秋田駅

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秋田駅(あきたえき)は、秋田県秋田市を代表するJR東日本秋田支社の駅。この駅は奥羽本線羽越本線の駅である。また、江戸時代に佐竹氏が夢にまで見た駅である。

概要[編集]

この駅はすべての列車が停車する。秋田県のターミナル駅である。また秋田新幹線の始発駅ということでみなさんご存知かもしれないが、秋田新幹線など愛称にすぎず、正式名称は奥羽本線である。このことを知らずに騙された秋田県民が「お、おらの町に新幹線が通った。」などと喜んでいるかもしれないが所詮特急列車の一味であり、盛岡までちんたら走ることになる。

このほか、つがるいなほ号の(いなほ号は一部)始終着駅であるがそれほどの規模の大きさではない。

また、かつては上野行きと大阪行きの寝台特急も運行されており、この駅を通っていたが、あぼーんされてしまった。

特急列車を除くと、701系EV-E801系HB-E300系GV-E400系などの得体の知れない車両が出入りする。

歴史[編集]

江戸時代から明治時代に入るころ、鉄道敷設計画が立てられたようだった。佐竹氏はわれらが秋田にとがんばって誘致したものの、江戸幕府や明治政府に受け入れられず、結局、日本最初の鉄道は、新橋~横浜間に敷設されることになってしまった。

佐竹氏は夢にまで見た鉄道を見ることなくこの世を去ってしまったため、秋田駅には佐竹氏が常に鉄道を見ているといううわさがある。今風でいう、佐竹氏は鉄ヲタである。

しばらくして、この秋田にも鉄道が通ることになった。佐竹氏一族は泣いて喜んだという。

路線の概要[編集]

秋田駅には、3つの路線が出入りしている。また、これらはすべてJR東日本秋田支社が運行しているものである。

奥羽本線[編集]

この路線はJR東日本に冷遇されている福島から、なにもない青森を結ぶ路線である。秋田新幹線が秋田~大曲間で運行されている。

決して多彩な車両が走っているとは言えず、大変つまらない路線でもある。秋田周辺は701系が奥羽本線を支配していて、追分までのちょっとした区間を男鹿線直通の似非電車が申し訳なさそうに走っていく。

この701系は都会にいながら田舎の通勤電車を体験できるとあって、都会物から大変好評であるが、旅人からは白い目で見られている。

特急列車も走っているが、それは後ほど述べる。

羽越本線[編集]

この路線は新津から秋田を結ぶ路線である。一応、白新線乗り入れの特急が走っているものの、メインは酒田からで、秋田~酒田間は701系に乗ってろといわんばかりの秋田支社の対応を読み取ることができる。

奥羽本線直通の列車は朝・夕の通勤・通学時間帯のみ運行されているものの、短区間でしか運行されていない。

また、この羽越本線はよく強風の影響でとかで遅延発生しまくりだが、実は秋田支社としては列車を運行したくないだけなのかもしれない。

吹雪の日や強風の日はこの線だけ運休、運転見合わせになる。

また、特急列車に関しては後ほど述べる。

男鹿線[編集]

始点は追分だが、全列車秋田始発なのでここで述べる。

男鹿線は追分~男鹿を結ぶ路線なのだが、なぜか全列車奥羽本線に乗り入れ秋田までやってくる。基本的にイベント列車などないが、距離が中途半端な上に特に目立ったものも無いので運行されないだけなのかもしれない。

ほとんど1時間ヘッドでの運行だが、冬場はよく、「雪のため~」などとアナウンスされ、エクストリーム・謝罪が実行されるものの、低得点のため、ランクインすることはない。しかし、くそ寒い中ホームで待たされた乗客の怒りは相当のものである。そんな中、目の前では奥羽本線の普通列車が発車していくのだ。

数年ほど前、雪のため運行できず、2~3日終日運休となったが、実は男鹿線の赤字を減らすための苦肉の策だったのかもしれない。

非電化なので気動車が運行されてきたが、沿線住民から走行音がうるさいとクレームが多発していた。そのため蓄電池電車のモデル線区として選定され、ハイブリッド気動車など差し置いてEV-E801系という新型走ルンですの天下となった。

特急列車[編集]

かもしか
秋田~青森間をかつて結んでいた特急。国鉄車両をそのまま使っていたオンボロ特急。座席は通称バッタンコシートであり、今の特急車両に導入されている、人間工学だとかは無関係なのである。
また、このこともあってか、車両のボロさや見た目、快適さなどを考えると、同区間を走るリゾートしらかみのほうがいいのだ。
ただ、リゾートしらかみもオンボロ車両を改造しただけなので、いつかボロが出ると考えられる。そしてついに、1往復のみであるがハイブリッド気動車投入。
秋田新幹線から乗り継ぐ客としては、さきほどまで快適だったにもかかわらず、急にグレードの落ちた車両に乗せられることになる。乗客は秋田新幹線のちんたら走行にいらいらしているにも関わらず、このような車両に乗せられることになり、ぶつぶつ言い始める。
しかし、なにを言っても始まらないのが世の中である。と、ぶつぶつ言っていたら、それは2010年暮れに終わった。
つがる
かもしかとつがるといなほ(秋田以北)とを足して3で割って登場した特急?列車。白と赤のナウ(死語)な車両が使われている。秋田からそして新青森からこれに乗り継いで!というのだから、「かもしか」の頃と大して変わりはない。
いなほ号
秋田・酒田~新潟を結ぶ特急。常磐線を追い出されたフレッシュな奴らが使われている。全車が同じ色にされてしまい没個性的になった…と思ってたら最近色違いの仲間が出てきた。しかしまさかの単色塗りであり、この会社をリスペクトしたのではないかと言われている
こまち号
言わずと知れた、秋田新幹線である。この秋田新幹線は、盛岡から疾風号と連結し、東京に向かう。
しかし、盛岡までの区間。秋田新幹線はあくまで在来線であり、特急であるのだ。
そのため、速度を落としての運行となっている。もし、トンネル内で200km/hも出したら、奥羽山脈に特攻することになる。
また、雪の中に特攻して、閉じ込められ、数日間動けなくなったことがあった。この際もエクストリーム・謝罪は行われたのかは不明である。

こまちSEAT論争[編集]

これは、秋田新幹線開業にの際に起きたものである。こまち号は秋田駅の次の大曲駅で進行方向を変えることになるが、始発駅の秋田駅での時点で座席の向きをどうするかなどという大変くだらない内容での論争が起きた。

JR東日本秋田支社と盛岡支社での論争だったが、これには地元住民も参加し、大規模な戦闘に突入するかと思われた。

この論争が起きたのは、開業まであと1ヶ月を切った段階で起きたため、本社側としてはあまり大きな事態にはしたくなかった。しかし、秋田支社と盛岡支社は真っ向から対立し、地元の意見を聞くように仕向けた。

地元住民のうち、盛岡~角館間の住民は秋田駅の時点で座席の向きは進行方向とは反対に、秋田・大曲の住民は進行方向と同じ向きを支持した。

通常ならここで、秋田支社が一歩引くべきところだが、議論はディベートの全国大会に持ち越された。

このため、世界各国から「世界一バカバカしい新幹線」として、ある意味好評だった。もっとも、秋田新幹線は厳密な「SHINKANSEN」ではないので、世界各国の各テレビ局に秋田支社は謝罪を求めたが、これが逆効果となり、秋田支社の立場はどんどん狭くなった。

そんな中ディベートは2000時間に及ぶ、大論争になったが、脱水症状を起こし、死者が出たため中止となった。

ついに本社は痺れを切らし、盛岡側についたため、この論争は終了した。開業まであと残り30分だった。

秋田支社はこまちの第1便が到着したときに、秋田支社長の敗戦のアナウンスが流れた。

食事情[編集]

旅人にとって、一番大切なのは食料である。とくに駅そばと呼ばれるものが人気であるが、これは秋田新幹線のホームに行かなければならないという問題がある。

このホームに向かうには、入場券が必要であり入場券を払ってまで食べるべきかと言われて悩むこともある。

東京方面に向かう客の大半は、大館駅の鳥めしなどに洗脳されており、ほとんどここでは食べない。

また、高校生などはこんな所では食べず、ステーションデパートで食事を済ますことが多い。