旧台南地方法院
旧台南地方法院 | |
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現地名 繁体字中国語: 原臺南地方法院 英語: Old Tainan District Court | |
旧台南地方法院 | |
所在地 | 台湾台南市中西区府前路一段307号 |
座標 | 北緯22度59分22.8秒 東経120度12分3.7秒 / 北緯22.989667度 東経120.201028度座標: 北緯22度59分22.8秒 東経120度12分3.7秒 / 北緯22.989667度 東経120.201028度 |
建設 | 1912年 |
建築家 | 小野木孝治、森山松之助[1] |
建築様式 | バロック建築(和洋折衷) |
管理者 | 文化部文化資産局 |
旧台南地方法院(きゅうたいなんちほうほういん、繁体字中国語: 原臺南地方法院)は台湾台南市中西区にある国定古蹟の建築物。かつての台湾総督府法院に属していた地方法院の2代目庁舎であり、第二次世界大戦後も2001年まで中華民国司法院の普通法院に分類される台南地方法院の庁舎として使われていた。現在は古蹟登録と修復を経て一般公開されている。
日本統治時代の台湾での三大建築の一つ[註 1]、あるいは台湾での現存最古の法曹系建築物といわれている[2]。
原臺南地方法院 | |
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中華民国 文化資産 | |
日本統治時代の高塔を備えた法院 | |
旧称 | 臺南地方法院 |
種類 | 衙署(官公署) |
等級 | 国定古蹟 |
文化資産登録 公告時期 | 1991年4月19日 |
建設年代 | 大正元年(1912年) |
開放時間 | 9:00~17:00,週一休館 |
ウェブサイト | #外部リンク参照 |
沿革
[編集]1896年5月1日に台湾総督府が公布した「台湾総督府法院条例」により、台湾の司法制度は地方法院、覆審法院、高等法院を置く三級三審制に改訂された[3]。当時の高等法院と覆審法院は台北にしかなく、各県下に支庁としての地方法院を設置することになった。初代法院は清朝統治時代の台湾府城内にあった万寿宮・県文廟一帯(現在の旧法院から府前路を東に直進した東門円環付近の府前路一段21号61巷に地方法院長宿舎があり、その裏の万寿宮跡、開山公園一帯。現在は民家となっている[4]。)に建てられることになった[註 2][5][3]。
1898年7月19日、高等法院を廃した二級二審制が施行されたが、この時点でも地方法院は台北県、台中県、台南県[註 3]の3か所にしかなかった[3]。
1904年3月31日以降台中・台南の各地方法院が一時的に台北の出張所扱いになり、1909年に復活するまでの期間中を除いて3地方法院制が続いた[3]。同時期に台南でも福安坑渓南岸の馬兵営街(後に南門町2丁目)に新庁舎を建設することになった。総督府営繕課の日本人建築家小野木孝治(一説には森山松之助も)が設計し、1912年に2代目となる庁舎が落成した[3]。
1915年に発生した西来庵事件(台湾抗日運動)では同年8月20日に総督府はここに臨時法廷を開設して審理を行った[註 4][3]。
第二次世界大戦後、台南地方法院は中華民国統治下でも継続して使用された。接収後の1945年12月21日に台湾台南地方法院へ改称。1969年、石壁に亀裂が見つかったことで西側の塔は撤去された[3]。1991年4月19日に中華民国内政部は庁舎を国家二級古蹟(現中華民国文化部による分類上の国定古蹟)登録を公告、5月24日に登録された[3]。
2001年4月に司法院は台湾台南地方法院を安平区の台南市第5期市街地再開発区に新築した3代目新庁舎に移転、2代目法院を司法博物館へリニューアルするべく修復事業が進められた[2]。修復が完了し、2016年11月8日より内部を一般公開[6]。
1807年の台湾府城。 上部のマーキングされた箇所は 万寿宮と県文廟所在地で、 後に初代法院が設置された。 |
安平県文廟の初代庁舎からの移転を 記念した絵はがき(1912年) |
台南地方法院の現庁舎 |
建築物
[編集]旧庁舎は府前路に面した北側に東西2ヶ所の出入口がある[7]。東側の主入口は古典的な妻側で8本の門柱により構成されている。柱は同一の土台にL字型で組まれた3本の柱(角は角柱、両隣は円柱)と中間に独立した1本の円が2組配置され[2]、上部では8つの円窓[8]を備えたバロック式の屋根を支えている。内部は3本一体の円柱を四隅に配した12本の主柱で支えられたロビーと、2本の独立した柱が配されたその他の部屋を繋ぐ空間は古典的な門庇を備え、壁面は半円柱の壁柱がある[7][9]。
西側の副入口は比較的小さく、主入口と同様のデザインとなっているが、主入口に施された装飾は無く、妻側は比較的簡素な造りとなっている[2]。 ロビーの上には元は塔があったため、主入口とのバランスが崩れた非対称だったが、1969年に高塔壁面で亀裂が見つかり塔ごと撤去された[7]。
ドーム屋根以外の部分はマンサード屋根が採用され、魚の鱗状に屋根瓦が葺かれ8つの「oeil de boeuf(牛の目を意味する円形の小窓)」がある[7]。主入口と副入口の間にある棟には2つの方形窓の間に1つの半円窓を配し、その硝子戸の枠は隅石処理がなされ、上方中央にはキーストーンが施されている[2]。また半円窓の上方にある庇は瓶状の仮欄干が設けられて、外観に視覚変化を与えている。[2]。
主入口の装飾 | 法院設置前の馬兵営跡碑 | 修復工程の解説図(2015年末) |
修復中の主入口 | 修復後の副入口 | 修復後の全貌 | 歴代の法服の展示 |
旧台南地方法院長宿舎
[編集]2008年に旧地方法院長宿舎内で古文書が発見され、鑑定の結果清朝時代のものと判明している[10]。万寿宮が隣接していることから保存の価値があると判定されたものの、2016年に台南市文化資産管理処により「暫定古蹟」の登録を受けたのみで、正式登録には至っていない[11]。
周辺
[編集]旧法院は民生緑園文化園区に含まれ、孔廟文化園区にも隣接しているため、周辺は古蹟が集中している。
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関連項目
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ [1] 中華民国文化部
- ^ a b c d e f ISBN 957-30880-4-5 遠流台灣館 (2003-02-01). 台南歷史深度旅遊. 台北市: 遠流出版社.
- ^ a b c d e f g h ISBN 957-02-2143-7 范勝雄 (2001-07-01). 府城叢談 (4). 臺南市政府. pp. 76頁.
- ^ 歷時13年 原台南地院整修完成將開放2016-11-04,TVBS
- ^ 〈告示第十七號〉,《臺灣總督府官報》,1897年4月15日
- ^ 築百年の旧台南地裁庁舎、修復終え公開へ 日本統治時代に建造/台湾2016-11-04,フォーカス台湾
- ^ a b c d ISBN 957-30880-4-5 傅朝卿 (2001年11月). 台南市古蹟與歷史建築總覽. 台南市: 台灣建築與文化資產出版社. pp. 227頁.
- ^ ISBN 957-01-6745-9 石萬壽 (2004年3月). 樂君甲子集. 臺南市政府文化局. pp. 223頁.
- ^ 台南.沉溺於台灣司法的魅力-原台南地方法院”. pole.tw (2017年3月24日). 2017年10月14日閲覧。 “
- ^ 市府遺址古物審議委員小組前往台南地方法院院長宿舍勘查文物2008-04-29,中華民国文化部
- ^ 賴神的復仇? 法院院長宿舍暫列古蹟2016-12-13,台灣蘋果日報
外部リンク
[編集]- 國定古蹟臺南地方法院(司法博物館) 臺灣臺南地方法院
- 國定古蹟臺南地方法院 (districtcourt1912) - Facebook
- 台南地方法院 文化部文化資産局国家文化資産網
- 原台南地方法院 台南市政府観光旅遊局