巨人のドシン
巨人のドシン(きょじん-)は、飯田和敏が開発し、任天堂が発売した64DD用ゲーム。
後にニンテンドーゲームキューブでも発売された。ジャンルは「なじられゲーム南国風」であり、64DD版で登場した続編とあわせて任天堂初となる「マゾゲー」として知られる。主演は緒川たまき(天の声役)。ここでは64DD版(正式なタイトルは『巨人のドシン1』)を中心に、続編である『巨人のドシン解放戦線チビッコチッコ大集合』についても解説する。
表の目的[編集]
プレイヤーは巨人を操作し、南国のバルド島の住民達の為に土地を平らにしたり、木や住民を適切な場所に運んだりして集落を成長させ、繁栄の証となるモニュメントを建設させる。すべてのモニュメントを建設させるのが目的であるが、必ずしもプレイヤーはそれに向けた行動をとる必要はなく、自由に島を散策したり、建物を破壊したり、人を踏み潰したり、海底で昼寝したり、それらの様子を写真に記録したりできる。
キャラクター[編集]
ドシン[編集]
プレイヤーが操作する黄色または赤色をした巨人。最初は意外に小さい(住民の3倍程度の身長)バルド島の住民のご機嫌をとったり損ねたりして、愛や憎しみを搾取することでさらに巨大化する。巨大化することで、大きな建物を持ち上げられるようになったり、地形変化をダイナミックにおこなうことができたりする反面、誤って住民を踏み潰してしまったりもできてしまう。プレイヤーの気分次第で黄色(ラブ)と赤色(ヘイト)の2種類に切り替えることができる。
- ドシン(ラブ)
- 黄色い巨人で、住民達からは総じて歓迎される。物や住民を持ち上げることができ、拉致した上で海に投げ捨てる悪戯が絶えない。
- ドシン(ヘイト)
- 赤い巨人で、住民からは嫌われている。手から衝撃波を出すことができ、集落から木を奪う敵を退治する善行で印象アップを目指している。
真の目的[編集]
『度』はわかる。『度』は単位だ。
ワシがひっかっかっているのは『自由』というきわめて抽象的で定量化しにくいことがらに、なぜ、いとも簡単に単位をつけてしまうのか? ということじゃ
〜 自由度 について、バルド島の語り部、ソドル
上記内容が説明書に掲載されている表向きの目的であるが、このゲームが真に持つ目的は、ディレクターである飯田氏の「ゲームとは単純作業の集合体である」という思想のもと、ゲームをするプレイヤーに過酷な単純作業を率先して行わせる、というものであった。いわゆる「マゾプレイ」に対する抵抗をなくし、「マゾプレイヤー」の増加を狙ったといえる。
飯田氏は、本来ゲームが持ち合わせていた「ゲームの単純作業的な面」が、90年代後半になってからクリエーター側から忌避されるようになってきたことに疑問を持ち、『アクアノートの休日』『太陽のしっぽ』に続くこの作品を製作した。これらの作品には共通して70年代のゲーム黎明期におけるゲーム表現が見られる[1]。
こうした制作者側に対する反乱と同時に、当時の固定されたストーリーと「寄り道要素」と言う名の見せかけだけの自由度に毒されたプレイヤーに対する挑戦の意味を含め、『ドシン』では「束縛される自由」を、続く『チビッコ』では「束縛される喜び」を喚起させることをテーマとしている。
「天の声」緒川たまきの起用[編集]
こうしたテーマのもと、飯田氏のメッセージを伝える役目として起用されたのが、「トリビアの泉のガセビアのコーナーで『うそつき…』と言っていた人」こと緒川たまきである。彼女のヴォイスでプレイヤーの一挙手一投足をなじられた時には…、僕は、もう……
緒川たまきの例[編集]
少し取り乱しつつも続けると、緒川たまきはドシンの行動についてコメントする。その中には幾分性的なモノを喚起させる表現もあり、単純作業を性的な快感と同一視させるという意図も含まれている。なお、ラブ巨人の場合は優しい口調、ヘイト巨人の場合は厳しい口調で語られる(どちらもセリフは同じ)。玄人は勿論ヘイト巨人一択である。
- ちょっと、大きくなったね
- いっぱいいっぱい、大きくなったね
- うわぁ、大きいなぁ
- ドシンが巨大化した時に言われる。勿論、露骨に性的な意味が表現されているのは言うまでもない。
- あっ、危ない!
- 転ばなかったね、えらい、えらい
- あーあ、やっちゃった……
- ドシンがつまづいた時に言われる。勿論、何が危ないのかはお察し下さい。転ぶ、という表現も何かを何かするということである(性的な意味で)。
- いっぱい、歩いてるね。
- 散策など、ドシンが一定歩数歩き続けている時に言われる。これも、動かしているのは足ではなく検閲により削除。
チビッコチッコ大集合[編集]
続編である巨人のドシン解放戦線チビッコチッコ大集合は、『巨人のドシン』と共にプレイするという通称「2分の1ディスク」というシステムが採用された。『チビッコ』では『ドシン』で暗喩されていた束縛・強制プレイの側面、性的な面を全編に押し出し、敵対する側として「コンパニオン」を名乗るどうみても女王様なおねーさんがワンサカ登場したり[本当]、その女王様が「『ドシン』で1000回ジャンプしろ」とかムチャクチャなマゾプレイを強要したり[本当]、その際にディスクを「ダシ・イレ」させられたり(公式に使われた表現)[本当]、そもそもタイトルの「チッコ」って聖水のことみたいだし、戦闘ではそれを掛け合うってどんな戦いだよっ![本当]
……という、露骨な内容であった。定価は税込み3333円[本当]。ちなみに、ネット通信販売のみだった[本当]ため、本記事の執筆者は親に頼む勇気がなく入手できなかった……
作品への評価とその後[編集]
再び冷静になり、高尚な目的を持ち合わせたこのゲームが与えた影響を考えると、実際のところは発売したハードの圧倒的な普及のしなささのために、「ゲームの自由度への反乱」に成功したとは言い難い。
しかしながらゲームクリエーターに与えた影響は大きく、「自由と束縛」というテーマは「リスクとリターン」の関係性を展開する桜井政博氏にも衝撃を与えた。
脚注[編集]
- ^ 「ドシン」ではデータ読み込み時に右上にアスタリスクを点滅させたり、電子音による葬送行進曲(ゲームで初めてBGMが用いられた際の曲)が採用されたりといった表現が存在する。
関連項目[編集]
このゲーム「巨人のドシン」には、致命的なバグ・不具合が含まれています。このままでは発売できませんし、仮に発売しても非難の嵐となるでしょう。発売を延期してでもデバッグに参加して下さる開発者を求めています。 (Portal:スタブ)