豊丘村

長野県下伊那郡の村

豊丘村(とよおかむら)は、長野県最南部の下伊那郡北部に位置する

とよおかむら ウィキデータを編集
豊丘村
豊丘村旗 豊丘村章
豊丘村旗 豊丘村章
1950年11月22日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
下伊那郡
市町村コード 20416-1
法人番号 6000020204161 ウィキデータを編集
面積 76.79km2
総人口 6,208[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 80.8人/km2
隣接自治体 飯田市下伊那郡松川町高森町大鹿村喬木村
村の木 アカマツ
村の花 コブシ
豊丘村役場
村長 下平喜隆
所在地 399-3202
長野県下伊那郡豊丘村大字神稲3120番地
北緯35度33分05秒 東経137度53分45秒 / 北緯35.5515度 東経137.89589度 / 35.5515; 137.89589座標: 北緯35度33分05秒 東経137度53分45秒 / 北緯35.5515度 東経137.89589度 / 35.5515; 137.89589
豊丘村役場
外部リンク 公式ウェブサイト

豊丘村位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 役場の標高:426m
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上空からの豊丘村中心部
豊丘村交流センターだいち
福島てっぺん公園からの眺望

概要

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長野県内としては比較的温暖な気候で、冬場の降雪も少ない。こうした気候をいかした果樹および野菜の栽培、水稲などが盛んな農業中心の村。農業は従来、稲作養蚕が中心だったが、昭和40年代からりんご市田柿といった果樹に転換された。現在では、これらの果樹や松茸などが特産となっている。特に松茸は全国有数の産地である。1万年以前の旧石器時代から人が住みつき、土地の利を生かした独自の暮らしを拓いてきたとされ、村内各地からは、縄文時代土器土偶古墳時代須恵器などが多数出土している。村が運営するケーブルテレビ局としてとよおか放送ネットワークがある。

地理

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長野県の南部、飯田盆地を南流する天竜川の東岸に位置している。伊那山脈最高峰の鬼面山を頂点に、天竜川まで西向きに河岸段丘を形成している。赤松林を有する森林面積は約75%に及び、段丘中・上段は主に果樹園と野菜畑、最下段には豊かな水田地帯が広がる。河川は、伊那山脈より源を発して7河川が段丘を横断し渓谷をつくり天竜川に注いでいる。

隣接する自治体

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地区

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  • 河野区、堀越区、田村区、林区、伴野区、福島区、壬生沢区

歴史

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沿革

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出来事

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  • 1961年昭和36年)6月27日 - 「三六災害」が発生。死者2名、家屋被害492戸(豊丘村内)。
  • 1980年昭和55年) - 満州移住、三六災害により過疎化の進んだ野田平地区の集団移住が完了。
  • 1984年(昭和59年)5月12日 - 鬼面山にて大規模な山火事が発生。5月14日にかけて2昼夜燃え続けた。焼失面積40ha、被害総額3,000万余円(当時)。
  • 2003年平成15年)12月19日 - 長野県公共事業評価監視委員会は、再評価対象事業53ヶ所について意見書をまとめ県に提出、当時の田中康夫県知事の「脱ダム宣言」を受けて県が中止方針を示していた村内の郷士沢ダムを含める8ダムの事業中止を指示した。翌年3月30日国土交通省2004年度ダム関係事業費の配分を見送ることとなり、事実上郷士沢ダム建設計画は頓挫した。
  • 2008年平成20年)8月29日 - 豊丘村を中心に局地的に降った(ひょう)により、りんご、市田柿をはじめとする果樹、野菜など農作物が被害額5億円を超える損害を受けた。のちに募金や復興イベントなどが行われた。
  • 2008年(平成20年)より「早寝、早起き、朝ご飯」をスローガンに掲げ、小中学校を中心に村全体で取り組みを行っている。
  • 2010年平成22年)7月1日 - 村政施行55周年を記念し、キャラクター「だんQくん」とロゴマークを制定。
  • 2014年平成26年)2月 - 横浜ゴム株式会社長野工場が河野区に竣工。
  • 2015年平成27年)10月18日 - 福島区千駄木に福島てっぺん公園がオープン。長野県より、信州ふるさとの見える丘に認定。
  • 2018年平成30年)4月27日 - 道の駅南信州とよおかマルシェが開駅。

行政

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村長

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人口

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豊丘村と全国の年齢別人口分布(2005年) 豊丘村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 豊丘村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
豊丘村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 7,600人
1975年(昭和50年) 7,381人
1980年(昭和55年) 7,409人
1985年(昭和60年) 7,444人
1990年(平成2年) 7,254人
1995年(平成7年) 7,169人
2000年(平成12年) 7,221人
2005年(平成17年) 7,068人
2010年(平成22年) 6,819人
2015年(平成27年) 6,592人
2020年(令和2年) 6,426人
総務省統計局 国勢調査より


教育

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保育園

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  • 豊丘村立豊丘南保育園
  • 豊丘村立豊丘中央保育園
  • 豊丘村立豊丘北保育園

小学校

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  • 豊丘村立豊丘南小学校
  • 豊丘村立豊丘北小学校

中学校

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寺院

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神稲
河野

名所・観光

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虻川渓谷の大明神淵
 
堀越松茸観光への入口
 
豊丘村歴史民俗博物館
  • 不動滝
壬生沢川上流部にあり、滝の落差は15m。不動尊を祀ることが名称の由来。「勤王の母」と呼ばれた松尾多勢子の歌碑もある。
  • 新九郎の滝
虻川の最上流部にある豊丘村最大の滝。滝の落差は30m。
直径約7mで日本最大級といわれる。2004年に虻川渓谷の大明神淵にて発見。2005年に村文化財に指定。
  • 笹見平のしだれ桜
推定樹齢400年。社団法人道路緑化保全協会により全国の名木として指定。2003年に村文化財に指定。
村指定文化財。樹齢300年以上、幹周り4m、樹高30m。
  • 野田平こぶしの群生林
村指定文化財。村有林北側斜面約3haの広域に渡って群生している。野田平の人々は昔からコブシと呼んできたが、植物分類学上はタムシバ
  • 泉龍院の三色藤
山門は村指定文化財になっており、藤との対比が楽しめる。
  • 野田平キャンプ場
廃校になった旧分校校舎を宿泊棟として利用できる。
  • 堀越まつたけ観光
収穫時期限定で完全予約制にて松茸料理が味わえる。
1階が考古部門、2階が歴史民俗部門になっており、約17,000点の資料が収蔵・展示されている。

祭事・行事

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  • とよおか祭り
毎年11月下旬頃に行われる村内一大イベント。
  • 市田灯篭流し大煙火大会
毎年8月18日に開催。信州各地でお盆前後に行われる灯籠流しの中でも歴史が古く、JR飯田線の開通した大正末期から現在まで80年以上の歴史がある。
  • 春祭り
4月の桜開花時期頃に村内各地の神社にて催される。各地区でお囃子に合わせて、この地域特有の屋台獅子が舞う。
  • 河野大宮神社壮丁踊り
河野大宮神社の春祭りに合わせて行われ、河野地区に住む20歳を迎える男女が踊りを奉納する。徴兵前の思い出作りに端を発する独特の芸能で、中学生女子が扮するおかめ獅子舞も奉納される。

交通機関

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鉄道

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村内に鉄道は通っておらず、高校生の飯田市等への通学などは、もっぱら天竜川対岸高森町市田駅を利用している(市田駅から村中心部は徒歩10分程度)。

2013年9月20日、JR東海より、準備書でリニア中央新幹線のルートと長野県駅の位置が豊丘村の南西に位置する飯田市上郷飯沼付近と公表された。合わせて、豊丘村の工事区間は約10kmでそのほとんどがトンネルであるとされ、村内に非常口2ヶ所と変電所1ヶ所の設置が示された。

バス

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  • 村営バス:堀越線、佐原線、福島線
  • 信南交通:市田線

都道府県道

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  • 主要地方道
長野県道18号伊那生田飯田線
  • 一般県道
長野県道226号市ノ沢山吹停車場線
長野県道228号市田停車場線
長野県道455号長沢田村線

友好都市

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姉妹都市はない[1]

出身有名人

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脚注

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  1. ^ 豊丘村議会議員 吉川明博 活動報告 No. 9」より(2013年7月10日付、2013年10月4日閲覧)。豊丘村議会(平成25年第2回6月定例議会)において、村長の下平喜隆は、豊丘村と姉妹提携を結んでいる都市はないこと、また東京都世田谷区杉並区久我山静岡県富士市吉原地区とは友好関係にあるものの、姉妹都市契約を結ぶことは考えていないと説明した。
  2. ^ “県勢・決戦のロンドンへ(3)=競歩・藤沢勇 勝負強く、攻める初舞台”. 信濃毎日新聞. (2012年6月29日). http://www.shinmai.co.jp/2012olympic/2012/06/post-6.html 2013年6月20日閲覧。 
  3. ^ 日本記録”. 公益財団法人日本陸上競技連盟. 2013年6月20日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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