コンテンツにスキップ

後藤義隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後藤 義隆(ごとう よしたか、 1900年9月20日[1] - 1986年1月2日)は、日本政治家実業家衆議院議員(1期)。参議院議員(3期)。弁護士。大豊殖産無尽(現豊和銀行)社長。

経歴

[編集]

大分県宇佐郡安心院村(現宇佐市)出身[1]1922年中央大学専門部卒。大分市で弁護士を開業する。その後大分弁護士会会長、大分市議、同副議長、大分県議を経て、戦後、公職追放となる[2]

1949年に看做無尽として設立された大豊殖産無尽(現豊和銀行)を設立し[1]、同社の初代社長を務めた。

追放解除後の1952年第25回衆議院議員総選挙大分1区から改進党公認で立候補して当選。翌1953年第26回衆議院議員総選挙で落選した。また、同年に大豊殖産無尽は相互銀行に転換し豊和相互銀行になると同時に社長を赤松敏明に譲る。

1956年第4回参議院議員通常選挙大分県から自由民主党公認で立候補して当選、以来3期務めた。この間、参議院自由民主党副幹事長、第1次池田内閣経済企画第1次佐藤改造内閣農林の各政務次官を歴任。1974年に引退した。同年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章[3][4]

1986年1月2日死去、85歳。死没日をもって正四位に叙される[5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』248頁。
  2. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛県庶務部長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、80頁。NDLJP:1276156 
  3. ^ 後藤 義隆」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E5%BE%8C%E8%97%A4%20%E7%BE%A9%E9%9A%86コトバンクより2022年12月30日閲覧 
  4. ^ 『官報』第14357号7頁 昭和49年11月7日号
  5. ^ 『官報』第17676号7-8頁 昭和61年1月16日号

参考文献

[編集]
議会
先代
稲浦鹿蔵
日本の旗 参議院建設委員長
1961年 - 1962年
次代
大河原一次
ビジネス
先代
新設
大豊殖産無尽社長
初代:1949年 -1953年
次代
豊和相互銀行に転換
学職
先代
渋谷健一
中央大学評議員会副議長
1974年 - 1978年
次代
山本清二郎
先代
荻山虎雄
中央大学評議員会議長
1978年 - 1979年
次代
山本清二郎