外人
外人(がいじん)ないし外国人(がいこくじん)とは、巨大多民族国家である「外民主主義人民共和国連邦政府(略称、外連邦)」の国籍を持つ人の総称である。正確には外人・外国人と表記すべきものだが、「ガイジン」とのカタカナ表記もしばしば見られる。
外人の呼称の歴史[編集]
外連邦という存在が日本人に認識されるようになったのは20世紀に入ってからである。それ以前、古くは「南蛮人」「紅毛人」、明治時代の初期には「異人」「支那人(中国人])」「朝鮮人」といった呼称が一般的であったが、これは外連邦への知識が無かったためである。「外」は古代朝鮮の伽耶(かや)の国の訛であるという説もある。
- 余談だが、南蛮人という言葉は一部を除いてほぼ消滅し、紅毛人は戦時中までに「毛唐」という差別用語に変化した。支那人は戦後すぐ、朝鮮人は昭和中期までに差別用語としての扱いを受け、正式には使用されなくなっているが、それ以前は差別的意味のない中立的な単語であった。
言うまでもないが、日本を訪れる外国人には外連邦出身ではない者も多い。しかし、多くの日本人は、外連邦への印象が強すぎるため、白人や黒人、一部の黄色人種(日本人と民族的に相違が大きい黄色人種)を見ると全て外国民であると考えるようになった。
外国の姿[編集]
詳しくは外民主主義人民共和国連邦政府を参照
外連邦は巨大な他民族国家であるが、下記のような特徴を持つ。
- 公用語は英語である。このため、外人を見れば、とりあえず英語で話しかけておけば無難である。ただし英語を母語としない外人もたくさんいるため、注意は必要である。
- 多民族国家である。あらゆる種類の白人、黒人を含むが、黄色人種は少なく、特に極東地域(日本、韓国、中国など)の民族は少ない。
- 日本語が苦手である。これは外連邦の人々の身体的特徴に由来する。彼らの舌の構造は日本語を発音することに向いていないのである。この理由により、外人と話すときは、日本人側が英語を使うことが多い。ただし、稀に日本語を日本人と同じように流暢に喋る外人もいるので油断ならない。
- 他国への理解が苦手である。思想的なものであると考えられているが、外人は総じて日本を含めた他国への理解が薄い。そのため、日本の風土風習に一致しない行動をとることが多く、日本人が外人とのコミュニケーションをとる上での障害になっているのは確かである。
- 多くの国と国交が無く、嫌われている。一国主義的な行動が嫌われているとの説もある。しかし、日本と外連邦との交流は盛んで、海外旅行をする外国民の大半が日本を訪れている。このため、日本国内では「外人」という呼称に
特に差別的意味は無いが、日本以外の国では外連邦出身であることは少なからず差別の対象となる。
外国人の多くが自分を外国民と混同されることを嫌っているので注意が必要である。わかりやすい例えをすれば、海外旅行中の日本人が Chineese や Korean と呼ばれれば(それらの国を蔑視していなくとも)気分を害するのと似たような感覚である。ましてや、国交が無く嫌われている国の出身者と混同されることは苦痛であろう。
日本人にとっては、異国を示す「外国」と「外(国)」の表記が同じであることも手伝い、「日本以外の国」と言えば真っ先に外連邦を思い浮かべるが、気軽に「外人」の言葉を使うことは、欧米人が日本も中国も韓国も区別がつかないのと同様、欧米人側から見れば避けるべき風習となる。
外連邦の自動車産業[編集]
多くの国は外連邦との国交を持たないが、日本とは様々な物流がある。特に自動車の輸入が多く、外製の車が外国製の車の代名詞である(外国製の車をすぐに「外車」と呼ぶ)ところに、日本と外連邦の自動車産業のつながりの深さが垣間見える。
外連邦の自動車産業は幅が広く、高い技術力を持っており、欧米製の車のほとんどは外連邦の技術を流用しているとまで言われる。実際に、外連邦製の次に普及しているドイツ車であっても、外車と区別がつかないことがある。これがますます、外国製の自動車をまとめて「外車」と呼んでしまう一因となっている。
通常であれば、自国の自動車を他国製と混同されることは嫌われるはずであるが、不思議なことに、自動車に関しては外製と混同されることは嫌われていない。これは外連邦の自動車技術が高いためであろう。より優れた自動車と混同されることを敢えて放置することで、売り上げ増を狙っているとも噂されているが、これは公式には否定されている。とは言え、中国において日本製のバイクとよく似た(というか明らかにパクった)商品を販売し、日本製と混同させることで売り上げを増やした例と似ているのも事実である。
文化[編集]
外文化はその成熟度の高さから世界的にも常に注目を集める存在である。当然日本国内にも外文化は深く浸透している。しかしながら、外文化は異文化と本質的に相容れない性質を持っている。これは前述の異文化に対する排他的な民族性に裏付けられるものであると考えられている。
そのため、文化圏外の人間が外文化を取り入れようとする場合、どうしても表面的な部分に注意が行きがちである。例えばそれは言語(の発音)、容姿、仕草の模倣等といった部分で、それらは外文化に触れていることにはなれど本質的な理解へとは繋がらないアプローチの方法である。外文化を本質から理解するには多くの社会的、人間的犠牲が伴うとされており、今のところこれを試みる者は極少数である。この様に、理解にはかなりの困難が付きまとう外文化であるが、それでも尚他文化圏からの羨望を集めているという事実は、如何に外文化が魅力的なものであるかを物語っていると言える。以下では日本文化と外文化の接触によって発生した『外来文化』の例を挙げる。
- ガイル(る)
これは元来、外文化を模倣することを示した「外る」という動詞であった。現在では死語になってしまっているが、示す言葉は変れどこれに該当する行動は現代日本人にも根強く受け継がれている。『ガイル(る)』は現在は専ら名詞として用いられてい、外文化への憧れの余りファッションや挙動、果ては生活習慣までもを外人に合わせようとする者を指して使う。具体的に説明すると、
- 強力な整髪料によって髪を逆立てる(高さの目安は顔長×1.5倍)ただしこれは、外人そのもというよりも、外人=派手という認識や、モンゴロイドの扁平で地味な顔つきをフォローするために行っているとする向きもある。
- 染色または脱色によって頭髪の色を変える(もっともポピュラーなのはブロンドやブラウン)
- 外国語(主に英語)を日本語の中に混ぜて使う(例:リスペクトする、チョイスする、ガッツ石松など)
などが典型的なガイルの特徴である。当然ながらこれ以外にも更に奇抜なファッションをする者も存在する。また、筋金入りになると、
- やたらと迷彩色のファッションを着る。タンクトップを好む。
- やたらとドッグタグを首に掛けたがる。
- やたらと宙返り(ムーンサルト)をしたがる。
- やたらと納豆を嫌う。
といった特徴が共通して見られるようになることから、精神科医の中には一種の精神疾患であるとする向きもある。最近では自虐ネタの一つとして、「俺ガイル(が居る)」という言い回しが広く普及している。
余談[編集]
- 外連邦はアメリカ合衆国と似ているが、全く別の国であるので注意が必要である。
- 外連邦は混血児にも国籍を与えることが多く、特に片親が外出身の白人の場合、混血児も「外人」と呼ばれることが多い。これはしばしばいじめの理由になるため、子供達の「外人」という言葉には注意が必要である。
- 外人は一般的に使用される言葉だが、基地に一歩入っただけで、もしくはおみくじで吉を引いただけで、問答無用で差別的とみなされる。