .937
1965 36 65 59 5 13 3 0 1 19 3 1 0 3 0 2 0 1 14 0 .220 .258 .322 .580
1966 4 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000 .000 .000 .000
1967 6 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1968 27 35 30 3 3 0 0 1 6 1 0 0 3 0 2 0 0 10 0 .100 .156 .200 .356
1969 20 11 11 1 3 0 1 0 5 1 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .273 .273 .455 .727
1970 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1971 33 68 63 10 17 2 0 0 19 8 0 0 1 1 2 0 1 10 0 .270 .299 .302 .600
1972 30 24 20 4 6 0 0 0 6 2 0 0 1 0 3 0 0 4 0 .300 .391 .300 .691
1973 64 57 46 2 7 1 0 1 11 6 0 0 1 2 6 1 2 11 0 .152 .268 .239 .507
1974 73 78 74 5 21 6 0 2 33 8 0 0 0 0 4 2 0 10 1 .284 .321 .446 .766
1975 79 216 196 15 44 8 0 4 64 21 2 1 4 1 14 0 1 38 4 .224 .278 .327 .605
1976 24 45 42 1 4 0 0 0 4 0 0 0 1 0 1 0 1 8 1 .095 .136 .095 .232
1977 38 44 40 1 9 1 0 0 10 2 0 0 0 0 3 0 1 11 1 .225 .295 .250 .545
1978 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:16年 498 670 604 49 132 23 1 10 187 54 3 1 15 4 38 3 9 122 8 .219 .273 .310 .583

タイトル

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表彰

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記録

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背番号

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  • 28 (1963年 - 1978年)
  • 82 (1979年 - 1980年、1986年)
  • 83 (1981年 - 1982年)
  • 74 (1985年)

脚注

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  1. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ “ホークスの歩み(1965年)”. 福岡ソフトバンクホークス. https://www.softbankhawks.co.jp/ocms/pc/team/history/vol09.html 2020年4月5日閲覧。 

関連項目

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