古川阪次郎
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古川 阪次郎(ふるかわ さかじろう、安政5年11月4日[1](1858年12月8日) - 昭和16年(1941年)3月2日[2])は、日本の鉄道官僚。学位は、工学博士。土木学会第9代会長。錦鶏間祗候[2]。
経歴
[編集]讃岐国塩飽諸島広島 (香川県)(現丸亀市広島町)に山口吉十郎の二男として生まれ、叔父古川庄八(幕府オランダ留学生)の養子となった[1]。1884年(明治17年)、工部大学校を卒業[1]。鉄道局に入り、鉄道作業局八王子出張所所長を務め[1]、笹子トンネルの設計に携わった[3]。日露戦争中は嘱託技師として、東清鉄道南部線の技術運営を担当した[3]。南満州鉄道発足後は鉄道作業局に戻り、鉄道院技師、中部鉄道管理局長、技監、技術部長を歴任した[4]。1913年(大正2年)、鉄道院副総裁に抜擢され[5]、運輸局長も兼ねた[5]。
1917年(大正6年)に退官した後は、金剛山電気鉄道株式会社取締役などを務めた[6]。1918年(大正7年)6月21日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[7]。墓所は港区光林寺。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 北川由之助編『日本之精華』毎日通信社、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 五十嵐栄吉『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。