久我通顕
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久我 通顕(こが みちあき、1903年〈明治36年〉10月23日[1] - 1982年〈昭和57年〉11月10日[2])は、日本の華族。旧公卿家[3]。侯爵[3]。貴族院議員[3]。女優久我美子の父。
経歴
[編集]久我常通の長男として生まれる[3]。1936年(昭和11年)父退隠の後を承け、家督を相続する[3]。國學院大學国文学科卒業[3]。
1943年(昭和18年)内務省委員となり後近代商業美術協会長に就任[4]
戦前、国語の教師をしたこともあったが、ほとんど仕事はしなかった[5]。
人物像
[編集]華族の娘と一緒になるのはいやで、粋筋に通じた下町娘を好んだという[6]。じっさい遊びでも華族ではアカ抜けていたほうで、下情にも通じていた[6]。父常通も通顕も戦前は決まった職業を持たなかった[5]。妻与志江によれば「遊び人の血筋なんでしょうか[5]。お金の使いっぷりは派手だったものです[5]。」という。
宗教は臨済宗[4]。住所は東京都世田谷区[4]。東京都新宿区在籍[4]。
家族・親族
[編集]久我家
[編集]→詳細は「久我美子 § 家族・親族」を参照
- 妹
- 弟
- 1932年(昭和7年)12月生
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.588
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』16頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上コ一一九
- ^ a b c d e f 『第廿一版 人事興信録 上』(昭和36年)く二
- ^ a b c d e 『日本の名家』244頁
- ^ a b 『日本の名家』242頁
- ^ a b 『日本の名家』239頁
- ^ 『人事興信録. 7版』(1925年・大正14年)コ五七
- ^ 『人事興信録. 4版』(1915年・大正4年)コ四一
- ^ 『日本の名家』238頁
- ^ a b 『日本の名家』241頁
- ^ 「人事興信録 10版(昭和9年) 上卷」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「昭和新修華族家系大成 上」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『日本の名家』240頁
参考文献
[編集]- 週刊読売編集部(編)『日本の名家』読売新聞社、1987年、238 - 246頁
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
関連項目
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 久我常通 |
侯爵 久我家第3代 1936年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |