国境
国境(こっきょう)とは、各国が定めている境界であり、無断侵入を許さないラインであるが、実際はあらゆる物が通り抜け可能なものである。
概要[編集]
世界の基本単位、国。その成立には国民と政府、外交能力が必要だ。また、それに加えて求められるのが「国境」である。国境はその国の国土を画定させるものであり、国同士の区別をつけるため、あるいは国民国家の意識を持たせるために不可欠である。そのため国境は「無断侵入を許さないライン」として各国が莫大な防衛費をかけて死守している。が、しかし、国境なんぞ所詮人間が作った境界線であって、地理学的にはないにも等しいもの。あらゆるものが自由気ままに国境を出入りしており、国と国との境目をぼやけさせている。
国境を貫通する物[編集]
音・光[編集]
音や光は国境を貫通する。隣国の花火大会を見る事も、隣国で行われている音楽ライブに耳をそばたてる事も理論上は可能なのである。つまり、国境は防音室や遮光カーテンよりも境界としての能力が低いと言える。
空気・水[編集]
空気や水も国境を貫通する。空気も水も実体を伴う物質である以上、しっかりと区切れば幾らでも防ぎようのあるものであるのだが、実際は隣国からのそよ風を楽しむ事も、隣国からの河川の水を飲む事も可能なのである。つまり、国境は風船のゴムや耐水ペーパーよりも境界としての能力が低いと言える。
動物[編集]
動物も国境を貫通する。陸上動物の群れが堂々と国境をまたぐこともざらであるし、鳥に至っては一年で何か国も巡ったりする。つまり、国境は動物園のゲージや羊牧場の木の柵よりも境界としての能力が低いと言える。
人[編集]
人も国境を貫通する。全世界の国際移民の数は2億7200万人、国際観光客数は14億人であり、毎年大量の人間が国境をまたいでいる状況だ。つまり、国境は立ち入り禁止の看板よりも境界としての能力が低いと言える。
物[編集]
物も国境を貫通する。一年あたりで、金額にして21兆7534億ドルにもなる莫大な量の物が国と国の間を運ばれている。つまり、国境は自給自足を営む山奥の一軒家の敷地の線よりも境界としての能力が低いと言える。
医師[編集]
医師も国境を貫通する。「国境なき医師団」というあからさまな名前で活動している彼らは何十か国もの国境を跨いでは医療行為を行っている。つまり、国境は「病院に行ってはならない」という教えの宗教団体の施設の門よりも境界としての能力が低いと言える。
感染症[編集]
感染症も国境を貫通する。2019年に発生した新型コロナウイルス感染症は文字通り世界中に拡散した。また、天然痘やペスト、コレラ、スペインかぜ、エイズ、SARSなど、過去にも国境を越えて広がった感染症は無数に存在している。つまり、国境はフェイスマスクやフェイスシールドよりも境界としての能力が低いと言える。
不況[編集]
不況も国境を貫通する。1930年代の世界恐慌がその最たる例だ。アメリカで始まったこの大不況を国境は防ぐ事が出来ず、世界中が経済恐慌に陥った。つまり、国境は社会主義よりも境界としての能力が低いと言える。
思想[編集]
思想も国境を貫通する。歴史的にも何らかの神を崇拝する宗教が世界的に広まったり、差別意識が全世界で共有されたりしてきたが、現代ではSNSの発達によって、過激な思想が一瞬で国境を飛び越えて広まるようになってしまった。つまり、国境はどんな思想を説いても通じないバカよりも境界としての能力が低いと言える。
ミサイル・爆弾[編集]
ミサイルや爆弾も国境を貫通する。毎年何人の人がこれらによって亡くなっている事であろうか。国境はただ地図上に線が引かれているだけであって国民を守ったりはしてくれない。つまり、国境は我が子を守る親の愛よりも境界としての能力が低いと言える。
じゃあ国境って一体?[編集]
ご覧の通り、国境は何もしてくれないし、何もできない。境界としての能力は二流どころか三流である。
今も尚、各国の軍隊は国境を守るために訓練を積んでいるが、果たしてこんな役立たずの境界を守る事に何の意味があろうというのか。頭が悪いと言わざるを得ない。