昔は良かった
昔は良かった。最近の若いアンサイクロペディアンは風刺の何たるかをまったくわかっとらん。
〜 アンサイクロペディア について、ついていけない人
昔は大事なところ隠してくれたのに。
〜 昔は良かった について、ヘアヌードになったことのある人
昔は良かった(むかしはよかった)とは、新しい世代の価値観や文化の急激な変化に対して、それを目の当たりにしてきた人たちが、文明や文化の進歩がいかに悪いことであるかを諭す時に使う言葉である。穏やかな傾向の場合は懐古主義(かいこしゅぎ)とも呼ばれるが、大抵は思考停止した懐古厨でしかない。
特色[編集]
「昔は良かった」と言っている連中も、その前の世代の人には「昔は良かった」と言われているので、つまり世の中というものは昔ほど良い、逆に言うとこの言葉は時代が下るほど悪くなっていっていることを証明している。
しかしながらこれは延々と続くものであり、それを繰り返していくと、いずれビッグバンまでたどり着ける。結論をいうと宇宙も時間も空間も無かった頃が良かったということである。なお、この時代にたどり着くと時間も消滅するために「昔」が存在しなくなるので万事解決である。つまり、昔は良かったということになる。逆に言うとビッグクランチの頃が最悪の時代なのである。未来はお先真っ暗なのだ。その時代に比べれば現在は幾分とマシなのだろうから、我慢しなさい。その頃から考えると今も昔である。すなわち、昔は良かったのである。
原因[編集]
「昔は良かった」と言う人間が発生する原因には既に評価の定まった権威を用いて自分を見る目のある、出来の良い人間であると見せようとする意志が関係しているとされる。そのため、インターネットの普及と共に情報が溢れるようになった現代においては知識に関する競争が激しく、若年層ですら懐古厨に陥ってしまうというケースが頻発してしまっている。
ただし、基本的には老化に伴う症状であることに代わりはないため、30代以降の中年が主な層であると言える。なお、老人・年寄りと言われる程の年齢層の場合、懐古厨ではなく老害と呼ばれることが多い。ゆえに、昔は良かったということになる。
懐古厨の特徴[編集]
ゲーム関係の界隈ではこのような特徴に当てはまると懐古主義に陥っているとして懐古厨に認定される。単語を変えればその他の分野にも広く流用可能なテンプレートとして重宝されている。
- グラフィック
- 次世代機のスペックやグラフィック賛美を聞くと脊髄反射的に「ゲームの本質は~~」みたいな感じの独りよがりな理論を暑苦しく語りだす。つまり「グラフィックが凄い→ゲーム性が低い」という短絡思考しかできないのだ。頭が硬直しているので、絶対に3Dの良さを認めない。2Dでもやや解像度の低い物でないとNGだが、低すぎてもまたNG、やや低い範囲でその内で最高峰がベストという面倒臭さである。次世代機の新作ゲームを「最近のゲームにしてはグラが粗い」と酷評し、昔のゲームには「美しいドット」と評価する。
- 想像力
- やたらと「想像する楽しみ」を強調し、今のゲームは想像の余地が無くなったと触れ回る。しかし実際に無くなったのは想像の余地ではなく自分の想像力であることには全く気付いていない。ムービーが始まるとスタートボタン連打。飛ばせなくても連打、しかし全く同じ時間でもドット絵のデモなら喜んで観賞する。ストーリーがウリのゲームで会話シーンをボタン連打で飛ばすという、どんな料理が出てきてもとりあえず何でもかんでもソースや醤油をドバドバかけて食べるような事を平気でする。何の根拠もなく「ゲームに声はいらない」などと言う。しかし自分の好きな声優が出ていると認めてしまう。
- 難易度
- 攻略本やネットを駆使してクリアして「最近のゲームは簡単すぎる」などと言う。その一方でドラクエ2のブリザードのザラキやFF3のラストダンジョンのような明らかな「理不尽」でしかないものを「手ごたえがあってよかった」と豪語する。「最近はストイックなゲームがない」「最近のゲームはヌルい」と批判するわりに、いざ高難易度のゲームが出ると「不親切」「時代錯誤」「理不尽な糞ゲー」と否定する。(例:PSP「極魔界村」)昔の低難易度は「親切設計」しかし現代のでは「ゆとり仕様」という矛盾を平気で口にする。
- 新規アクション
- ロックマンのスライディングなど、後になって追加された新規アクションに対してはたとえそれがとっさに出せるくらい使いこなせないとクリアが出来ないようになっていてもお構いなしで、そのアクションが存在しない状態でバランスが調整されているシリーズ初期の作品で使えたら楽にクリア出来てしまうことを想像し「ゆとり仕様」と批判する。
- メーカー、製作者に対して
- 明らかに読み込み時間が遅くないゲームで読み込みが長いと文句を言う。自分たちのニーズがとっくにメーカーに切り捨てられたということを認めようとしない。「製作者のオナニー」という表現が大好き。最近活躍しているクリエイターは扱き下ろし、逆に昔から活躍している古参のクリエイターは絶賛する。
- プレイ
- 自分ではゲームの知識があると思っているが、実際それほどプレイしてはいない。スクウェアやエニックスの有名タイトルや、マリオシリーズやドラゴンクエストシリーズなど、そのジャンルの入門的なゲームをクリアしただけで全てを悟ったかのように振る舞う。「フィールドのないRPGは糞」とか、明らかに食わず嫌いでしかない発言をする。
- ストーリーに対する評価
- 基本的に王道が好きだが、最近のゲームが王道路線だと「また勇者の血筋か」「新鮮さが無い」「中二病臭い」「プレイヤー置いてけぼり」と批判する。しかし昔のゲームだと「熱い展開だよな」「このベタさ加減がたまらない」「分かりやすくて良い」と賞賛する。ちなみに、キャラ同士の恋愛要素も2Dと3Dでは大きく評価が変わる。3Dの場合、主人公とヒロインの恋愛イベントでは烈火の如く怒りだす。(※現実に何か嫌なことがあったのだろうか)
- 昔のゲームについて
- 今のゲームはオタクに媚びていると叫び回るが、昔は昔で当時のオタクに媚びている事実はスルーする。有名ゲームしか知らないわりに、最近のゲームはつまらなくなったと言う。そもそも自分から面白いゲームを探そうともしていない。昔のゲームの良さが説明できない。「ゲームバランスが」「世界観が」等の誤魔化しが得意、また未発達なシステム面も「味」などと言ってのける。単に本人がゲームへの情熱を失っているだけなのに、それを認められず最新ゲーム批判へと転嫁する。
- キャラゲーについて
- ゲームである以上、原作よりストーリーが濃くなる状況はありえないに関わらずイベントの削除、原作の相違点を厳しく指摘する。それぞれのジャンルの代表作と比較し、「やはり最近のキャラゲーは駄目だ」と意味不明な結論に至る。そもそもFCやSFC時代のキャラゲーは、ボイスやグラフィックは無論、世界観すら原作を無視した作品が多いという事実は見て見ぬふりをする。(またはその事実すら知らない)
- 洋ゲーについて
- そもそも3Dゲームに否定的なのでプレイしようとも思わない。「キャラが濃い」と言う理由で断固拒否。ただし懐古厨の権威主義的な側面と現代の"日本製"ゲームを否定するという目的が噛み合った場合は逆に利用する形で過剰に褒め称えるようになることが多い。この場合海外厨の一種である洋ゲー厨に分類されるが懐古厨と同時に発祥している場合が近年大量増加している。
- ギャルゲーについて
- このジャンル自体殆ど2Dなので、例えば「ときメモは3でポリゴンになってときめかなくなった」という意見をめぐってゆとりだの懐古厨だのと論争になることはないが、自分が中~高校生時代にセガサターンで発売されまくっていたX指定(現在のCEROでいうところのZ区分にあたる)ソフトをやりまくっていた過去を棚にあげ、家庭用ゲーム機でエロいものが発売されようものなら根拠もないのに「今のガキはこんなのやってるのか」と言ったりする。また、最新ゲームにそれらしい表現があると「ギャルゲー臭い」と批判する。
- バグ
- 最近のゲームでは非難の対象になるが、昔のゲームではそれすらも遊び心として評価する。FC、SFC版ドラクエ3~5は、データが消えることが多いソフトとされるが、「消えた時のBGM(呪いのBGM)はマジ怖いよな」とネタにすることで難を回避している。
- レビュー
- 新旧ともに具体的な内容の意見を言えず、昔のゲームでは聞いてもいない子供時代の思い出を語り「この時代のゲームは良かった」と感慨に耽る。新しいゲームでは単なるメーカー批判と「もうこのシリーズは買いません」の言葉で締めくくる。
- フォロー
- いわゆる「出来る懐古厨」であり、人の集まる有名タイトルの掲示板などで、躍起になって場荒らし的になっている懐古厨を見つけると「あいつは懐古厨ではなく、荒らしだ」と不可解な意見を述べる。対象の懐古厨もよほどアレな人物じゃない限り空気を読み、これに準じる。良くも悪くも一時は沈静化するが現行のファンにしてみれば懐古厨も荒らしも似たようなものなので迷惑この上ない。むしろ懐古厨の所業を「無かった事」にする分、余計に達が悪い。
- 信条、思考
- 「昔からゲームをやっている人はみんな今のゲームは糞だと思っている」と本気で信じている。「自分に良さがわからなかったゲームは糞」という偏狭な思考。エミュ台に一人でかじりついているだけならいざ知らず、布教活動に奔る。そしてシリーズ最新作のサイトやスレッドに現れては「俺の中の歴代○○シリーズランキング(当然、過去作上位)」を語りだす。過去のゲームをやたら美化してるわりに、内容はロクに覚えておらず、キャラの名前すら間違えて書き込むのは日常茶飯事。それでいて再びプレイしようとは思わない。評価の高いゲームで、自分一人の批判ではままならない場合、「まぁこのゲームもそこそこ面白いよな。○○には敵わないけど」と負け惜しみつつ宣伝する。ワクワク感、脳汁という表現が好き。
- 思い入れ
- 彼らの中ではレトロゲームこそが最高の物であるにも関わらず、その思い出のゲームは押入れの中で埃を被っている。またはどこに行ったかわからない。「そんなのエミュでやればいいだろ」とプライドの欠片もない。ぶっちゃけ、彼らは最近のゲームを叩くことこそに興味があるので然したる問題ではない。ところで、ゲーム性という言葉を多用するわりにその基準は主観的でゲーム性とは何かと具体的に語ることが出来ない。そもそも「ゲーム性」という言葉自体の定義が曖昧すぎるので無理して語っても矛盾だらけなのだが、それでも彼らは粘って叩く。
以上の点を総合すると、昔は良かったのである。
余談[編集]
「昔」という漢字は「十、十、一、日」の四つに分解できる。このことから、少なくとも二十一日は経過していなければ昔とは呼べないことがわかる。とはいうものの、昔は良かったのである。
「昔は良かった」と口にする人ほど過去に上の世代からそう言われた傾向があり、悪口や他人を批判する人間ほど同じことをされているという前例となっている。そして現在ゆとりと言われ、言った相手にカイコカイコとガブガブ噛み付いている者も時がくれば自分よりもさらに若い世代に同じことをすることになる。例として上げるとロックマンはエグゼしか認めないとか言って流星叩いてるお前だよお前。こうして、歴史は繰り返されていくのである。
とは言え、前作や、それに近い年代の続編とで比較するのは自然な流れでもあるので(むしろ前作経験者で比較せずにレビューする方が稀)いくら批判的な内容があるからといって懐古厨認定するのは危険である。
昔は良かった[編集]
ようは、現実逃避。 つまり実際のところ、昔は良かったのだ。今の自分が不幸であるために。
関連項目[編集]
- 類似概念
- 若者の○○離れ - 問題の責任を若者に擦り付けるときに使う表現。この「○○」の中には、もはや世の中に存在するもの全てが入ると言っても過言ではない。
- 近頃の若い者は - 古代エジプトから使われる表現
- 過去 (フィクション) - 美化され、フィクションで凝り固められた過去を指す(例:昭和30年代)
- 団塊世代 - 「昔は良かった」「最近の…」をもっとも使うとされる年代
- 厨房 - 「流行り物を否定する俺カコイイぜ」と、ちょっと背伸びしたいお年頃
- 姑
- 戻りたい症
- 老害
- 「昔は良かった」とされる作品等
- 犬夜叉(アニメ)
- ウィザードリィ
- ウルトラマン
- ALWAYS 三丁目の夕日
- 仮面ライダー
- 機動戦士ガンダム
- クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲
- 幻想水滸伝
- ザ・キング・オブ・ファイターズ
- サザエさん
- 三国志
- 週刊少年ジャンプ
- 真・女神転生
- スーパー戦隊
- スーパーマリオブラザーズ
- スーパーロボット大戦
- ストリートファイター
- 聖闘士星矢
- ゼルダの伝説
- ソニック・ザ・ヘッジホッグ
- テイルズ オブ シリーズ
- デジモン
- デュエルマスターズ
- ドラえもん
- ドラゴンクエスト
- ドラゴンボール
- ニコニコ動画
- 20世紀少年(特に「ともだち」の行動)
- 信長の野望
- パロディウス
- ファイアーエムブレム
- ファイナルファンタジー
- ぷよぷよ
- プリキュア
- ポケットモンスター
- 昔のアンサイクロペディア
- 名探偵コナン
- メトロイド
- 遊☆戯☆王
- 妖怪ウォッチ
- レトロゲーム
- ローマ帝国(中世ヨーロッパにおける普遍的な価値観である。まあ神聖ローマ帝国もあんなだし)
- ロックマン
- ロマンシング サ・ガ
- ワイルドアームズ
- 真っ向から否定する人物
私のおじいさんがくれた初めての「昔は良かった」。それはヴェルタース オリジナルで、私は4歳でした。その記事は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしい昔は良かったをもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じました。今では私がおじいさん。孫にあげるのはもちろん昔は良かった。なぜなら、彼もまた特別な存在だからです。 (Portal:スタブ)